教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

同い年の教え子~私の出会った子どもたち

2006年03月29日 | 出会った子どもたち
小学校入学式の朝、F男は母親と一緒に登校した。運動場にいた二人の先生が声をかけた。「ここから体育館までは自分で歩こうね。」F男は車椅子から立ち上がったが、次の一歩が出なかった。

入学式が始まるなか、母親はF男を連れて家に帰った。下半身のマヒ、白内障による視力低下、知的障害。養護学校への入学も認められなかった。教育委員会は「就学猶予」(しゅうがくゆうよ)の手続きを母親に迫った。

F男が小学校に入学できるまでは、それから11年もの『闘い』が必要だった。しかし家の中に引きこもっての生活は足の関節を硬直させ、F男は立つこともできなくなっていた。17歳で小学校に入学したF男が中学校に入学したのが23歳の春。私が教員となった年である。T市の中学校が、どんな障害があっても希望すれば入学を受け入れる立場に立ったのがこの年だった。

担任となって始めての家庭訪問で、私は母親からF男の生い立ちを聞かせていただいた。同じ時期にT市で育ち、ひょっとすれば友だちとして出会えたかもしれない二人が、十数年の時を経て担任と生徒として出会ったのだ。私の古いアルバム。小学校入学式の後、校庭の桜の木の下で家族と撮った写真。みんなの笑顔。その同じ日にF男の母親は泣きながら車椅子を押し、学校を去ったのである。私はそこに学校制度の冷たさと恐ろしさを感じた。

生まれ育ったT市で教員としてスタートをきった私の一歩は、F男とともに歩むことになった。同い年のF男が私に向かって「せんせい」と呼ぶ。望んで就いた仕事なのに、この言葉は私の心にとてつもなく重く響いた。再び子どもたちの人生を踏みつける学校・教員であってはならない、F男の見えない目が私に訴えていたのである。


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