根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

ポスト・オフィスにて

2006-01-07 16:13:15 | エッセイ、コラム
お金を下ろしに郵便局に行く。
郵便局のキャッシュ・ディスペンサーの前には長い行列
が出来ていた。
週末の夕方という元々混む時間帯である事に加え、一人
のオバサンが払い戻しや入金、振込みといった作業を延
々とやっているのが長い行列の原因らしい。
軽く舌打ちをしながら行列の最後に並ぶ。
並び始めてから数分経ってもオバサンの作業は続き、すっ
かり退屈してしまった私は何時の間にか妄想の世界に入
ってしまっていた。

妄想の内容は「今、この郵便局で強盗事件が発生したら」
というものだった。
犯人が持っている凶器がピストルだったら大人しくしていよ
う、しかしナイフや包丁の刃物系だったら私にも勝機がある
かもしれない。
剣道の心得があるので長い棒があれば勝てるか。
さて長い棒は…、そう思いながら実際に郵便局内で長い棒
を目で探す。
残念ながら郵便局の中には長い棒はなかった。
そうなるとここで戦いに使えそうな物は立て看板か。
立て看板を振り回せば犯人を撃退できるかも知れない。
立て看板には大きな物と小さな物がある。
どっちを使う?
大きい方が犯人との距離が保てて安全だ。
しかし、大きい方だとこの小さな郵便局内で振り回しにくく、
そこでもたついたりしてる間に犯人にスキを衝かれて刃物で
刺されてしまう。
とすると、小さな方が扱い易い分、戦いには適しているか…。
実際にそんな事になったら何にも出来ないに決まっているの
に、妄想の中の私は戦う気満々なのである。

こんな具合いにそこに居もしない強盗犯とどう戦うか、なんて
下らない事を考えていた時に一人の男が郵便局に入って来
て、まっすぐ窓口に向って行った。
黒のコートに黒のスラックス、そして頭には黒のニット帽という
全身黒の服の男。
手には大きなアタッシュ・ケースを持っている。
怪しい、そう感じた私はさり気なく男の事を観察し始めていた。
男はアタッシュ・ケースをカウンターに置いて何かを取り出そう
としていた。
きっとあのアタッシュ・ケースから凶器を取り出して窓口の女性
に付きつけるに違いない。
さっき迄妄想に耽っていた為、私の頭の中からは男が普通に
郵便物を発送しに来たという考えは完全に消えてしまっていた。
男は細長い物を取り出し窓口の女性に向けている。
わぁ、ホントに凶器を取り出したよ。
妄想が現実になってしまった。
そう思った矢先、窓口の女性はにっこりと微笑み男が差し出し
た細長い物を受け取っているじゃないか!
???
もう一度その細長い物を見てみるとそれは図面などを傷つけな
いように郵送する為に使うトイレットペーパーの芯を大きくしたよ
うな筒状の物だった。
つまらない妄想をしていると何でもない事でさえも凶悪事件に思
えてしまう。

我に返り一人苦笑しながら列の先に目をやるとまださっきのオバ
サンは作業を続けていた。
もう並び始めてから10分程。
自分がこの列を作り出している事にはまるで気付いていないらし
い。
まったく、どいつもこいつも。

正月休み

2006-01-04 16:32:27 | エッセイ、コラム
静かな正月だった。元々正月で街から出る生活騒音が少
ないのと、アパートの隣りと上の部屋の住人が帰省か何
かで留守にしているせいで彼らの出す物音が一切しない
為だ。しかし、他人の出す物音は何故にあんなに不快な
のだろうか。

正月という事で勢い込んで図書館で借りた20冊の本であ
るが今の所半分くらいしか読めてない。
同じような事は食料にも言えて、正月を前に色々買い込ん
でしまったが結局の所あまり消費出来ず、冷蔵庫には食べ
ないまま賞味期限を迎えてしまった食材が幾つか残ってい
る。正月となると『店が休み』という感覚がなかなか抜けな
い。

子供の頃はデパートやスーパーにもちゃんと正月がやって
来ていたように記憶しているが、何時の間にか「正月も休ま
ず営業」だったり、前倒しで「初売りは2日」だったりで気が
付くとなし崩し的にああいった店には正月休みがなくなって
しまっている。サービス業とはいえ、そこまでサービスしなく
ても…、というのが率直な感想だ。不景気の中、何とか利
益を出そう一生懸命やっている事なのだろうが正直無粋と
いうしかない。

昔、ヨーロッパを旅した時、日曜に殆どの店やオフィスが閉
まってしまう事で一日動きが取れず、また次の街への移動
の算段も付かず、結果的にその街での滞在を一日伸ばさな
くてはならなくなって困ってしまった思い出がある。
あそこまでやると行き過ぎの感もあるが、どこか潔さを感じた
のも事実だ。休日は休日であって労働をする日ではないのだ。
その国はカソリックの国だったので、日曜は安息日であると
いう宗教的な習慣が生活の中に深く浸透している、というの
もあったのだろうけれど…。

正確な事は忘れてしまったが、私の記憶が正しければ、確か
江戸時代までの日本には日曜日という概念がなく、休みと言
えば「盆暮れ正月」だけだったという。つまり、6日働いて1日
休みというのは明治期になって初めて実現した労働形態だと
いうのだ。スーパーなどの店員はもちろん交代で休みを取って
はいるのだろうが、「年中無休」で営業する現在の風潮は日本
が近代化していく中でせっかく得られた権利を自ら放棄してし
まっているように思える。しかも日曜日がなかった江戸時代で
さえ正月にはちゃんと休んでいたというのに。

確かに年中無休や24時間で営業してくれていればうっかり買
い物をし忘れた時には便利なのであるが、それも慣れの問題
だと思う。少し前まではスーパーは週の半ばには店休日があ
ったし、営業も夜の7時8時には終了していて、我々はそれを
当たり前の事として生活していたではないか。正月の営業も3
日か4日くらいからだった。日本人なんだし正月くらいは消費に
邁進せず家族や友人そして恋人とゆっくり過ごそうよ。とは言っ
てもコンビ二やファミレス、ファスト・フードあるいは映画館など
には休まず営業して欲しいけれども…。