列王記上19章1~18節
ここで何をしているのか
神様は、アダムとエバが、取ってはならないと命じられていた木の果実を食べて、神様に背いたときに、隠れている彼らに「どこにいるのか」と言われました。エレミヤを預言者としてお立てになられた神様は、はじめに「エレミヤよ、何が見えるか」と尋ねられました。そして、今日の箇所では、「ここで何をしているのか」と聞かれたのです。イエス様もべトザタの池の傍らに38年 . . . 本文を読む
列王記上18章20~40節
主が神であるなら主に従え
今日の箇所は、日本社会に生きるキリスト教の信徒たちや教会の立場からすると、とても厳しさを迫られるものではないかと思います。つまり、この当時、イスラエルの民は、王であるアハブが、異邦人の妻イザベルの影響や圧力もあって、農耕の豊穣(豊かな実りを生む)の神と考えられていたバアルへの信仰を強くもつようになり、イスラエルの神、主(ヤーウェ)をないがしろ . . . 本文を読む
列王記上17章1~16節
目に見える頼りにならざるものに
平和の日礼拝を捧げている今日、私に与えられた聖書の箇所は、列王記上の17章です。今日はここから、平和を作り出すことを考えるようにと示されましたので、ここから致します。
まず、北イスラエルの王、この時にはすでにイスラエルは、北のイスラエルと南のユダに国が分裂しておりましたが、その北イスラエルの王アハブは、異邦の民シドン人の王エトバアル(バ . . . 本文を読む
サムエル記下21章1~14節
清算されるべき歴史をも
ダビデ王の時代に、三年続いて飢饉がありました。そもそも飢饉というのは、神様の怒りのあらわれであると理解されておりました。それが三年も続いたのです。人々も飢え渇きで瀕死の状態となり、国家としても危機的な状況でした。ですから、このようなときには、何故、神様の怒りがあらわれているのかを当時の為政者たちは、つきとめなければならなかったのでした。そこで . . . 本文を読む
サムエル記下11章1〜17節
罪を重ねるダビデ
ダビデは、アラム軍を破り、アンモン人も滅ぼす勢いのなかにありました。年が改まり、戦いをしやすい春となって、ダビデは、指揮官のヨアブをはじめとする自分の家臣のすべてを送り出し、彼らはアンモン人の町ラバを包囲するという状況のなかにありました。
ところが、ダビデは、自ら戦場に行くことはせず王宮におり、この日も午後の昼寝から覚めて夕方、屋上を散歩していた . . . 本文を読む
サムエル記上21章1~16節
もう一人のダビデ
ダビデは、サウル王から今や命を狙われる身となりました。それは、ゴリアトとの一騎打ちに勝利して、民衆の賞賛を浴びるにようになり、サウル王の嫉妬をかうことになったからでした。ゴリアトとの戦いに勝利したダビデのことを聞いたサウルは、はじめのうちは、正式にダビデを家来として召し抱え、戦いに派遣するだけでしたが、ところが、戦いにでかけるたびに、ダビデは、勝利 . . . 本文を読む
サムエル記上16章1~13節
神様の選びと裁きと赦しと
イスラエルが、12部族連合から王政をとるに至ったのは、民の要望でした。当時、祭司のサムエルが、指導者としてイスラエルの部族連合をまとめ、民衆間に起こる諸裁きを行っておりました。ところが、サムエルも高齢となり、彼の仕事を継いた二人の息子たちは、公正なる裁きをせず、賄賂をとって裁きを曲げるなどのことを行い、民衆の信用を失っておりました。
そう . . . 本文を読む
ヨハネの黙示録22章6~17節
アーメン、主イエスよ、来てください
21章の1節から22章の5節までは、新しいエルサレムについて述べられています。そこが、どんなにすばらしいところなのか、いたるところが多くの宝石で、造られています。新しいエルサレムは、言葉に言い尽くせないほどの、すばらしい輝かしいものであることを表現しようとしています。そして、そこに入れるのは、小羊の命の書に名前が書いている者だけ . . . 本文を読む