HIBARIピアノ教室レッスン日記♪

ピアノのレッスン日記、その他ヒバリ先生が見聞きした音楽関係・芸術関係etcの日記。

楽譜は大事だけど、その前に

2011年08月18日 | 音楽のツボ
Mちゃん(中1):
夕方、バスケの部活が終わってからやってきました。
発表会に弾く、ショパンの「ワルツ69-1(別れのワルツ)」を練習しています。

くり返し現れる テーマとも言うべき「A」の部分は、大体おぼえて弾くことができるようになり、今月ぐらいからは、その続きの「B」の部分へと楽譜を進めています。

先生が 気をつけるポイントを示し「ここはこんな感じでやってごらん」と言うと、Mちゃんは数回楽譜を見ながら音を反芻し、そして鍵盤で弾くときには 楽譜を見ずに 読みとった曲を一生懸命に音にしています。
その姿には、全身を耳にして 音楽を再現しようとしているのが感じ取れます。

もちろん、子どものことですから、譜面の読み取りが甘かったり、音符の長さがあいまいだったりして、必ずしもきちんと楽譜が再現されてないことも しばしばあります。
事実、先生方は ほぼ100パーセント、「楽譜をしっかり見て弾きなさい」と言うはずですし。
しかし、楽譜に忠実であろうとする努力が最優先され、あたかもそれがピアノを弾く目的となってしまっては、本末転倒となりはしないでしょうか。

私は、感性のやわらかで豊かな子どもたちが、ピアノとの最初の出会いの段階で「ピアノ=勉強」と認識し それを固定観念としてしまうことを恐れます。
「美しいもの」「芸術」として まず音楽を感じ、表現することを、身をもって体験し 感じ取ってもらいたいと思っています。
もちろん、音大生であるとか、その準備段階の学生であるとかの場合は、徹底的に楽譜を深く読みとり、1つの音符、1拍のリズムにも細心の注意を払って分析していくことが大切です。
しかし、まだまだ初心者の子どもたちに、その譜読みをそのまま要求すると、それだけで時間もエネルギーもいっぱい・・・
音楽を表現するどころか、それを感じるところまでも行きつかないことも起こってきます。
それならばまず、音楽を感じることから先に・・・と、私は思っています。


「Mちゃん、Aの部分とBの部分が大体わかってきたね。来週は、AとB両方を、スラスラ弾けるように練習してきてね」
「ハイ!」
「Bの 躍動感のある感じは 元気よく弾けて、いいと思うんだけど、Aの、しっとりした部分がいまいち かわいげがないね~ ここ、何とかならんかね」
先生は、そう言って MちゃんのマネをしてAを弾いてみせました。
「ほら。なーんか、ボソーッとしてるっていうか、ソボクっていうかさ・・・なーんの色気もない」
「あはは、ほんとだ!」
Mちゃんは大受けです。
今度は、先生はしっとりと美しく、同じところを弾いてみました。
「ね?来週まで、ここの弾き方を、いろいろ工夫して やってみてね。何しろこの曲は、『別れのワルツ』って呼ばれてて、ショパンと、結ばれなかった恋人マリアとの悲しい恋の形見の曲なんだから」
「へー、そうなんだ」
「そうよ。結婚しようとしたんだけど、マリアの親に反対されてね。ショパンが別れに送ったこの曲を、マリアは箱に入れて、一生大切にしまっといたんだって」
「ショパンって、早く死んじゃったんだよね?」
「そう。39才でね。体弱かったし、お金ないし、それで親は反対したんだね」
「シューベルトも早く死んだよね?」
「シューベルトは31才よ。やっぱりお金ないし、病気でね」
「友だちたくさんいたけど、お金はなかったんだね」
「お金ないから、栄養状態悪くて病気になっちゃうんじゃない?病気になっても、医者にかかるお金もない」
「うわあ~・・・音楽家って、なんか悲しい話ばっかりだね」
「そんなんばっかだよ。体弱いし背は低いしさ。シューベルトもチビだし、ベートーヴェンは162センチぐらい、モーツァルトなんて155センチぐらいだったらしいよ。ベートーヴェンはチビの上にカオもまずくて首がないから、57才まで生きたけど、好きになった女性からはぜーんぶフられた」
「うわ~、悲しいね」
こんな調子で、レッスンの最後は「音楽家の悲しい話」で盛り上がったのでした。