※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)
(1)「人為的に作り出された虚構」と「神が作り出した虚構」!
A 現代のゲーム世界は「人為的に作り出された虚構」だ。神話においては、全世界が「神が作り出した虚構」だ。
《感想》たとえ「神が作り出した虚構」と言おうと、「圧倒的な生きる苦痛」(生老病死)、「抑えがたい衝動・欲望」という「現実」が君を支配する。「現実」を生きる君にとって、それら「苦痛」(Ex. 拷問の苦痛、火あぶりの苦痛)・「衝動・欲望」(Ex. 性衝動)が「虚構」であるなどありえない。
(2)ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ!
B インドの神話において、ヴィシュヌ神の「不思議な呪力」すなわち「マーヤー」とは、「世界を作り出す力」だ。
B-2 ナーラダ仙が、苦行の果てにヴィシュヌ神の恩寵を得て、ヴィシュヌに「あなたのマーヤーを示し賜え」と願う。ヴィシュヌ神が、ナーラダを従え、太陽が照りつける荒漠とした道を進む。ヴィシュヌ神が「喉が渇いたから近くの村から水を汲んでくるように」とナーラダに頼む。
B-3 ナーラダは村へ行き、一軒の家で水を請う。家から一人の美しい娘が出て来る。ナーラダは本来の目的を忘れる。ナーラダはその娘を娶り、12年の歳月が流れ、ナーラダには3人の子もあった。
B-3-2 ある日、大洪水が起こり、家は流され、妻も3人の子も濁流にのまれ死んだ。ナーラダも流され岩の上に打ち上げられ、あまりの不運に泣き崩れた。
B-4 その時、聞きなれた声がナーラダを呼ぶ。「私が頼んだ水は何処にあるのか。私は30分以上もお前を待っている。」ナーラダが振り返ると、濁流が渦巻いていた場所には、ただあの荒漠たる地があるのみだ。ヴィシュヌ神が言った。「私のマーヤーの秘密を理解したか?」
B-4-2 ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ。
B-4-3 「マーヤー」はサンスクリット語で、一方で「作り出す」という意味であり、他方で「幻」という意味だ。
《感想》世界はヴィシュヌ神によって「作り出された幻」だと、神話は言う。「神」にとっては「現実世界」は「幻」かもしれないが、「人間」は「現実世界」を生きる。「現実」の「苦痛」そして「衝動・欲望」において、「人間」は生きる。
《感想(続)》かくて人間は「現実」が「幻」であってほしいと願う。「人間」は、「現実世界」は「神が作り出した虚構」だと信じたい。
《感想(続々)》さらに「死」の不可避性が、個々の「人間」に「現実世界」の相対性・脆弱性を示す。個々の「人間」にとって、「現実世界」は「死」と共に滅ぶ。「死」の前で現実世界は「幻」に等しい。
C 神は「マーヤー」(幻力)により、万物をからくりに乗せられたもののように回転させる、つまり世界を創造し、維持し、破壊する。(Cf. 『バガバッド・ギーター』)
(3)映画『マトリックス』:「人間」は「現実」の世界を知らず、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる!
D アメリカの映画『マトリックス』(1999)(Cf. 「マトリックス」は母体・基盤・行列・鋳型・発生源の意)は、人々の暮らす世界がその「人間」自身も含めて「コンピューターによって作られた仮想現実」だとして描く。「現実」(「仮想現実」ではない)においては「人間」は「培養槽の中に入れられ」ており「機械(コンピューター)」のエネルギー源になっている。「現実」においては「人間」は「機械(コンピューター)の奴隷」である。「人間」は、「現実」の世界を知らずに、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる。
(4)マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びた世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神の体内」に全て存在していた!
