宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『戦後六〇年史、九つの闇』有森隆(2005) 2008/12/30

2008-12-30 22:21:43 | Weblog
戦後の経済史を人物中心に見た本である。
 Ⅰ“元国土会長、堤義明”:コクドは非上場企業だが、かつて上場されていた西武鉄道の株を所有し筆頭企業だった。(Cf. 筆頭企業(親会社)が非上場の上場企業は50社近くある。)有価証券報告書の虚偽記載で西武鉄道は2004年、上場廃止となる。父は堤康次郎で旧皇族の屋敷跡にプリンスホテルを建てる。三男の堤義明がコクド、西武鉄道、プリンスホテルを継ぐ。長野冬季五輪(1998)はツツミ五輪と言われた。長野新幹線軽井沢駅ができ5つのゴルフ場、2つのホテルを持つ堤義明に大きな利益をもたらす。
 
Ⅱ“戦後最大のフィクサー、児玉誉士夫”:戦争中、特務活動を行った児玉機関の責任者。戦後、巣鴨プリズンに収容される。大量のダイヤモンドなど資金を持っていた。ロッキード事件ではロッキード社から約700万ドル(約15億円)を受け取ったとされるが1984年に死去。

 Ⅲ“総会屋の歴史”:総会屋はもともとバンザイ屋などと一緒で会社のために働く。1946年、三井・三菱・住友など資本金1億円以上の大企業250社の常務以上2200人が公職追放となる。三等重役が誕生し彼らは株主総会乗り切りに総会屋を頼む。ベトナム反戦運動でベ平連の一株株主運動(対三菱重工など)があった1970年代が総会屋全盛時代である。当時約6800人の総会屋がいたという。情報誌を企業が買い上げるなどして資金を提供した。(その鬼子が総会屋木島力也の『現代の眼』である。)
1982年商法改正で総会屋への利益供与禁止となり総会屋の雑誌が全滅。総会屋は約1700人と激減する。1997年の利益供与要求罪の罰則が半年から3年となり、総会屋はさらに減り2003年には約390人となる。現在はダミー会社への融資、海の家利用、植木リース、土地の安値譲渡などの形で総会屋に金を渡す。Cf. 栗田美術館は総会屋の趣味の産物である。

 Ⅳ“相場師列伝”:日露戦争バブルの時の鈴久(鈴木久五郎)が日本の株成金第1号である。明治恐慌(バブル崩壊)のとき売りで勝利したのが野村證券の野村徳七である。山種証券の山崎種二は空売りが2・26事件の大暴落で大成功する。
戦後、近藤紡績の近藤信男は伝説の怪物相場師と呼ばれる。もともと紡績は相場経営であり綿糸・綿花の相場が会社の命運を左右した。近藤信男は相続税対策が万全だった。庶民の英雄とされた是川銀蔵は関東大震災でトタン・釘・ブリキを買いまくり相場に必要な金を作る。また「資本主義は崩壊せず」と研究の後、確信して株の世界に入る。1981年の住友鉱山の菱刈金山発見のときの相場で約200億円を儲ける。是銀は丹念に日経を読めばたいていのことはわかると予測を的中させたりした。

 Ⅴ“三菱自動車”:1990年代米国三菱でセクハラ問題が起きるが事態の重大さに気づかず結局、訴訟に負け380人に3400万ドル(48.6億円)を払う。また2002年にタイヤ脱落事故で死亡者を出すがこれは1992年以来放置していたもので整備不良とユーザーに責任を押し付けていた。三菱御三家(三菱重工・三菱銀行・三菱商事)に守られ驕っていた。
 Ⅴ-2“名門カネボウの解体”:カネボウは家族的・同志的・師弟的運命共同体との理念に支配され、労組との二人三脚の経営をするが、これが2004年粉飾決算事件の原因となった。結果として内部のかばいあいとなり繊維部門の処理を先送りし致命傷となった。

 Ⅵ “UFJ銀行”:三和と東海の合併でUFJ銀行が生まれるが三和が支配するにいたる。そして三和の派閥抗争が引き継がれUFJの大口問題融資先(Ex. ダイエー、日本信販、大京など)の処理があいまいにされ続ける。かくて不良債権のため巨額赤字へ。2003年には金融庁に対する検査妨害で元副頭取などが逮捕された。(これは2005年4月のペイオフ解禁が前提の逮捕であり金融機関の透明性の確保が必須とされたためである。)2004年にはUFJ救済のため三菱東京に合併される。

 Ⅶ“森ビル”森稔(モリミノル)社長は東大時代からサルトルに傾倒していたが街づくりを自己の使命と回心する。その理念の実現が六本木ヒルズだった。小泉首相は都市再生のモデルケースとしてこれを後押しする。2002年都市再生特別措置法は3分の2で都市再開発ができるとするアーバンニューディール政策を推進した。

 Ⅷ“ハゲタカファンド”:外資系ファンド、リップル・ウッドは破綻した長銀に約1200億円投資するが公的資金で救済され新生銀行となる。リップル・ウッドはすでに2200億円のキャピタルゲインを得た。今後、順調ならさらに2900億円+1200億円の利益を得る見通しである。Cf. 日本債券信用銀行はあおぞら銀行となった。

 Ⅸ“竹中平蔵元金融担当相による銀行の特別検査:一種の裁量行政”竹中元金融担当相はフリードマンの「市場原理主義」の信奉者である。彼は2002年に小泉内閣の金融担当相となり「金融再生プログラム」(不良債権半減の竹中プラン)を発表する。金融庁が銀行への特別検査を行い厳格な裁量行政的な債務者区分を事実上強制する。2003年にはりそな銀行の実質国有化がなされる。またUFJ銀行の不良債権処理の過程で2004年ダイエーは産業再生機構に支援要請する。不良債権半減は三菱東京FGが2003年に達成。みずほFGと三井住友FGが2004年に達成。さらに三菱東京FGがUFJHDを2004年に統合し不良債権問題は終了した。


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