根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

2008→2009

2008-12-31 06:20:28 | エッセイ、コラム
さて今年ももう残す所、18時間程になりました。
1人っきりでの大晦日に年越し、正月というのは私には慣れっこで別に珍しくもないのですが、今年は風邪なのかアレルギー性気管支炎なのかハッキリしない余計物に見込まれまして、部屋で足止めを喰らっております。
重症で熱にうなされウンウン唸っているという訳ではないのですが、完治もせず、ベッドに横たわったままです。
部屋にばかりいると気が滅入るので、一食だけを外食にして駅前の食事所に出向き食事を済ませ、必要なものを買い揃えて帰ってくる毎日です…。

12月20日封切りの正月映画を1本も観ていないという現実。
比較的病状は軽いとは言っても、それは薬で症状を緩和しているだけなので、人混みに出てウイルスを撒き散らすのも嫌ですし、繁華街で新たなウイルスを貰い、冷たい風に当たって病状が悪化しても病院は開いてなく、対応もしてくれないので、ここは映画どころではなく部屋で大人しくしておくしかありません。
もう少しでゴミ部屋だった部屋の大掃除も終わり快適に暮らせる筈だったのですが、それにもドクターストップが掛かってしまい、8割程度は綺麗になりましたが、そこで諦めざるを得ませんでした。

残った埃スペースには毎日除菌スプレーを噴射して急場を凌いでいます。


写真は私を取り敢えず、病気から救ってくれているアイテムです。
アレルギー性気管支炎にはイソジンはよくないとの話しなので新たにそれ以外のうがい薬も揃えなくちゃいけません。
全く余計な出費です。
鼻水などでティッシュもあっという間に無くなってしまったので、これも本日の日中に買いに行かなければなりません。

まぁ、そんなこんなで私の年末年始はアクティブに活動出来ないヒッキーの年末年始になりましたとさ(苦笑)。

ソウル・フード

2008-12-28 22:27:25 | エッセイ、コラム
相変わらず体調が良くならずご飯を食べ薬を飲んでは寝てばかりいます。

体の殺菌をしたくて、九州人のソウル・フードたる博多ラーメンを食べに行ってきました。
行ったのは「一風堂」という東京でも展開している博多ラーメン屋の吉祥寺店なのですが、ここにはニンニクが皮を剥いた状態で水に浸けてあるものがテーブルの上に置いてあり、そこには一緒にニンニクを一気にすり潰す器具が備え付けてあるので、既にすりおろした状態でビン詰めされているものと違い酸化してなく美味しいのです。

またモヤシをキムチ的に和えたものも置いてあり、それもこの店に行く時の楽しみであります。

今日食べたのは、ラーメンと何故か一風堂に置いてあるハンバーガーです。
ラーメンは何時も通り美味しく、ハンバーガーはバンズをパリッと仕上げていてこちらも美味でした。
ラーメンは一杯目は通常通りに食べ、麺の替え玉をした時に水に浸けてあったニンニクを全てすり潰し、紅生姜にゴマを入れて体の殺菌に励みました。
明日以降効果が出るといいのですが…。
何とか年を越さずに風邪かアレルギー性気管支炎を治したいものです!

インド料理屋のランチ

2008-12-27 01:49:48 | エッセイ、コラム
体調がかんばしくないので、薬膳料理として意味合いからインド料理屋のランチを摂りました。

カレーはキーマカレーと、ほうれん草とチキンのカレーを選び、小さなタンドリーチキンが付いているものを選択。
ライスはサフラン・ライスで、奥のでっかい物体がナンです。
食後にはチャイにしました。

チャイを一口飲んで甘くなかったので砂糖を所望し、やっぱりチャイは甘くないと、と現地人の店員に言うと、インドに行った事があるのかと訊かれ、15年前に行ったよ、と答え私が多少英語が出来ると分かると、最後には日本語から英会話に切り替わってしまいました。
すっかり錆びついている私の英会話能力だけに、少し長いセンテンスになると意味を汲み取るのが困難で、キーワードだけを拾い、相手の質問を推測しながらの返答になってしまいます。
店員はネパール人だったので、ネパールも一緒に回れば良かったのに、なんて事を言って、是非今度はネパールにも行ってくれとお願いされました(笑)。

行けたら行きたいもんですね、ヒマラヤも間近で見たいですし…。

しかし、独特のスパイスの香りが充満しているインド料理屋に入っただけで、随分前のインド旅行がフラッシュ・バックし、瞬間的にインドに跳んだ気がしました!

クリスマス・イヴのミサ!

