教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

8月に平和を考える~映画『夕凪の街桜の国』

2007年08月21日 | 本と映画の紹介
 戦後62年が経ち戦争の記憶は日本人から消えようとしています。小中学生の『おじいちゃん・おばあちゃん』世代も戦後生まれに変わりつつある今、あの時代を語れる人たちは既に古希(数えで70歳)を遥かに越えています。2年前に「戦後60年はあっても、戦後70年はない」と言われました。いくら長寿国日本といえども、戦争を語り継ぐ方々が戦後70年を迎えることは難しいのです。

 戦争を経験していない国民で満ち溢れる、戦後の日本が目指していた一つの理想が今実現しようとしています。しかし戦争を経験していないことと、戦争を知らないことは、似て非なるものです。この夏、「原爆投下はしょうがない」との発言が防衛大臣から発せられました。従軍慰安婦問題や集団自決問題をみても、歴史を修正したいという政治的な圧力が強められています。国民の多くが戦争体験者だったときには口にもできなかったことが、今まかり通ろうとしているのです。私たちは戦争の体験(その加害と被害の全てにおいて)や教訓を正しく受け継がないままにこの62年を食い潰してはこなかったかでしょうか。

 「しょうがない」発言を受けた長崎では、長い沈黙を破る新たな歴史の証言者が生まれたことが新聞で報道されていました。「忘れてしまいたい」という傷ついた心。しかし「黙ってはおられない」という思いが被爆者を突き動かしているのです。

 2年前双葉社から刊行され大きな反響を得た『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』が映画化され、この夏全国で上映されています。原作同様に私は大きな感銘を受けました。

 映画は、原作をほぼ忠実に再現していますが、この映画の中で印象に残った言葉を紹介します。

 「原爆は落ちたんではない、落とされたんだ」(皆実)どうして広島に原爆が落ちたのかという弟旭の問いに対し、皆実は殺そうという明確な意思を持って原爆が落とされたのだと諭します。この皆実の考えは「やったー、また一人殺せたと、原爆を落とした人は、ちゃんと思うてくれとる」という言葉に繋がるのです。戦闘員・非戦闘員の見境なく人が人を殺すという戦争の本質を見事に描いた一言です。
しかし戦争にたいしてはっきりとした思いを持つ皆実も、自分の戦争の記憶(=家族や友人との別れ)に苦しみ続けるのです。「この街では誰もあのことを口にしない」「私が忘れてしまえば済むことなんだ」という思いが、生き残ったことへの罪悪感(多くの友人や家族を救えないままに)とともに込み上げてくるのです。

 ところが皆実は思いを寄せる打越に対し「誰かに聞いてほしかった」と被爆の日の記憶を語ります。そして命が尽きようとする最後に、疎開先の水戸から駆けつけた弟旭に対して「私たち家族のことを忘れないで」自分たちの分も長生きしてほしいと思いを託します。皆実の思いは、戦争体験の風化が叫ばれ改憲前夜を迎える今に対し、歯軋りをする思いで平和を叫ぼうとする多くの戦争体験者(戦死者も含む)の思いでもあると思います。

 しかし映画はこれで終わりません。この作品の優れているところは、原爆投下=戦争の問題が62年前の問題ではなく、戦後生まれの私たちの問題でもあることを教えてくれるところにあります。

 旭の娘である七波は、幼なじみ東子との予定外の「広島への旅」を通じ、自分が生まれてきた意味、弟凪生の結婚問題、そして何よりも記憶の中から消し去ろうとしていたおばあちゃんと母の死について、正面から向き合おうとします。28歳の若者の中にあった「戦争体験」が見事に掘り起こされていくのです。同時に「戦争体験」の枠外にあった東子も、初めて自分の問題として戦争に向き合い始めるのです。

 8月6日も、9日も、15日も、決して年中行事の一つではありません。この夏が最後になるかもしれないという不安を抱えながら、命懸けで記憶を次の世代に繋げようとする人たちがいます。その思いを受け継ぐ七波や東子のような若い世代もいるのです。

 被爆した京子に旭がプロポーズする回想シーンに七波は立会います。そして二人の新婚生活が始まった町でもあり、祖母と母親を亡くした町でもあり、忘れようとしていた「陽だまりの匂い」がする桜並木の町での生活を愛おしく思い出すのです。

 「生まれる前 そう あの時わたしはふたりを見ていた。そして確かにこの二人を選んで生まれてこようときめたのだ。」七波の戦争体験を掘り起こす旅は、この言葉で締めくくられるのです。