飛水峡

思い出

岐阜新聞

1998年05月28日 14時22分48秒 | 岐阜の水と緑
鮭石
源流に届いた海の幸

 その「鮭(さけ)石」に線刻された五匹の魚形は、写実絵画としては日本最古のものかもしれない。神通川支流の小鳥川源流にある大野郡清見村の門端遺跡。発掘調査報告書にあるように、約四千年前の縄文人はこの石片に海から上って来る鮭・鱒(ます)の豊漁の祈りを込めたのだろうか。
 「この絵は、アユよりも大きな魚。サケ科の特徴の脂ビレが描かれてはいないにしても、大きな口の形はマスに見える」と、淡水魚に詳しい京都大学理学部研修員の後藤宮子さん(72)=関市下白金=は言う。

 一八七三(明治六)年に富田礼彦が編さんした「斐太後風土記」には、イワナやヤマメ、アマゴ、サクラマス、ヤマトマス(サツキマス)、アユなど二十五種の魚類が記されている。この中にシロザケもあるのをみると、「鮭石」という命名も的外れとはいえない。シロザケは寒流の魚だが、長良川でも十数年前、珍しく関市で一匹捕まった。

 加茂郡白川町黒川、恵那郡付知町宮島には「鱒渕」の地名がある。伊勢湾から木曽川水系を上ったのは、どんなマスだっただろう。


□    □
 イワナ、ヤマメ、アマゴやサクラマス、サツキマスは、みんなサケ科の魚。つまり川で生まれ、川で産卵する。だが、その仲間の多くは川と海を往復する。

 サケ科の魚は冷水性で寒冷化時代に南下したが、氷河で川に封じられ、温暖化とともに深山に逃れて進化したのが、今のイワナやヤマメ、アマゴだという。

 サツキマスは、木曽川水系でカワマスと呼ばれていた日本特産のマスで、降海するサケ科魚類の南限種。伊豆半島から四国までの太平洋側と、瀬戸内海側の河川とその隣接海域という、黒潮暖流に適応した特異な魚で、北日本に分布するヤマメの降海型のサクラマスとは、亜種の関係になる。

 岐阜大学学長だった今西錦司さんや県水産試験場長だった本庄鉄夫さんが「アマゴの降海型では」との説を出し、一九七〇年に本庄さんが長良川をそ上するカワマスを調査中、長良川上流に脂ビレを切って放流した標識アマゴを見付けてこれを立証、本庄さんが「サツキマス」と名付けた。


□    □
 大野郡丹生川村旗鉾(ほこ)で大正時代まで使われたとみられる鱒鈎(かぎ)を、村史編さん室の角竹弘さんに見せてもらった。取っ手のある鉄棒の先に、大きなマスも逃さないような鋭い鈎が突き出ていた。

 角竹さんによると野麦峠で知られる同郡高根村中之宿の民家をはじめ、同郡清見村夏厩、白川村、吉城郡上宝村、宮川村の資料館にも同じような鱒捕り漁具があるという。

 飛騨のマスはほとんどが富山湾から上ったサクラマスと考えられるが、木曽川の支流、飛騨川源流の高根村では、伊勢湾から上ったサツキマスと思われる。

 川が、自由に海とつながっていた時代の話である。



飛騨の山間部に海から上った川マス捕っていた鱒鈎(ますかぎ)



「鮭(さけ)石」に線刻された魚形
(大野郡清見村教委「門端遺跡発掘調査報告書」)


《岐阜新聞5月28日付朝刊一面掲載》

最新の画像もっと見る