一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

朝日新聞 GLOBE 映画クロスレビュー 一青窈

2012年05月10日 21時15分07秒 | 一青ジャーナル・映画
『朝日新聞』(2012年 5月 5日朝刊)       1頁【朝日新聞社】

*映画クロスレビュー『オレンジと太陽』 
                「児童移民」に寄り添った女性の実話


ひとと語録
“何より、主人公が人生を通して裏切りを受けた人たちのために働き、彼らを絶対に裏切らない!という真摯(しんし)な態度で活動してきたことが支柱にあるので、この映画の感触は気持ちが良い。たくさんの人々の悲しみを一気に背負って、それでも「あなたの苦しみはあなたの歴史で私の歴史ではない」と言える彼女の生き方は実直だ。人のために働く人は、人に助けられる”

“人は話す前から答えを知っている。けれども苦しみを、経験として通過してゆくことが大切なのだ”

毎日新聞 今週の本棚 一青妙著・私の箱子

2012年05月10日 01時19分59秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『毎日新聞』(2012年2月19日)   <小西聖子>【毎日新聞社】

*今週の本棚  一青妙著 私の箱子


       変転する家族の記憶が映す台湾

“妙と窈の父は台湾人、母は日本人。妙は幼少期は台湾で育っている。一青は母の結婚前の姓である。父は台湾の五大財閥の一つ、鉱山王の顔家の長男であり、日本留学中に父と母は知り合って結婚した”

“小学校まで台湾の広いマンションを本拠にして、夏休みなどに東京の松濤や自由が丘の家を訪れる生活だった。十一歳から日本を本拠にすることになり、世田谷の等々力に住む”

“父が五十五歳の時、末期がんに侵されていることが突然わかる。闘病生活が一年以上続き、父は人を遠ざけるようになり、一九八五年に亡くなった。そして母も八年後に四十八歳で胃がんでなくなる。両親ともに亡くなってしまったのが、まだ妙が二十二歳の大学生の時だ”

“台湾のパワフルな親戚にはなじめず、日本に住むことを決め、読書と日本の山を愛した台湾人。顔恵民の人生は、日本と台湾の昭和史そのものである。自分のアイデンティティに悩み、日本への愛着に苦しみ、大量の酒を飲み、家族をこよなく愛した複雑な人の像が見える”

“戦後、一九四七年に顔家兄弟は台湾に帰るが、恵民は四十九年に密航して日本に戻ったという。国民党が侵攻した直後の台湾が、本省人にとってどのようなものだったのかを想像させるエピソードである”