根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

雷!

2008-07-12 18:01:44 | エッセイ、コラム
午後2時過ぎ、気持ち良く昼寝をしていたら、振動と共に不気味な低い音が響いてくる。
やばい雷だ!

雷が鳴っているという事は夕立がくる前兆でもあるので慌てて、朝干していた洗濯物を取り込む。

風も強く吹いている。
近くに雷が落ちた音もした。
空はやる気満々のようだ。
雨が降り出すのも時間の問題だろう。

洗濯物は取り込んだし、あとは雨が降ってくるのを部屋で待つだけ。
今日は完全に「夏」の東京でヒドく暑かったので、これで涼しくなるだろうと、期待していたのだが、待てど暮らせど雨の音がしない。
次第に遠ざかっていく雷の音。
挙げ句の果てには、陽まで差してくる始末。

ラジオを聴いていると、東京都心や東京湾岸では雨が降ったという事だったので、どうやら私が住んでいる武蔵野市周辺を雨雲は避けて通り過ぎて行ったらしい。
何か釈然(しゃくぜん)としない。
何故に降らない雨…。

さっき買い物に行ったら、夏の盛りの夕方のような、昼間の暑さを残した空気が街を覆っていました。
ひと雨きていれば涼しかったろうに。


写真はさっき武蔵野市北方に位置していた夏雲。
梅雨明けもあとちょっとかなぁ。

受粉完了?

2008-07-12 08:41:24 | エッセイ、コラム
写真は受粉を完了させたと思われる、ユリの雌しべの名残りと少し膨(ふく)らみかけている子房の様子です。
分かりやすいサンプルで理科や生物の時間を思い出します。
ちゃんと受粉していれば、この先雌しべが落ちて子房が熟成し、秋には種が出来るでしょう。

ユリが生えている根元には、こうして出来た種から発芽して、今年赤ちゃんユリ(花を付けるには3年かかるので、茎と葉だけのもの)になったものもあり、3年前にそうして発芽したものは、今年一輪だけ花を付けました。

こうして子孫を残していく植物はなかなか健気で面白いですね。

映画『純喫茶磯辺』

2008-07-12 07:36:12 | エッセイ、コラム
監督:吉田恵輔、出演:宮迫博之、仲里依紗、麻生久美子、濱田マリ、近藤春菜、ダンカン、ミッキー・カーチス、和田聡宏、斎藤洋介、他、の映画『純喫茶磯辺』を観てきました。


主人公は磯辺裕次郎(宮迫博之)。
妻・麦子(濱田マリ)と離婚して8年、やる気の感じられない、しがない水道工員を建築現場でやりながら、女子高生の娘・咲子(仲里依紗)と2人、公営団地で暮らしています。
そんな彼の元に父が亡くなった事から、結構な遺産が転がり込み、思い付きで、喫茶店を始めるべく裕次郎は動きだします。

娘の咲子のアドバイスも全く聞かず、出来上がった喫茶店は、基本は70年代や80年代前半までは、よくあった喫茶店の体(てい)、そこに統一感のまるでないインテリアで仕上げられたもので、さらに駄目押し的に裕次郎の趣味を反映させたであろうよく分からない小物が配置された、開店早々場末の雰囲気が漂う店です。
屋号は“純喫茶磯辺”。
今の時代、そんな店に入る客もなく、店内は閑古鳥が鳴く状態。
そこに、素子(麻生久美子)という女性が現れ、アルバイト店員になる所から、物語は具体的に転がり出します。


笑い所や、少しキュンとくるシーンもありますが、作品自体は可もなく不可もなく、といったものでした。

ダメな中年親父の裕次郎と女子高生の咲子の親子のやり取りは、実際にあるだろうな、という感じで、多少のディフォルメはあるものの、父親と難しい年頃の娘との関係をリアルに描いていたような気がします。

ダメだけれども憎めない親父・裕次郎を宮迫博之はそつなく演じ、咲子を演じる仲里依紗も、等身大の今時の女子高生を好演していました。
素子を演じる麻生久美子も捉え所のない女性を上手く表現していたでしょうか。
喫茶店に集うクセのある客たちも、ベテラン個性派俳優で固め、なかなか面白かったです。

“純喫茶磯辺”という存在が何を象徴しているかに気付けば、作品の深みも感じられるような気がします。

ただ駄作ではないですが、もうちょっと「何か」を加える事で、格段に良くなったような感じのちょっと惜しい映画でした。