E 『マハーバーラタ』に次のような神話がある。マールカンデーヤ仙は世界の終末を体験する。終末の時、カリ・ユガの終わりに至ると、世界は異変を生じ、激しい干ばつが生じ、あらゆる生き物が滅亡した。七つの燃えたつ太陽により、全てが燃やされ灰となった。「終末の火・サンヴァルタカ」が地底界も焼き、そして神々も悪魔も、ガンダルヴァもヤクシャも蛇もラークシャサも一切が滅んだ。
E-2 すると稲妻にかざられた、不思議な色の雲が空に湧き上がり、雷鳴をとどろかせながら12年間にわたり雨を降らせ世界を水浸しにした。マールカンデーヤ仙はその「原初の水」の中を一人ただよっていた。
E-2-2 やがてある時、水中に大きなバニヤン樹があるのをマールカンデーヤ仙は見た。枝の中に神々しい敷物を敷いた椅子があり、卍の印をつけた一人の童子がそこに座っていた。童子が言った。「そなたが疲れて休息を願っていることは知っている。さあ、私の体内に入って休みなさい。」童子はそう言うと口を開けた。私はその口の中に入った。
E-2-2-2 そこには全地上世界が拓かれていた。海獣が住む広大な海、月や太陽の輝く天空、森を抱く大地。バラモン、クシャトリヤ、農業を行うバイシャたちが生活し、山々があり、多くの獣が大地を歩き廻っている。神々がいて、ガンダルヴァ(インドラまたはソーマに仕える半神半獣の奏楽神団;天界の音楽師;アプサラスを配偶者を配偶者とする)やアプサラス(天女、妖精、水の精の類、天の踊子)、ヤクシャ(悪鬼)、聖仙、悪魔たちがいた。童子の体内には全てのものがあった。私は百年以上もそこにいた。
E-2-2-3 マールカンデーヤ仙が願うと、突風が吹き、童子の開いた口から外に吐き出された。その童子の姿をしたお方こそ、至高の主(アルジ)「ヴィシュヌ=クリシュナ」その方であった。
(5)われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある!この「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないか?
F マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びたはずの世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神」の、体内に全て存在していた。
F-2 この『マハーバーラタ』の神話は、「ヴィシュヌ神の体内で展開される世界の営み」と「その外側にある原初の海」について語る。
F-3 映画『マトリックス』は、「コンピューターによって見せられている幻」としての世界と、「コンピューターに管理された真の身体」が属す世界(「コンピュータの国」)について語る。
F-4 「自分たちの世界」の外側には、実は「原初の海」(『マハーバーラタ』の神話)や「コンピュータの国」(映画『マトリックス』)のような「真の現実の世界」があるのかもしれない――。
F-4-2 『マハーバーラタ』の神話でも、また映画『マトリックス』でも示されたように、われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある。つまりこの「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないかと、疑っている。
(1)「人為的に作り出された虚構」と「神が作り出した虚構」!
A 現代のゲーム世界は「人為的に作り出された虚構」だ。神話においては、全世界が「神が作り出した虚構」だ。
《感想》たとえ「神が作り出した虚構」と言おうと、「圧倒的な生きる苦痛」(生老病死)、「抑えがたい衝動・欲望」という「現実」が君を支配する。「現実」を生きる君にとって、それら「苦痛」(Ex. 拷問の苦痛、火あぶりの苦痛)・「衝動・欲望」(Ex. 性衝動)が「虚構」であるなどありえない。
(2)ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ!
B インドの神話において、ヴィシュヌ神の「不思議な呪力」すなわち「マーヤー」とは、「世界を作り出す力」だ。
B-2 ナーラダ仙が、苦行の果てにヴィシュヌ神の恩寵を得て、ヴィシュヌに「あなたのマーヤーを示し賜え」と願う。ヴィシュヌ神が、ナーラダを従え、太陽が照りつける荒漠とした道を進む。ヴィシュヌ神が「喉が渇いたから近くの村から水を汲んでくるように」とナーラダに頼む。
B-3 ナーラダは村へ行き、一軒の家で水を請う。家から一人の美しい娘が出て来る。ナーラダは本来の目的を忘れる。ナーラダはその娘を娶り、12年の歳月が流れ、ナーラダには3人の子もあった。
B-3-2 ある日、大洪水が起こり、家は流され、妻も3人の子も濁流にのまれ死んだ。ナーラダも流され岩の上に打ち上げられ、あまりの不運に泣き崩れた。
B-4 その時、聞きなれた声がナーラダを呼ぶ。「私が頼んだ水は何処にあるのか。私は30分以上もお前を待っている。」ナーラダが振り返ると、濁流が渦巻いていた場所には、ただあの荒漠たる地があるのみだ。ヴィシュヌ神が言った。「私のマーヤーの秘密を理解したか?」
B-4-2 ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ。
B-4-3 「マーヤー」はサンスクリット語で、一方で「作り出す」という意味であり、他方で「幻」という意味だ。
《感想》世界はヴィシュヌ神によって「作り出された幻」だと、神話は言う。「神」にとっては「現実世界」は「幻」かもしれないが、「人間」は「現実世界」を生きる。「現実」の「苦痛」そして「衝動・欲望」において、「人間」は生きる。
《感想(続)》かくて人間は「現実」が「幻」であってほしいと願う。「人間」は、「現実世界」は「神が作り出した虚構」だと信じたい。
《感想(続々)》さらに「死」の不可避性が、個々の「人間」に「現実世界」の相対性・脆弱性を示す。個々の「人間」にとって、「現実世界」は「死」と共に滅ぶ。「死」の前で現実世界は「幻」に等しい。
C 神は「マーヤー」(幻力)により、万物をからくりに乗せられたもののように回転させる、つまり世界を創造し、維持し、破壊する。(Cf. 『バガバッド・ギーター』)
(3)映画『マトリックス』:「人間」は「現実」の世界を知らず、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる!
