(1)『はかぐら』(1913春まで、26歳まで):一碧楼(1887-1946、59歳死去)は碧梧桐の「新傾向俳句」に共感、しかし個性尊重の立場から碧梧桐に反抗、そして老年・中年趣味を排し、季題趣味を捨て「試作」した!
★「春の宵やわびしきものに人体図」:この命のかよう暖かい人体が、ただの図となっては「わびしきもの」だ。
★「死期明らかなり山茶花の咲き誇る」:一方で死と、他方で「咲き誇る」山茶花の生との対比。
(2)『一碧楼第二句集』(1912-1921、25-34歳):季題から自由、また形式に係わらない、ハートからハートへ響く様なものでありたい!
★「桃一枝を活けてこのよるの布団薄うし」:桃の華やかさの昼、薄い布団に寝る夜。
★「菜種のつぼみもつ明るさ風吹くか」:明るい菜種。春だ。
(3)『朝』(1920-1924、33-37歳):無季・自由律!
★「春の白雲が遠くて漁師の子供です」:中原中也(1907-1937)の詩を思い出させる。「トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです」。
★「あはれ蝉のうまれ出でし木のもと」:蝉の抜け殻あるいは蝉の出てきた地面の穴。地上での蝉の命は短い。
(4)『多摩川』(1924-1927、37-40歳):大正末年以後の一碧楼の句風は、古典を追慕し、風雅の誠をかえりみ、平明清澄な句調となる!
★「ここにても荒海ひびき葱畑」:畑から見えないが海が近い。
★「二つ三つ見え冬の日の藪中の石」:暖かい冬の日!
(5)『芝生』(1928-1932、41-45歳):一碧楼は後年、東洋的・伝統的なものを考慮し、青年時代の熱情を含みながらも穏和・純真、そして近代的自由律俳句の道を歩んだ!
★「空へたちのぼりわれが焚火のけむり」:焚火は見ていて楽しい。
★「夏朝の庭にあそびて犬はかしこき顔」:犬には性格・感情がある。
★「人間世界芙蓉の花に日のあたりをる」:すべて世はこともなしor諸行無常!
(6)「杜(モリ)」(1932-1935、45-48歳):『一碧楼一千句』(1936年刊)に含まれる!
★「葡萄を食ふ明るき窓を持つそれほどのしあはせに男」:穏やかな日々の幸せ。老荘的だ。
★「橋をよろこんで渡つてしまふ秋の日」:機嫌がいい。
(7)「若林」(1936-1937、49-50歳)
★「女の倦怠がちらゝ雪をふらすそのやうにおもふ」:「男と女の 間には深くて暗い 川がある」と『黒の舟唄』に似る!
★「逃げるやう枯れた草を歩いてゐる男」:「逃げなくてすむようになりたい」男だ。
★「蚕豆(ソラマメ)をたべて蛍は一ぴきも出ない夜でした」:残念、蛍を見られなかった。
★「梅の木いくつかまるい実があつて日が暮れてしまふ」:梅の実はまるく、すましている。夕暮れ。
★「みんなでぱんをたべる家を吹き通し草の風」:洋風なパンor庶民的なアンパンや甘食?
(8)「宵宮」(1938-1939、51-52歳):「宵宮」から「冬海」までの部立(ブダテ)は:『一碧楼句抄』(1949年刊)による!
★「誰もが見るかみきり虫は少ししやれたすがたに」:「かみきり虫」は端正で洒落ている。
★「すこし錆びてゐる鉄骨が組まれた空が夜が明けた」:建築中の建物の鉄骨。夜明け。
★「生きて人老い冬の日飛ぶ鳥を見し」:1930年代、50歳はもう老人だ。2020年代、50歳は壮年で、あと15年は働く。
★「笹の中に石が見えさうしたわが一日秋の日」:さわやかな秋の日。笹の中に石が見える。
(9)「柘榴(ザクロ)」(1940-1942、53-55歳)
★「家々ならんで海はずつと低い冬はじめ」:家は高台。海はずっと低い。からりとした冬だ。
★「柿の若葉を打つ大雨われらも濡れる」:柿の若葉が美しい。大雨もまた美しい。
(10)「上馬」(1942-1944、55-57歳)
★「冬の松の木お濠の鴨日かげにも浮く」:冬の日かげは寒いのに鴨は平気だ。
★「足痛むを言はずマスクして外へ出づる」:心配を懸けたくない。
(11)「くちなし」(1944-1946、57-59歳)
★「帰還の若者とものを食ふ熱い茶をのむ秋夜」:戦争から復員した若者と食事する。戦争が終わった。
★「わがからだを感じつゝ海苔一まいをあぶり」:私が「ここにある」とわかるのは、「からだ」がここにあるからだ。
(12)「冬海」(1946、59歳死去の年)
★「草枯れてをり家にて人が大根を煮る」:冬の平穏な日常!
★「浅蜊(アサリ)そのほかの貝持参共産党支持のこの友」:1946年、戦後最初の総選挙で共産党は5議席を得た。
★「あすへつゞく空であり草が枯れてゐる」:戦争が終わって平和のもとでの希望。
★「(絶句二句)(※その2句目) 魴鮄(ホウボウ)一ぴきの顔と向きあひてまとも」:私は正気・平穏だ!
