1 神山高校古典部
舞台は神山高校(神高)。高1の折木奉太郎(ホータロー)、千反田(チタンダ)える、福部里志、伊原摩耶花(イバラマヤカ)が登場する。
ホータローの姉が折木供恵で昔、文芸部。ホータローも文芸部に入る。
千反田が文芸部長。
神山高校の文化祭はカンヤ祭と呼ばれる。古典部は文集を出す計画。
2 「古典部にまつわる何か」
千反田の伯父、関谷(セキタニ)純は33年前、1967年、古典部長で高2だった。
千反田が幼稚園児だったとき、何でも答えてくれた伯父が、渋って答えてくれなかった「古典部にまつわる何か」があると、千反田が言う。
伯父がようやく答えてくれた後、それを聞いて千反田が泣いた。
千反田は、この時の事情がいったい何だったのか知りたくて、古典部に入った。
3 文集『氷菓』第2号(1968年):前年、関谷古典部長の「偽りの英雄譚」事件
ホータローたち4人は、まず古典部の文集のバックナンバーを探す。
彼らは文集を発見する。文集の名前は『氷菓』。
第2号(1968年)の「序」を、古典部長の郡山養子が書く。
この「序」が、前年の1967年の古典部に関わる事件、つまり古典部の関谷先輩の「偽りの英雄譚」について述べる。
『氷菓』の表紙の図柄は、犬と兎が噛み合い、他の多くの兎がそれを眺めているというもの。
4 文化祭短縮への抗議闘争と勝利&関谷古典部長の退学処分:33年前(1967年)
文芸部のホータローたち、4人が33年前(1967年)の古典部に関わる事件の謎解きをする。
この年、4月、校長が平日5日間の神山高校の文化祭を、土日2日間に短縮すると発表。校長は勉学の重視を目指す。
6月、生徒たちが抗議する。
その時の生徒側代表が古典部長、関谷(セキタニ)純(千反田の伯父)。
抗議の結果、文化祭は従来どおり5日間が維持される。
彼は「英雄」となる。
しかし10月カンヤ祭の終了後、退学処分。
カンヤ祭とは「関谷(セキタニ)」祭の意。
5 33年前(1967年)の真実:関谷古典部長が貧乏くじを引く
しかしこの事件が「偽りの英雄譚」と呼ばれるのは何故か?
その昔、幼稚園児の千反田が泣いたのは何故か?
『氷菓』の「序」を書いた郡山養子は実は、現在の神高の司書、糸魚川養子先生。彼女は関谷先輩の事件があった翌年(1967年)の古典部長だった。
糸魚川先生の話は以下の通り:
関谷は望んで生徒の盾になったわけではない。当時、文化祭はまるで暴動みたいだった。学校側の文化祭短縮案に対し、生徒側が『6月闘争』。
ところが処分をおそれた生徒たちは関谷古典部長に貧乏くじを引かせる。彼は名目のリーダー。
そして授業ボイコットの夜、抗議集会のキャンプファイヤーで、誰かが格技場に放火。
文化祭後、名目上のリーダー、関谷古典部長が退学処分を受ける。
これは確かに、「偽りの英雄譚」!
6 氷菓=アイスクリーム=“I scream.”
『氷菓』の表紙の図柄で、噛み合う犬は学校側、兎は関谷純。周りで見ている兎は関谷に責任を負わせた他の生徒たち。
古典部の文集の名称を『氷菓』と決めたのは関谷部長。退学を予感した彼が『氷菓』の名を望んだ。
千反田はその昔、幼稚園児のとき、「『氷菓』って何?」と伯父の関谷に尋ねた。
氷菓とは、アイスクリーム。
氷菓=アイスクリーム=“I scream.”
「弱かったら悲鳴も上げられずに死ぬ日が来る。僕は悲鳴を上げる。」と伯父が言った。
幼稚園児だった千反田は「生きたまま死ぬんだ」と思い怖くて泣いた。
関谷純の無念。
7 伯父の墓参り
千反田の伯父、関谷純は10年前、マレーシアにわたり、7年前から行方不明。7年経過すれば死亡宣告される。
千反田は自分が知りたかった事情が分かり、伯父の墓参りに行く。
《評者の感想》
A いじめの物語?or関谷純の侠気?
関谷純の「無念」とあるが、彼にとって「無念」だけだったのか?
これはいじめの物語か?
単なるいじめの物語だとしたら、悲しい話。
関谷純に侠気もあったはずである。彼は名目であれリーダーを引き受けたから。
B 高校退学後の関谷純の軌跡が知りたい
高校退学後、彼は再び高校入学を目指すことができたはず。通信制や大検もあった。
その後の関谷純の軌跡が知りたい。
B-2 彼が本当に死んだわけではない
何故、彼はマレーシアに渡ったのか。
行方不明になって彼は何をしていたのか?
日本で法的に死亡宣告されるとしても、彼が本当に死んだわけではない。彼は今、何をしているのか?
