【小中の異文化が学校力を伸ばす】
小中が連携を行おうとしても、小中学校では文化が違うという嘆きの声を聞くことがあります。私は文化どころか職種が違うほどの隔たりを小中の間で感じることがあります。しかし、だからこそ面白いのです。みんなが同じ発想では今の山積する課題は解決できないと思います。小中学校が互いに「違う発想があることを知ること」「違う発想から学校を見直すこと」で現在の学校が抱えている課題や行き詰まりを突破していく鍵があると思うのです。
私は○○小と○○小学校の高学年で社会科の授業を持たせてもらいました。その中で小学生の知的興味の旺盛さに改めて驚きました。この興味・関心・意欲に応えるためには、教科指導の専門性を高めるため、小学校高学年で教科担任制の導入が検討されるべきと考えています。
また担任の中の一人が生徒指導を担当している小学校では生徒指導が体制として根付きにくく、個々のクラス担任が校長や教頭と相談しながら指導に当たる場面を見かけました。生徒指導の方法を学んで行くのは、場数(ばかず)を踏む以外に王道はないと私は思うのですが、こうような個別の対応を繰り返していては、「他クラスで起きた問題から学ぶ」「自分の学級指導に活かす」ことはできません。大事なことは、事後報告ではなく、一緒に山=事件を乗り越えることです。そのためには、子どもへの指導場面に担任以外の教員が立会ったり、分担しながら共に解決することが大切です。
子ども同士のトラブルが起きた時の謝罪の仕方一つとっても、小学校の「謝罪」と中学校の「謝罪」とでは、謝罪を学校で行うかどうか、誰が立ち会うのか等で大きく異なります。私自身は長年生徒指導主事が根付いていた中学校職場の生徒指導ノウハウから小学校が学ぶことは大きいと考えています。
今までのやり方が学校の中で通用しなくなったと言われます。でも隣の小学校や中学校と相談してみれば、解決の糸口を見出せるのではないかと思うのです。私が生徒指導を担当していたとき、青少年補導センターや児童相談所、時には警察の少年係が頼りになる相談機関でした。しかし今では最良の相談機関は、隣の小学校であり、中学校であると確信を持って言うことができます。この『最良の相談機関』を市内の全小中学校が活用していかなければならないと思うのです。
(つづく)
小中が連携を行おうとしても、小中学校では文化が違うという嘆きの声を聞くことがあります。私は文化どころか職種が違うほどの隔たりを小中の間で感じることがあります。しかし、だからこそ面白いのです。みんなが同じ発想では今の山積する課題は解決できないと思います。小中学校が互いに「違う発想があることを知ること」「違う発想から学校を見直すこと」で現在の学校が抱えている課題や行き詰まりを突破していく鍵があると思うのです。
私は○○小と○○小学校の高学年で社会科の授業を持たせてもらいました。その中で小学生の知的興味の旺盛さに改めて驚きました。この興味・関心・意欲に応えるためには、教科指導の専門性を高めるため、小学校高学年で教科担任制の導入が検討されるべきと考えています。
また担任の中の一人が生徒指導を担当している小学校では生徒指導が体制として根付きにくく、個々のクラス担任が校長や教頭と相談しながら指導に当たる場面を見かけました。生徒指導の方法を学んで行くのは、場数(ばかず)を踏む以外に王道はないと私は思うのですが、こうような個別の対応を繰り返していては、「他クラスで起きた問題から学ぶ」「自分の学級指導に活かす」ことはできません。大事なことは、事後報告ではなく、一緒に山=事件を乗り越えることです。そのためには、子どもへの指導場面に担任以外の教員が立会ったり、分担しながら共に解決することが大切です。
子ども同士のトラブルが起きた時の謝罪の仕方一つとっても、小学校の「謝罪」と中学校の「謝罪」とでは、謝罪を学校で行うかどうか、誰が立ち会うのか等で大きく異なります。私自身は長年生徒指導主事が根付いていた中学校職場の生徒指導ノウハウから小学校が学ぶことは大きいと考えています。
今までのやり方が学校の中で通用しなくなったと言われます。でも隣の小学校や中学校と相談してみれば、解決の糸口を見出せるのではないかと思うのです。私が生徒指導を担当していたとき、青少年補導センターや児童相談所、時には警察の少年係が頼りになる相談機関でした。しかし今では最良の相談機関は、隣の小学校であり、中学校であると確信を持って言うことができます。この『最良の相談機関』を市内の全小中学校が活用していかなければならないと思うのです。
(つづく)