★「春の宵やわびしきものに人体図」:この命のかよう暖かい人体が、ただの図となっては「わびしきもの」だ。
★「死期明らかなり山茶花の咲き誇る」:一方で死と、他方で「咲き誇る」山茶花の生との対比。
(2)『一碧楼第二句集』(1912-1921、25-34歳):季題から自由、また形式に係わらない、ハートからハートへ響く様なものでありたい!
★「桃一枝を活けてこのよるの布団薄うし」:桃の華やかさの昼、薄い布団に寝る夜。
★「菜種のつぼみもつ明るさ風吹くか」:明るい菜種。春だ。
(3)『朝』(1920-1924、33-37歳):無季・自由律!
★「春の白雲が遠くて漁師の子供です」:中原中也(1907-1937)の詩を思い出させる。「トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです」。
★「あはれ蝉のうまれ出でし木のもと」:蝉の抜け殻あるいは蝉の出てきた地面の穴。地上での蝉の命は短い。
(4)『多摩川』(1924-1927、37-40歳):大正末年以後の一碧楼の句風は、古典を追慕し、風雅の誠をかえりみ、平明清澄な句調となる!
★「ここにても荒海ひびき葱畑」:畑から見えないが海が近い。
★「二つ三つ見え冬の日の藪中の石」:暖かい冬の日!
(5)『芝生』(1928-1932、41-45歳):一碧楼は後年、東洋的・伝統的なものを考慮し、青年時代の熱情を含みながらも穏和・純真、そして近代的自由律俳句の道を歩んだ!
★「空へたちのぼりわれが焚火のけむり」:焚火は見ていて楽しい。
★「夏朝の庭にあそびて犬はかしこき顔」:犬には性格・感情がある。
★「人間世界芙蓉の花に日のあたりをる」:すべて世はこともなしor諸行無常!
(6)「杜(モリ)」(1932-1935、45-48歳):『一碧楼一千句』(1936年刊)に含まれる!
★「葡萄を食ふ明るき窓を持つそれほどのしあはせに男」:穏やかな日々の幸せ。老荘的だ。
★「橋をよろこんで渡つてしまふ秋の日」:機嫌がいい。
(7)「若林」(1936-1937、49-50歳)
★「女の倦怠がちらゝ雪をふらすそのやうにおもふ」:「男と女の 間には深くて暗い 川がある」と『黒の舟唄』に似る!
★「逃げるやう枯れた草を歩いてゐる男」:「逃げなくてすむようになりたい」男だ。
★「蚕豆(ソラマメ)をたべて蛍は一ぴきも出ない夜でした」:残念、蛍を見られなかった。
★「梅の木いくつかまるい実があつて日が暮れてしまふ」:梅の実はまるく、すましている。夕暮れ。
★「みんなでぱんをたべる家を吹き通し草の風」:洋風なパンor庶民的なアンパンや甘食?
(8)「宵宮」(1938-1939、51-52歳):「宵宮」から「冬海」までの部立(ブダテ)は:『一碧楼句抄』(1949年刊)による!
★「誰もが見るかみきり虫は少ししやれたすがたに」:「かみきり虫」は端正で洒落ている。
★「すこし錆びてゐる鉄骨が組まれた空が夜が明けた」:建築中の建物の鉄骨。夜明け。
★「生きて人老い冬の日飛ぶ鳥を見し」:1930年代、50歳はもう老人だ。2020年代、50歳は壮年で、あと15年は働く。
★「笹の中に石が見えさうしたわが一日秋の日」:さわやかな秋の日。笹の中に石が見える。
(9)「柘榴(ザクロ)」(1940-1942、53-55歳)
★「家々ならんで海はずつと低い冬はじめ」:家は高台。海はずっと低い。からりとした冬だ。
★「柿の若葉を打つ大雨われらも濡れる」:柿の若葉が美しい。大雨もまた美しい。
(10)「上馬」(1942-1944、55-57歳)
★「冬の松の木お濠の鴨日かげにも浮く」:冬の日かげは寒いのに鴨は平気だ。
★「足痛むを言はずマスクして外へ出づる」:心配を懸けたくない。
(11)「くちなし」(1944-1946、57-59歳)
★「帰還の若者とものを食ふ熱い茶をのむ秋夜」:戦争から復員した若者と食事する。戦争が終わった。
★「わがからだを感じつゝ海苔一まいをあぶり」:私が「ここにある」とわかるのは、「からだ」がここにあるからだ。
(12)「冬海」(1946、59歳死去の年)
★「草枯れてをり家にて人が大根を煮る」:冬の平穏な日常!
★「浅蜊(アサリ)そのほかの貝持参共産党支持のこの友」:1946年、戦後最初の総選挙で共産党は5議席を得た。
★「あすへつゞく空であり草が枯れてゐる」:戦争が終わって平和のもとでの希望。
★「(絶句二句)(※その2句目) 魴鮄(ホウボウ)一ぴきの顔と向きあひてまとも」:私は正気・平穏だ!