舞台は神山高校(神高)。高1の折木奉太郎(ホータロー)、千反田(チタンダ)える、福部里志、伊原摩耶花(イバラマヤカ)が登場する。
ホータローの姉が折木供恵で昔、文芸部。ホータローも文芸部に入る。
千反田が文芸部長。
神山高校の文化祭はカンヤ祭と呼ばれる。古典部は文集を出す計画。
2 「古典部にまつわる何か」
千反田の伯父、関谷(セキタニ)純は33年前、1967年、古典部長で高2だった。
千反田が幼稚園児だったとき、何でも答えてくれた伯父が、渋って答えてくれなかった「古典部にまつわる何か」があると、千反田が言う。
伯父がようやく答えてくれた後、それを聞いて千反田が泣いた。
千反田は、この時の事情がいったい何だったのか知りたくて、古典部に入った。
3 文集『氷菓』第2号(1968年):前年、関谷古典部長の「偽りの英雄譚」事件
ホータローたち4人は、まず古典部の文集のバックナンバーを探す。
彼らは文集を発見する。文集の名前は『氷菓』。
第2号(1968年)の「序」を、古典部長の郡山養子が書く。
この「序」が、前年の1967年の古典部に関わる事件、つまり古典部の関谷先輩の「偽りの英雄譚」について述べる。
『氷菓』の表紙の図柄は、犬と兎が噛み合い、他の多くの兎がそれを眺めているというもの。
4 文化祭短縮への抗議闘争と勝利&関谷古典部長の退学処分:33年前(1967年)
文芸部のホータローたち、4人が33年前(1967年)の古典部に関わる事件の謎解きをする。
この年、4月、校長が平日5日間の神山高校の文化祭を、土日2日間に短縮すると発表。校長は勉学の重視を目指す。
6月、生徒たちが抗議する。
その時の生徒側代表が古典部長、関谷(セキタニ)純(千反田の伯父)。
抗議の結果、文化祭は従来どおり5日間が維持される。
彼は「英雄」となる。
しかし10月カンヤ祭の終了後、退学処分。
カンヤ祭とは「関谷(セキタニ)」祭の意。
5 33年前(1967年)の真実:関谷古典部長が貧乏くじを引く
しかしこの事件が「偽りの英雄譚」と呼ばれるのは何故か?
その昔、幼稚園児の千反田が泣いたのは何故か?
『氷菓』の「序」を書いた郡山養子は実は、現在の神高の司書、糸魚川養子先生。彼女は関谷先輩の事件があった翌年(1967年)の古典部長だった。
糸魚川先生の話は以下の通り:
関谷は望んで生徒の盾になったわけではない。当時、文化祭はまるで暴動みたいだった。学校側の文化祭短縮案に対し、生徒側が『6月闘争』。
ところが処分をおそれた生徒たちは関谷古典部長に貧乏くじを引かせる。彼は名目のリーダー。
そして授業ボイコットの夜、抗議集会のキャンプファイヤーで、誰かが格技場に放火。
文化祭後、名目上のリーダー、関谷古典部長が退学処分を受ける。
これは確かに、「偽りの英雄譚」!
6 氷菓=アイスクリーム=“I scream.”
『氷菓』の表紙の図柄で、噛み合う犬は学校側、兎は関谷純。周りで見ている兎は関谷に責任を負わせた他の生徒たち。
古典部の文集の名称を『氷菓』と決めたのは関谷部長。退学を予感した彼が『氷菓』の名を望んだ。
千反田はその昔、幼稚園児のとき、「『氷菓』って何?」と伯父の関谷に尋ねた。
氷菓とは、アイスクリーム。
氷菓=アイスクリーム=“I scream.”
「弱かったら悲鳴も上げられずに死ぬ日が来る。僕は悲鳴を上げる。」と伯父が言った。
幼稚園児だった千反田は「生きたまま死ぬんだ」と思い怖くて泣いた。
関谷純の無念。
7 伯父の墓参り
千反田の伯父、関谷純は10年前、マレーシアにわたり、7年前から行方不明。7年経過すれば死亡宣告される。
千反田は自分が知りたかった事情が分かり、伯父の墓参りに行く。
《評者の感想》
A いじめの物語?or関谷純の侠気?
関谷純の「無念」とあるが、彼にとって「無念」だけだったのか?
これはいじめの物語か?
単なるいじめの物語だとしたら、悲しい話。
関谷純に侠気もあったはずである。彼は名目であれリーダーを引き受けたから。
B 高校退学後の関谷純の軌跡が知りたい
高校退学後、彼は再び高校入学を目指すことができたはず。通信制や大検もあった。
その後の関谷純の軌跡が知りたい。
B-2 彼が本当に死んだわけではない
何故、彼はマレーシアに渡ったのか。
行方不明になって彼は何をしていたのか?
日本で法的に死亡宣告されるとしても、彼が本当に死んだわけではない。彼は今、何をしているのか?