飛水峡

思い出

岐阜新聞

1998年05月30日 14時46分27秒 | 岐阜の水と緑
環境変化
魚も貝も受難の時代

 岐阜市から約五十キロ、長良川をさかのぼった郡上郡八幡町。終戦前まで御料場もあった郡上の清流は今も変わらないのではと、ふっとそんな思いがめぐった。 だが、そんなよそ者の迷い言を断ち切るように、この川筋で六十年生きてきた元川漁師安福康次さん(81)=同町八幡町=が言った。 「川マス(サツキマス)を釣りに行くとアユの大群が幅一メートル、長さ百メートルぐらいの黒帯になって上った。今はそれだけの鮎がいない。ウグイなどの雑魚もめっきり減った。代わりに、昔は見なかったカワウの大群が二、三百羽来る。下流にえさがないだろうか」 長良川の大久保彦左衛門の異名をとる安福さんの目には、清流に見えても時の流れで激変した川の中はお見通し、というわけだ。

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 今度は河口側に行ってみた。長良川は河口から五・四キロにある河口堰(ぜき)の先で揖斐川に合流、大河となって伊勢湾に注ぐ。 「その手は桑名の焼きハマグリ」の桑名の海には、木曽三川がもたらす白砂の海底と豊かな養分でハマグリが“わいた”。「あけぼのや白魚白きこと一寸」と芭蕉が詠んだシラウオとともに桑名の名物だった。だった、というほかはない。 明治以来、代々のハマグリ漁師という同市赤須賀の石垣庄三さん(59)は、「二十数年前からハマグリが激減し、シジミに替わった。年中漁はできるが、水温が下がる冬の大事な漁場だった長良川に堰ができ、ゲートの上流は真水、下流はへ泥で、どちらも正常な貝の繁殖ができん。揖斐川の貝を捕って河口ぜきの上の長良川に移殖放流しているが見通しは暗い」と話す。 一方、「もちろん、影響があるから漁業補償している。シジミの移殖放流は順調で、せき上流でも漁獲は上がっている」と、中部地建河川部特定プロジェクト室長補佐の椙田達也さんは赤須賀漁協提供の資料を示す。データの数字の本当の意味が分かるまでには、まだ時間が必要なようだ。


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 河口堰は一九九五年七月に本格運用を始めた。今年三月に長良川導水、四月に三重県の中勢水道が取水開始、毎秒二二・五トンの利水計画の約一割が進んだ。四月の養老断層の地震(M5・2)では最大加速度四〇ガルを記録したが、「堰は十分震動に耐えた」(門松武中部地建河川部長)。 堰ができ、川が変わって困る人がいる半面、良かったという人もいる。環境変化をどう評価するかは、人や立場でがらりと違う。 河口ぜきが環境に与える影響について学者らが検討し、「科学的かつ、客観的に」指導、助言を行う建設省の長良川河口堰モニタリング委員会の今年度初会合がこのほど、名古屋で開かれた。委員らのやりとりを聞いていると、その思いは一層深まった。



川と海の環境変化で名産のハマグリが激減し、頼みの長良川に河口ぜきができた今、揖斐川で繁殖するシジミを命綱に生きる三重県桑名市赤須賀の漁師ら



川の外観も変わった。長良川の清流のど真ん中に打ち込まれた
東海北陸自動車道のコンクリート橋脚


《岐阜新聞5月30日付朝刊一面掲載》

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