平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2015年10月25日 深い絶望の中で立つ

2016-01-20 22:04:09 | 2015年
エレミヤ書20章7〜9節
深い絶望の中で立つ

 エレミヤという預言者は、ほんとうにつらかっただろうと思います。彼は、非常に孤独でした。エレミヤは、神様から示されたことを述べているのですが、それを聞いているユダの人々は、自分たちの罪を鋭く指摘されて、悔い改めるどころか、反発するのでした。
 20章の1節からのところで、神殿の最高監督であった祭司のパシュフルは、エレミヤの預言の言葉を聞いて、彼を捕え、打ち(鞭で打ったのでしょうか)、そのあとベニヤミンの門のところに拘留致します。エレミヤは、翌日には、拘留から解かれましたが、その直後、パシュフルに対して次のように述べました。「主はお前の名をパシュフルではなく、『恐怖が四方から迫る』と呼ばれる。
 それは、神様が、パシュフルを敵の「恐怖」に引き渡すからだと言いました。それだけではなく、パシュフルの親しい者も皆がそうなるが、彼らは、敵の剣に倒れ、お前は自分の目でそれを見ることになると。そして、バビロンによってユダの国は滅ぼされ、人々が、バビロンに捕囚として連行されていくことを告げます。そのときには、王たちの宝物やエルサレムにある高価な品々も奪い去られることになる、そして、パシュフルの一族も、連行されてバビロンで死ぬことになると伝えたのでした。
 このようなことを一度ならず、何度も、ユダの多くの人々に伝えていったのですから、エレミヤは、さらにまた、いろいろな人々から反感をかい、脅迫され、命さえも狙われるようなことにもなったのでした。18章20節「彼らはわたしの命を奪おうとして、落とし穴を掘りました」。20章10節「わたしには聞こえます。多くの人の非難が。『恐怖が四方から迫る』と彼らは言う。『共に彼を弾劾しよう』と」。
 つまり、この10節には、エレミヤがパシュフルに語った、お前の名は、「恐怖が四方から迫る」と呼ばれるという言葉が、逆にエレミヤを非難する者たちの口からエレミヤ自身が聞かされることになっており、脅迫めいた言葉を浴びせられているのです。
 エレミヤは神様から召命をいただいたとき、「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と言われました。力強い神様の言葉でした。
 エレミヤは、幾度も、この神様が共にいるという言葉に支えられて、ユダの人々に悔い改めを迫りました。しかし、ユダの人々は、エレミヤが語る神様の御言葉に耳を傾けることはありませんでした。それどころか、エレミヤは、何度もひどい目に遭わされるのです。エレミヤを最初は支持していた者たち、味方だと思っていた者たちも、今や、彼がつまずくのを待ち構えています。
 彼は、神様の言葉を語ることを止めようと思いますが、それすらもできません。「もうその名によって語るまい、と思っても主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、私は疲れ果てました。わたしの負けです」と、神様にしっかりと今もなお捕えられていること、そして、神様の言葉を語らずにはおれないことを認めざるをえませんでした。
 エレミヤは、神様に対して、何度も告白をし、訴えをしてきました。15章の10節、11節では「ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。国中でわたしは争いの絶えぬ男。いさかいの絶えぬ男とされている。わたしはだれの債権者になったことも、だれの債務者になったこともないのに、だれもがわたしを呪う。主よ、わたしは敵対する者のためにも、幸いを願い、彼らに災いや苦しみの襲うとき、あなたに執り成しをしたではありませんか」と、言っています。
 エレミヤは、単に、ユダの人々の罪を指摘し、悔い改めを迫るだけでなく、彼らのために執り成しの祈りもしてきたのでした。自分の民族に対する強い愛もまた彼はもっていました。しかし、彼らは、そのようなエレミヤのことを理解することはありませんでした。単に、自分たちの非を責め、裁きを語るだけの、自分たちとは異なるうるさく理解しがたい、頑固な人物の一人に過ぎなかったのです。そして、彼もまた、そのうちに、理解を示すどころか、迫害さえするユダの人々に、報復を願うようになります。
