宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

オウィディウス(前43-後18)『変身物語』(上)「巻4」(36)「サルマキス」:水の妖精サルマキス(女)の願いによって男女合体し、少年(男)は「男女」(オトコオンナ)(両性具有者)に変わった!

2022-08-18 15:39:10 | Weblog
ミニュアスの3人の娘のうち最後に、アルキトエが催促を受け、話を始めた。彼女らは、バッコスの祭りに参加せず家の中にこもり、機織(ハタオリ)をしていた。
(1)アルキトエは水の妖精(ニンフ)サルマキスの話を始めた。サルマキスは、底まで水の澄んだ透明な美しい池に住んでいた。その池に、メルクリウス(ヘルメス、Hermes)とウェヌス(ヴィーナス、アフロディテ、Aphrodite)の間に生まれた子ヘルム=アプロディトス(ヘルマプロディトス、Hermaphroditus)がやって来た。彼は15歳だった。妖精サルマキスは狩猟が嫌いで、ディアナ女神のお供もせず、自分の泉にからだを浸したり、花を摘んだりしていた。
(2)そこにヘルマプロディトスの姿をみとめ、とたんに妖精サルマキスは彼を自分のものにしたいと思った。サルマキスは、少年に話しかけた。「あなたにはお許婚者(イイナヅケ)がいるのですか。その方は、最もおしあわせな方ですわ!そんな方がおありなら私は浮気のお相手でいいです。誰もおありでなければ、私たち、結婚することにいたしましょう。」
《感想》若い少年に対し、おそらくずっと年長の妖精(ニンフ)サルマキスの積極的・挑発的な誘惑だ。
(3)水の精サルマキスはここで言葉を切った。少年は顔が赤くなった。彼は愛とはどういうものか、まだ知っていなかった。サルマキスは接吻しようとした。その彼女に「やめてったら!」と少年は言った。「でなければ、あちらへ行く。君にもこの場所にも、さようならだ。」サルマキスはおののいて、「どうぞお好きなように」と言い、その場を立ち去るふりをして、茂みに隠れしゃがんだ。
(4)少年は、もう誰もゐないと思い、衣服を脱ぎすて美しい泉に飛び込み、泳ぎ始めた。水の精サルマキスは「私の勝ちよ。とうとう手に入れたわ」と叫び、衣服をかなぐり捨て水中に飛び込んだ。サルマキスは、あらがう少年ヘルマプロディトスをつかまえ、無理強いに接吻をうばい、蛇のように巻きつく。サルマキスは、少年に身体を押しつけ、まるで糊づけされたかのように全身を合わせた。
(5)そして水の妖精サルマキスは「神さま、どうかお願いです、私とこの人を引き離さないでくださいますように!」と祈った。するとこの願いを神々はお聞き入れになった。ふたりのからだは混ざりあって合一し、見たところ、ひとつの形になってしまった。ふたりは、しっかりと抱き合って合体した。「この泉は、男であった自分を『男女』(オトコオンナ)(両性具有者、androgynos、アンドロギュノス)に変えてしまった」と少年は嘆いた。
(6)少年ヘルム=アプロディトス(ヘルマプロディトス、Hermaphroditus)はもう男らしさを失った声で言った。「お父さん(ヘルメス、Hermes)、お母さん(アフロディテ、Aphrodite)!息子の願いを、どうか聞き届けてください。この泉に浴した者は、そこを出るとき『男女』となっていますように!」両親(ヘルメスとアフロディテ)は息子ヘルム=アプロディトスの言葉を聞き入れ、不浄の魔力をこの泉に与えた。

《参考1》プラトン『饗宴』の中でアリストファネスが両性具有について語る。かつて人間は「男男」と「女女」と「男女」(両性具有)三種がいた。それぞれが背中合わせに二体一身の状態だった。つまり、いずれも手足が4本ずつ、顔と性器も2つずつあった。ところが、ゼウスがそれらを両断したため、手足が2本ずつ、顔と性器が1つずつの「半身」となった。その後、人間(半身)はそれぞれが残された半身に憧れて結合しようと求め合った。それが男男の同性愛、女女の同性愛、男女の異性愛である。

《参考2》アリストファネスの演説(抄)(プラトン『饗宴』より)(生田春月訳、越山堂、大正8/9/27発行)
「私はまづ諸君に人間の原始性を語り、またいかなる変化が生じたかを述べて見よう。即ち原始の人間は現在とは全然相違してゐたのである。人間の性(セツクス)は現在に於ては男女両性にわかれてゐるけれども、原始時代にあつては、三つの性に、即ち男性、女性、及び両性合一の三性にわかれてゐたのである。その両性合一のものは、今では絶滅してしまつて、ただそのアンドロギュノスといふ名称(なまへ)ばかりが、嘲弄の意味を帯びて残つてゐるに過ぎない。」
「つぎに原人の全体(からだ)は球形をなしてゐて、背中と胸とは輪のやうに連つてゐて、四本の手と四本の足とを有してゐた。円形の頸の上には反対の方向に向いた二つの顔がついてゐて、おなじ一つの頭を戴いてゐた。その顔は二つとも細かなところまで同一であつた。耳は四つあるし、陰部は二つあつた。」
「ゼウスがいろいろ考へた末に言つた、『余は今一つ名案を得た、この方法によれば彼等人間どもを滅ぼさないで、しかもよくその傲慢心をくぢき、その行動を改めさせることが出来よう。それは彼等を二つに断ち切つてしまふのだ。かうすれば、彼等はその力が弱くなると同時にその数を増すから、我々に取つては益々好都合である。そして彼等は二足をもつて直立して歩くやうになるだらう。』」
「人間はかうして両断せられると、互ひにその半分を求めて、両手で抱き合つて、一体に還らうと欲(ねが)つた。」
「我々はいづれも、その別々になつてゐる時は丁度割符か、又は一面しかない平目魚(ひらめ)のやうなものである。それ故常に他の半分を探し求めてゐる。両性人、即ちアンドロギュノスと呼ばれてゐた者の両分せられて出来た男子は、女子を愛するもので、かの多情な男子は通例この種族から出たものである。また男子を愛する多情な女子もさうである。」
「けれども女性から両分せられた女子は、男子を棄てて顧みず、ただ女子のみを愛する。」
「それから男性の両分せられて出来た男子は男子を求め、その少年時代には、その男性の半分として成年男子を愛してその傍らに横はつてこれを抱擁することを好む。・・・・成年に達すると、彼等は青年を愛するやうになつて来る。そして結婚したり子供を儲けたりすることは天性その好まないところである。」
「我々の原始性はもと一にして完全なものであつたので、我々はこの完全なる一体たらんとする慾望を不断に有してゐる・・・・。そしてこれが即ち愛(エロス)である。」

★バルトロメウス・スプランヘル(Bartholomeus Spranger)『サルマキスとヘルマプロディートス』 (1580年頃)

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