2008-12-24 21:17:41 | エッセイ、コラム
本日は朝から体調を崩して日中一杯寝込んでいました。

こりゃ予定していたカトリック教会のクリスマス・イヴのミサへの参加は無理だなぁっと思っていたのですが、手持ちの総合感冒薬と鎮痛・解熱剤を飲んで大人しく寝ていたら、不思議と夕方には復活。

それで、予定通り吉祥寺にあるカトリック教会のミサに参加してきました。

単純に見学だけのつもりだったのですが、進行表と賛美歌集を渡され、儀式に沿ってやった事もない唱え言をしたり、今まで唄った事もない知らない賛美歌も周りに合わせて唄ってきました。
全くの予定外でしたが、楽譜は読めないものの耳は悪くないので、適当に合わせて積極的に声を出してきました(笑)。
途中、進行表でどこの部分を行っているのか分からない所があり、私が戸惑っているのを見つけた左隣りの女性がさっと教えてくれたりもし、つつがなくクリスチャンの行事に参加も出来ました。
ミサの最後には神父さんから「神の祝福」を受けるミサお決まりの儀式があり、信者さんたちはそこで列を作り神父さんからパンを分け与えて貰うのですが、私は信者ではないからと、それには参加しないつもりでいました。
すると、今度は右隣りの女性に促され「信者でなくても神の祝福は受けられるから」と、生涯で初めて神父さんより「祝福」を承ってきました。
信者でないとパンは頂けないのですが、「祝福」は受けられるのです。

こんな罪作りな私でもクリスマス・イヴは体験出来ました。
非常に厳かで、楽しい、正しいイヴの過ごし方が出来、現在とても幸せな気持ちに包まれています。

破壊と構築と…

2008-12-22 12:14:52 | エッセイ、コラム
最寄り駅の駅前で高層マンションの建設が始まりました。
半ば放置で荒れた状態でしたが、かつては武蔵野の農家の面影を残した屋敷と梅林があった場所です。
こうして東京という街が形成されてきたんだなっという想いです。
まだ多摩地区なので都心に比べたら緑がありますが、こういう無機質な物が建ってしまうと、なんだかなぁっという気持ちにもなります。
どうせ庶民には無縁な物ですし…。

掃除という厄介者!

2008-12-20 14:43:32 | エッセイ、コラム
しようがない事情から非常に苦手で死ぬほど嫌いな「掃除」をやっています。
これが全くもって難物でなかなか攻略出来ません。

私の教育に当たったのは戦中・戦後の物資難の時代に育った母で、その彼女の影響を如実に受けてしまい、あらゆる「物」を棄てられなくなってしまったのが「私」いう人物の性質の一つなのです。
いつか役に立つ日がくる、それは事実なのですが、基本的に狭い住環境の東京に於いて、この性質はかなりの障害になります。

掃除をする、つまりゴミを棄てる、それは「要る物」と「要らない物」の取捨選択という事で、一つ一つの「物」に愛着がある私にはその作業がかなりの難しい事なのです。
明らかにゴミである物を除き、雑誌や新聞にリーフレット、昔書いた走り書きなど、取捨選択に結構判断を要する物が沢山あり、それは文字通り山となって私の部屋の大部分を覆っています。
その山を一つ一つ崩しては取捨選択し、ゴミとそうでない物に分ける事、これはかなり時間を喰います。
棄てたらまた手に入れるのが困難な物も多いからです。
「想い出」も棄ててしまわなきゃいけないですし…。
まぁ、環境に応じて性格も変えないとイケナイんですけどね。
そして自分を変える事は非常に困難な事。


ホントに掃除は厄介なものです。

The Gift of Magi

2008-12-20 08:39:10 | エッセイ、コラム
クリスマスが近くなると読み返したくなる小説が二つある。

一つは今や世界的な作家になった村上春樹氏の出世作『ノルウェイの森』であり、もう一つはO・ヘンリ氏の有名な短編『賢者の贈り物』である。

私が受けた英語教育が未だに健在ならば、O・ヘンリ氏という作家のこの短編を知らないというのは、中高で真面目に「英語」、特に「リーダー」に取り組まなかったのと同義と言っても過言ではない。

「お伽話」として子供向けに書かれていたりもするのでその点でも有名なストーリー。

さっき朝の珈琲を淹れ、アチチッとそれを味わいながら、久し振りに読み返してみて思ったのは、この小説はクリスマスの本質を顕著な形で表した物語の一つであるという事。

ごく短いながらも、巧みな比喩表現に満ちた文章は非常に格調が高く、切なくも暖かいストーリーは『素晴らしい』というしかない。
一組のカップルがお互いがお互いを想い遣るが為に起こるちょっとした行き違いを描いたエピソードであるのだが、何とも微笑ましく心が動かされる。

クリスマスを控えた冬の日、こういった良書を読んでみるのも一興かと…。