
昨年8月、兄が転倒、救急入院して以来、大宮・蓮沼と横浜・港南台・庄戸の間を、50回ほど、
行ったり来たりしたが、昨日が最後となりそう。
11月に、兄は亡くなり、兄の土地建物を売却することに決まった。
隣接する5軒のお宅との境界線を確認する測量は終わったが、お隣の一軒と越境問題があって、将来、
境界壁再建の時に、「越境を解決する旨の覚書」に、ハンコを押して頂きに伺った。
あとは、仲介の不動産にお願いして、私が兄宅を訪れる必要は無くなった。
兄の見舞いや兄の支払い・家の管理など、横浜との往復で、帰りはいつも、疲れた体でラッシュにぶつかり、
喜寿を超えた身には、大変だったので、いつも大船から大宮まで「グリーン車」で帰った。
グリーン車があって本当に助かった。
昨日は、コロナ騒動の折だけに、往復グリーン車にした。
サラリーマン時代、出張でグリーン車手当が出る役職になった時、感激したなあ、と思出しながら、コロナ
感染拡大を避けるためにグリーン車を使うことになるとは、と、グリーン車への思いが笑え、感無量。
グリーン料金の支払いもキャッシュレスで、便利になったもんだなあと、感心。
料金も車内で支払うと、チョッと割高になることも知り、人手が掛かる分高くなるのか、と納得。
国鉄がJRに民営化され、自動改札など省力化や駅中店など有効活用による経営効果等、目まぐるしい進化
を遂げた。昭和40年代1週間もストライキで、電車が止まり、会社に行けなかったこともあった。
今は、電車は動いていても、「コロナ」のせいで、会社に行けなくても、自宅で仕事が出来る。
ゆったりしたグリーン車の座席で、平和の中で、歳をとったんだ、としみじみ。
ウォーキング中に出会った春の花と春の空。(不具合で写真添付できず、昨日の写真)


3月28日、「今日は何の日カレンダー」より
スリーマイル島記念日、にわとりの日(毎月)
▲徳川家康、豊臣秀頼と会見(1611)▲神仏分離令が出る。宗教界は大混乱になる(1868)▲廃刀令(1876)
▲所沢で陸軍機が墜落。日本初の航空事故(1913)▲札幌麦酒会社が隅田川、吾妻橋に日本初のビールガーデンを
開く(1903)▲市川房枝らが新婦人協会を結成(1920)▲内村鑑三、没。70歳(1930)▲スペイン内乱終わる(1939)
▲内務省、ディック・ミネら16名に改名を指示(1940)▲アメリカ、ペンシルバニア州スリーマイル島の原子力
発電所で、大量の放射能漏れ事故が発生(1979)▲シャガール没。97歳(1985) ▲妹島和世+西沢立衛のユニット
SANNAが建築界のノーベル賞と言われている「ブリツカー賞」受賞(2010)