ある方が、わたしに、問いかけました。
「行き詰まってしまった時って、どうしたらいいでしょう…。」
大きな瞳に、不安が、霞のようにかかっています。
ね、そんな時って、どうしたらいいのでしょうね…。
何か、この方の支えとなるような言葉は、ないかしら…。
そう思ったら、不意に、こんな言葉が降りてきました。
“俯瞰(ふかん)”
「俯瞰。俯瞰してみると、いいようです。」
そのまんまお伝えすると、
「俯瞰て、何ですか?」
と、パチクリ。
そうですよね、あまり馴染みのない言葉です。
「俯瞰」、それは、鳥のように、山頂に立った時のように、高いところから見下ろすことです。
それはまさに、(森羅万象の)神さまの視点です。
神さまから見たら、どんなことも、どんなことも、小さく可愛らしく、愛おしく、見えるようです。
そして、その、神さまの視点で、わたしたちも、自分自身を見下ろしてみます。
・・・なんとまあ、一生懸命に生きていることでしょう。
動いて、悩み、立ち止まり、動けなくなり、
ひらめいて、元気になって、動き出して、
失敗して、落ち込んで、涙をこぼして…。
なんて、愛おしい存在でしょう。
神さまはいつも、こんな風に、わたしたちを見守ってくださっているのですよね。
神さまと同じ視点を持つとき、わたしたちは、そのままの自分自身を、愛しく感じることができます。
そんなことをお話ししていたら、
「わあ~!!なんか、鳥肌立ちました…。」
そう言って、目を輝かせて、聴いて下さっていました。
鳥肌。
わたしは、鳥肌が好きです。
それは、人の力を越えたものを感じる時のものだから。
人が、神さまを感じている証拠のひとつです。
この日もきっと、どこぞやの神さまが、悩むこの方を想い、そばに降りていらしたのでしょう。
こんな安心なことはありませんね。
見守られ、寄り添われ…。
この方だけでなく、わたしたちみんな、このように守られている。
そう思うと、嬉しくて、感動して、何だか、頑張れそうな気がしてきませんか?
「わたしも、週末、森に行ってきます。スキーなんですけどね。」
嬉しそうに話される姿に、わたしも嬉しくなりました。
森は、わたしが最も、神さまを近くに感じられる場所。
神社もそうですが、人気のない時に限られます。(わたしの場合、ですが。)
行き詰まったら、悲しくなってしまったら、
揺るぎなく強力な応援を、ものすごい応援を、感じに行きましょう。
わたしが神さまなら、どれほど嬉しいことでしょう…。