D アメリカの映画『マトリックス』(1999)(Cf. 「マトリックス」は母体・基盤・行列・鋳型・発生源の意)は、人々の暮らす世界がその「人間」自身も含めて「コンピューターによって作られた仮想現実」だとして描く。「現実」(「仮想現実」ではない)においては「人間」は「培養槽の中に入れられ」ており「機械(コンピューター)」のエネルギー源になっている。「現実」においては「人間」は「機械(コンピューター)の奴隷」である。「人間」は、「現実」の世界を知らずに、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる。
(4)マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びた世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神の体内」に全て存在していた!
E 『マハーバーラタ』に次のような神話がある。マールカンデーヤ仙は世界の終末を体験する。終末の時、カリ・ユガの終わりに至ると、世界は異変を生じ、激しい干ばつが生じ、あらゆる生き物が滅亡した。七つの燃えたつ太陽により、全てが燃やされ灰となった。「終末の火・サンヴァルタカ」が地底界も焼き、そして神々も悪魔も、ガンダルヴァもヤクシャも蛇もラークシャサも一切が滅んだ。
E-2 すると稲妻にかざられた、不思議な色の雲が空に湧き上がり、雷鳴をとどろかせながら12年間にわたり雨を降らせ世界を水浸しにした。マールカンデーヤ仙はその「原初の水」の中を一人ただよっていた。
E-2-2 やがてある時、水中に大きなバニヤン樹があるのをマールカンデーヤ仙は見た。枝の中に神々しい敷物を敷いた椅子があり、卍の印をつけた一人の童子がそこに座っていた。童子が言った。「そなたが疲れて休息を願っていることは知っている。さあ、私の体内に入って休みなさい。」童子はそう言うと口を開けた。私はその口の中に入った。
E-2-2-2 そこには全地上世界が拓かれていた。海獣が住む広大な海、月や太陽の輝く天空、森を抱く大地。バラモン、クシャトリヤ、農業を行うバイシャたちが生活し、山々があり、多くの獣が大地を歩き廻っている。神々がいて、ガンダルヴァ(インドラまたはソーマに仕える半神半獣の奏楽神団;天界の音楽師;アプサラスを配偶者を配偶者とする)やアプサラス(天女、妖精、水の精の類、天の踊子)、ヤクシャ(悪鬼)、聖仙、悪魔たちがいた。童子の体内には全てのものがあった。私は百年以上もそこにいた。
E-2-2-3 マールカンデーヤ仙が願うと、突風が吹き、童子の開いた口から外に吐き出された。その童子の姿をしたお方こそ、至高の主(アルジ)「ヴィシュヌ=クリシュナ」その方であった。
(5)われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある!この「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないか?
F マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びたはずの世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神」の、体内に全て存在していた。
F-2 この『マハーバーラタ』の神話は、「ヴィシュヌ神の体内で展開される世界の営み」と「その外側にある原初の海」について語る。
F-3 映画『マトリックス』は、「コンピューターによって見せられている幻」としての世界と、「コンピューターに管理された真の身体」が属す世界(「コンピュータの国」)について語る。
F-4 「自分たちの世界」の外側には、実は「原初の海」(『マハーバーラタ』の神話)や「コンピュータの国」(映画『マトリックス』)のような「真の現実の世界」があるのかもしれない――。
F-4-2 『マハーバーラタ』の神話でも、また映画『マトリックス』でも示されたように、われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある。つまりこの「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないかと、疑っている。