三流読書人

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ドングリ小屋住人 

和歌山空襲

2005年07月09日 06時31分59秒 | 教育 
1945年7月9日深夜、和歌山市上空からアメリカ軍のB29が襲いかかった。いわゆるじゅうたん爆撃。和歌山市吉田160番地の我が家の防空壕は、あまりにもちゃちで蒸し焼きにされる前に脱出、和歌山市の東のはじにある親戚目指して炎のなかをひたすら逃げた。途中、刈り取られた麦畑の隅で降り注ぐ焼夷弾を見ていた。市街地の木造住宅と人間を焼くために開発されたアメリカの新兵器であった。和歌山市で千数百人の死者が出た。
さいわい家族は、生き延びることができた。1939年9月3日生まれの私は6歳になる少し前であった。
このあとアメリカは、ナパーム弾を開発、朝鮮戦争で使用、これももっと大規模に焼き尽くすための兵器であった。そして、ベトナムではパイナップル爆弾と呼ばれる爆発するとなかに埋め込まれた無数の鉄片が水平に飛びだす人間を殺傷するための兵器を開発し、ベトナム人に使用した。湾岸やイラクではそれのもっと改良型のクラスター爆弾が使用される。これも鉄の小さな破片が無数に水平に飛び出す。また、劣化ウラン弾というのもあった。相手の戦闘能力を殺ぐという前に、とりあえずそこにいる生き物を殺し尽くすというのがアメリカの戦略である。原爆は別の次元で見るとしても。
そう言えば、中性子爆弾というのもある。まだ使用されていないようだが、これは、建物などは破壊せず、コンクリート壁などを突き抜ける強い放射能で中の人間を殺すことができるという兵器だそうである。
その後、日本では平和憲法のもと、戦争をおこなわなかったのでとりあえず生き延びてきた。
1945年7月9日は、私の原点である。

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7月7日「小泉総理の公約の八月十五日靖国参拝を支持する国民会議」(英霊にこたえる会主催)に来賓として出席した民主党の西村慎悟衆院議員が発言、その語録。
「靖国に参拝することによって、今度戦争する時は断じて負けないという誓いを新たにしないといけない」
「近い将来、我が国は戦争を受けてたたねばならないこともありうる。大いにありうる」と断言。その場所は東シナ海と台湾海峡だと明示したうえで「ここが我が国の生命線であります」
また戦争責任とは「勝てる戦争を指導者が誤ったがゆえに負ける戦争にしてしまった責任」であると話したそうである。A級戦犯の「英霊」あるいは「昭和天皇」はどうする。 

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ほんとにお粗末なんですが、笑ってられないんですよね。こういう頭脳の持ち主が憲法をどうするというような論議をしてるんですから。