 15節「あなたはご存じのはずです。主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧み、わたしを迫害する者に復讐してください」。そして、エレミヤは、神様との間で、葛藤するのです。15章の15節の後半、「わたしがあなたのゆえに、辱めに耐えているのを知ってください」。18節「なぜ、わたしの痛みはやむことなく、わたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り、当てにならない流れのようになられました」。
 それに対して、神様は、「あなたが帰ろうとするなら、わたしのもとに帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ」。エレミヤの軽率な、神様への訴えと不満を神様は優しくいさめ、神様のもとに冷静になって戻ってくることを勧めるのでした。
 さらに20節「この民に対して、わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて助け、あなたを救い出す、と主は言われる。わたしはあなたを悪人の手から救い出し、強暴な者の手から解き放つ」と、これまで以上の守りを約束されるのでした。しかし、こういったエレミヤと神様とのやりとりは、おそらく最後まで続いていったのではないでしょうか。
 なぜなら、エレミヤが、ユダの人々、特に、都エルサレムに住む人々に、悔い改めを迫り、神様の裁きを語り、その結果、人々の嘲りと迫害を受けるという構図はそれ以後もずっと続いていったからです。そのたびに、エレミヤは、神様に自分のつらい状況を吐露し、そして、葛藤をし、絶望に打ちひしがれたり、はたまた、神様の叱咤激励をいただくことになるのでした。
彼は、預言者としての人生の中で、自分の誕生すらも呪うということもしばしばでした。
 14節「呪われよ、わたしの生まれた日は。母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない。呪われよ、父に良い知らせをもたらし、あなたに男の子が生まれたと言って、大いに喜ばせた人は。・・なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い、生涯を恥の中に終わらねばならないのか」。あのヨブも同じようなことを言いました。ヨブは義人と言われておりましたが、多くの苦難を負った人でした。
 彼は、いろいろなことに耐えておりましたが、ついに、エレミヤと同じように、耐えられなくなり、自分の出生を呪うことをしたのです。「わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。その日は闇となれ。・・なぜ、わたしは母の胎にいるうちに、死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか」。ヨブも孤独でした。友人たちが慰めにやってきましたが、深く苦悩しているヨブを理解することはありませんでした。
 エレミヤもヨブも、神様に忠実に生きた人々でした。エレミヤは預言者としての召命にあずかり、ヨブは、義人として、その生を全うするように召された者だったと思います。二人に共通することはいくつかあります。一つは、誰にも理解されず、非常に孤独であったということです。ヨブを慰めに来た友人たちは、はじめは彼に同情し、言葉もかけられないほどでしたが、ヨブの自分は何も悪いことをしてはいない、と言い張る姿に、その神様の前に砕かれない姿を責め始めるのでした。
 エレミヤも、はじめ、エレミヤの言うことに理解を示し、ユダの人々の歩みについて、反省すべきだと考えた者たちはいたようです。しかし、次第に、その彼らも、いつしかエレミヤに反発するようになり、エレミヤがつまずくのを待ち構えるような人々になっていきました。エレミヤもヨブも彼らは、神様と真実に格闘した人々だったと言えます。しかし、ついには、精神的に追い詰められ、忍耐しきれなくなって、自分の出生を呪うという形で、自分たちを創造された神様に対して罪を犯してしまうのでした。
 エレミヤは、多くの人々を敵にまわし孤独でした。苦しみ、同胞への執り成しを祈る気持ちもありながら、あまりにもひどい仕打ちに、ときには復讐を願うこともありました。「万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め、見抜かれる方よ。わたしに見させてください。あなたが、彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け、お任せします」。エレミヤは、嘆き、神様に訴え、深い絶望の中で立ち、それでも使命を果たしていきました。神様の苛酷なまでの厳しい裁きの言葉は、容赦なくユダの人々に、エルサレムに住む人々に臨みました。エレミヤは神様から語れと言われた言葉を語りました。
