三流読書人

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ドングリ小屋住人 

文部官僚の号泣

2006年11月15日 08時09分07秒 | 教育 

11月14日付 『毎日新聞』 コラム「発信箱」 文部官僚の号泣  玉木 研二

 1947年3月18日、帝国議会衆議院「教育基本法案委員会」は熱気につつまれた。委員会設置目的である教育基本法案はすでに通過し、義務教育6・3制など新制度を定める学校教育法案が回ってきたのだ。
 資料によると、委員18人のほぼ全員が質疑にたち、校舎や学用品がそろうのかとただした。敗戦の傷跡なお深く、東京では赤子の死亡率10人に1人以上と新聞が報じているころである。
 当時の文部省学校教育教育局長が答弁に立った。
 「戦争を放棄した日本は文化国家建設のため教育の徹底的な刷新改革が必要で、次代を担う青少年への期待は誠に大きいが、現状では子どもたちに教科書もあたえられない…」このようなことを語りながら彼はあふれる涙を落とし始め、ついに言葉を失い、声をあげて泣いた。委員らも涙にくれ5分の間声を発する者がなかったという。
 実際、慌ただしく翌月に発足した新学制は混乱を極め、青空教室や無資格教員の中学の授業も各地で行われた。今に至る戦後の学校教育制度はこうして第一歩を踏み出したのである。
 いま国会で「教育再生」を旗印に教育基本法改正審議が進められている。何も声涙下る演説をというのではないが、つい思うのだ。なぜかくも「軽い」のか。攻めるも守るも切迫した空気を欠き、語りながら子どもたちの窮状に思いをめぐって詰まる声もない。
 局長の「熱涙」は帝国議会衆院本会議で審議経過に立った委員長がとくに付言して伝えた。議員の心を打ったらしい。途中2度の拍手が記録されている。(論説室)

 この「発信箱」読んでいて涙がこぼれた。しかし、「なぜかくも『軽い』のか攻めるも守るも切迫した空気を欠き」といわれると異論がある。
 軽いのは、提案した側にあるのではないか、まともな提案理由も示し得ず、数を頼んで変えてしまおうとする。憲法改悪のための外堀を埋めようという魂胆がありありと見える中で、ろくに論議もせず、タウンミーティングでやらせまでして押し切ってしまおうとする。子どもに対する思いなどどこにも感じない。

 教育基本法を守ろう、改悪は反対という運動は、すごい勢いで広がりつつある。この思いは軽くない。