一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

BREaTH はらはらと舞う 一青窈

2003年04月15日 12時08分29秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『BREaTH』(2003年5月号・月刊誌)12頁
     <撮影・大山ケンジ/文・長谷川誠>【ソニー・マガジンズ】
*はらはらと舞う 一青窈
 
ニューシングル『大家』。この歌には安易な癒しや甘っちょろい自己憐憫の感情は微塵もない。こんなにも歌の持っている“力”を実感したのは久々だった。

ひとと語録①
“マキシに何が入るかというのは私自身は無頓着で。シングルかアルバムか何も考えず、とりあえず作り出したものを売る側のプロの人、レコード会社の人に任せてって、いう感じなんですよ”

ひとと語録②
“(「大家」は)「もらい泣き」が出る前くらいに、マシコタツロウ君からデモをもらったんですけれど、そこには一定のリズムで水の音が入っていたんですよ。で、その音が銭湯にいったときに桶にジャーッと水をためてやるあのリズムとシンクロして”“かつて姉と母と近所の銭湯にいっていた時期があって。そのころ父は台湾にいて実際に日本にはいなかったんですけれど、家族の形がくっきり表われていた時代で、なつかしい幸せがあって”“その銭湯が呼び起こされて、6~7歳ぐらいのころの世界観に引きずり込まれて、書き下ろしたっていう”

ひとと語録③
“私の頭の中にはひらがなの50音表があって、それをいろいろ組み合わせていくという。だから“ええいああ”のときの候補は“ああいええ”もあったし、“いやあうう”もあったし、ともかくいろんなものを入れて聞いていく”

ひとと語録④
“生き急いでみたいですね(笑)。これは本当にそうなんですよ。単純にお父さんがお母さんより先に死んじゃって、残された人のほうが思い出を引きずってつらいっていうのを見ているので、今がとっても幸せな状態なら、その幸せな状態のまま、先に死んでしまいたいっていうのはありますね”“前のめりな人生で生きたい(笑)。スタンスとしてはずっと変わらないでいたいですね。何かに迎合するとか、何かに媚びて作るのではなくて、今、これを出したいというものをちゃんと作っていけるといいなあと思っています”


ひととpic up
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