 そのうち、バビロンにエルサレムを包囲されたゼデキヤ王は、先ほどの祭司、パシュフルとゼファ二アをエレミヤのところに遣わし、主にお願いして欲しいと次のようなことを述べさせました。「どうか、わたしたちのために主にうかがってください。バビロンの王ネブカドレツァルがわたしたちを攻めようとしています。主はこれまでのように驚くべき御業を、わたしたちにもしてくださるかもしれません。そうすれば彼は引き上げるでしょう」。
 それに対して、神様は、厳しい裁きをエレミヤをとおして、言われました。つまり、都に留まった者は、疫病や戦争で死に、生き残っても、バビロン王のネブカドレツァルに引きわたされ、殺される。ただし、降伏した者は、生き残り、命だけは助かる、おそらく、その生き残った人々も、バビロンに捕囚として連れて行かれることになるのでしょう。いずれにしても、もう、救いようがないのでした。
 神様からの裁きの言葉を語るエレミヤの心境はどのようでしたでしょうか。一時は、自分を嘲る迫害するユダの人々に復讐を神様にお願いするような心境にもなりましたが、いざ、いよいよバビロンによって滅ぼされることになったときに、エレミヤの気持ちは非常に複雑であったことでしょう。彼は、たびたび、神様に、ユダの、エルサレムに住む人々への執り成しをしたのもまた、事実でしたし、そのような気持ちはいつもあったことでしょう。
 しかし、ユダの人々は、エレミヤの言葉に耳を傾けることはありませんでした。神様を無視し、あちらこちらに農耕の偶像の神バールを崇拝するための高台を作り、神様を裏切り続けたのでした。エレミヤの言葉は、バビロンに包囲され、絶体絶命の中にあった者たちにとっては、それはもうそうなるであろうこと、神様の怒りが臨むこと、それらのことが、真実味をおびて、聞こえてきたことでしょう。しかし、悔い改めるには遅すぎたのでした。神様の怒りを鎮めることはもうできなかったのです。
 エレミヤは、おそらく10代で神様の召命に与ったものと思われます。それから、半世紀にわたり、預言者としての働きをしました。長い間、彼は、ユダの国、ユダの人々、都エルサレムの人々と共におり、彼らを見つめておりました。そして、ずっと神様からの御言葉を語り続けました。それは、ユダの人々にとって心地よい言葉ではありませんでした。罪の指摘と、悔い改めを迫るものでした。彼は、苦悩と多くの葛藤の中にあり、それでも、最後まで、その働きを全うしました。
 まさに、今日の聖書の箇所は、そうした苦悩しているエレミヤの告白の一部です。しかし、信仰している者たちは、このエレミヤの葛藤している姿に、自分の姿を重ねることができるのではないでしょうか。否、自ずとそのように重ね合わせて、いろいろなことを考え、思い巡らすのです。一つには、私たちもまた、多くの告白を神様にしております。御心と信じて行ってきたことに対して、それがうまくいっていないようなことであれば、これでよいのかと、尋ね求めます。
 神様を信頼する信仰心が強ければ強いほど、そのようになさっておられるはずです。また、わが身にふりかかるいろいろな苦難とおぼしきことや不条理に対して、私たちは神様に真剣に問うているはずであります。神様のお導きと、お守りと、お支えを信じて、そして、それが使命だと捉えて歩んできたのに、事がうまく運ばない場合もまた、神様と向き合わざるをえません。
 しかし、エレミヤほどの孤独と、ときに絶望を味わい、葛藤の日々を過ごした者もいないでしょう。否、イエス様がおられます。イエス様のゲッゼマネの園の祈りこそは、エレミヤをしのぐものであったと思います。
 それは、ご自身の命に直接かかわる話で、それも、ご自身を迫害する者たちのために、とりなし、全人類の救いの業のために、神様の御心を尋ね求めつつ、葛藤され、血の汗を流すほどに苦しまれたのですから。そして、「私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。深い苦しみと悩み、葛藤、はたまた絶望の中にあっても、なお、立ち続けるものでありたいと思います。
 そして、主の御心を行っていきたいものでありたいと思います。主から示されたことをするので、また、主を証しようとして、主に仕えようとして、迫害にあうのです。そのときにこそ、本当の孤独と、時に、絶望に近い思いと、葛藤にさらされます。しかし、そのときには、あなたが、真実に主に従っていこうとしているしるしだということではないでしょうか。深い絶望の中にあっても、それだからこそ、主の前に立つ者であり続けましょう。


平良 師

最新の画像もっと見る