子どものころよくたべたフライ焼き、砂糖もなくメリケン粉にほんのすこし
貴重品の塩をまぜ、水をいれてまぜあわせたもの。
なめらかになったところで
これも大事な油をちょっとだけまわして七輪の上で温めておいたフライパンに
そっと流し込む。
破れないように気をつけて貝杓子の背で薄く伸ばす。
やがて何とも言えない 薄い焦げ目からいい匂いがしてきた。
箸でつまんでフライパンのうえで裏表をひっくり返し、裏側もきれいに焦げ目がつくまで
みまもる。
早く食べたくてたまらないが、人数分が焼けるまで待つことの長いこと。
フライパン端っこの方の薄い皮がパリッとなったらできあがり。
そのころはそのまま折り曲げてたべていましたね。
今日は一つだけ残っていたさつま芋で餡子を作りはさんでみました。
なつかしい味です。ふわふわでおいしかった。
たべていましたからね。フライ焼きは上等のほうでしたよ。
終戦時の事、いまでもはっきりおぼえていますが
食べものことがいちばん先にでてきますね。
いつもおなか空かしていましたから・・・
いまの子たちは満たされ過ぎていて、おそらく想像もつかないことでしょうけど・・・。
一回りお若いようで、時代の差がはっきりでましたねぇ。
たいらにして焼くのがなまって、ふらい焼きになったのでしょうね。
いまでも小腹がすいたら「フライやきでもするか?」なんていいますよ。
サッカリンというのはありましたが、味はとてもかないませんです。
でも全くこれは知りませんでした
読みながら(〃 ' O')ヘぇぇぇ~と思うばかり・・・
お塩を入れる所がびっくりです!(・ロ・)ホ('ロ')ホ--ッッ!!!
でも何もなければとにかく工夫しますもんね
確かにあの頃なら大したご馳走ですね^^
小麦粉 砂糖 水 膨らし粉を混ぜ合わせて フライパンに油を薄くひいて
クレープより厚めに焼いたものでした。
乾燥こし餡で餡子を作って 間に挟んで厚めにしたものを
切り分けた食べると
おなかが満たされて すごいご馳走でした。
昭和26年生まれなので もはや戦後ではない時期になっていたのでしょう。
揚げものをさらに焼くの?
小さな杏子さんが、見つめる様子が
ほのぼの見えてきました。
私のはるか昔の思い出はその焼きあがった生地に黒砂糖をかけて食していたような記憶があります。
杏子さんよりち~っと若いからですね(=^・^=)