やっと梅雨入りした。果樹や野菜や庭木や花や雑草は大喜びしているが、管理しているオーナーは辛い。降ったり止んだりの天気予報だと、作業計画が立たない。葉っぱも畑の土も乾く間がないので薬剤散布もできない。雨の合間・合間にやる作業も限られてくる。開き直るしかない。自然にお任せしてノンビリするしかない。
先日、文庫本以外は全て廃棄するつもりで書棚を整理したが、どうしても廃棄しがたい本があった。
3人から頂いた自費出版の本だった。いずれも高潔と評判だった人の本で、人生を振り返った内容だった。ライターが書いたのもあった。それぞれで年代は異なるが、戦前から昭和末期までの世相や仕事の内容や生活ぶりが書かれていた。その中の一人は、自分が人生の「師」と仰いでいた人だった。
数十年前のことだった。自分が「師」と仰いでいた方が執筆された時、なぜか原稿のチェックを頼まれた。後日、料理やお酒をご馳走になりながらの席で感想や意見を求められたので、恐れ多いと思いながら酔いと若さにまかせて思いついたままを述べた記憶がある。
我を忘れてヒートアップした苦い思い出は、今も脳裏に残っている。大して役にも立っていなかったのに、出版された本の「あとがき」には、協力者の一人として名前まで載せてくれていた。そんな本を、とても自分では捨てられない。
先日、いつも美味しいミカンを持って来てくれる「みかん作り名人」と出会った。今、彼はJA役員として業務に忙しく、農道や畑で出会うことはない。久しぶりに出会ったのは、葬儀会場だった。
和歌山市や東京出張の移動中の時間つぶしにでもどうかと思い、3冊の本のことを話してみた。「読んでみたい」と言ってくれた。彼のスケジュールを確認し、数日してから届けに行った。
部屋に入ると、壁際にかけられたビジネスカバンが目に入った。
「あのカバン、重宝している。でも全農の会議だと資料が多すぎて入らん。全部、説明する訳でもないのに資料だけがドッサリなんや。かなわんで」
かつて、自分が使っていたビジネスカバンが傷みもなく棄てるのも勿体なくて保管したままだったので、就任直後に出会った彼に、「使ってくれるんやったら」と申し出たところ、「貰う」と言ってくれたカバンだった。
カバンに続いて、3冊の本も彼が引き取ってくれた。「これ、廃棄するつもりの本やから、読んだら処分しといて」と頼んだ。
自分ではどうしても棄てられなかった本だったが、幸いにも彼に託すことができた。カバンも本も新たなオーナーのもとで活躍できて、さぞ喜んでくれているに違いないと思った。
どうしたものかと思い悩んでいた本だったが、これで肩の荷が下りたみたいで「さっぱりぽん」した。