根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

初めてのAir-Mail

2009-07-30 21:31:55 | エッセイ、コラム
人生で初めて頂いたエア・メイルです。
1991年03月に帰省していた長崎から大学のある東京のアパートに戻って来るとポストに入っていました。
サークルの先輩が卒業旅行でインド・ネパール方面に出掛け、これはネパールから送付されたものです。
なんでも、カトマンドゥから東へ35kmのナガルコットという場所まで自転車で4時間掛けて行って来たとの内容!!

印刷に使う顔料や紙質の違いでしょう、明らかに日本の絵葉書とは違う外国の匂いがしました。

私が属していた大学のサークルは芸術系のものでしたが、何故か軽やかに海外一人旅をする人間が多かった所でした。
まだ電波少年の「猿岩石」以前で、今のように海外に長期間一人で行く事はあまり一般的でない時代でした。

沢木耕太郎の『深夜特急』もまだ文庫化されていない時代です。

この年の夏にはサークルの同級生がヨーロッパに行き、彼もまたフランスのリヨンから私にエア・メイルを出してくれました。

長崎で育った私には海外は夢のまた夢。
まして一人で出掛けて行く場所ではありませんでしたが、彼らの行為に触発され私もこの2年後にヨーロッパ一人旅を敢行しました。

そんな風に私の海外に対する認識を見事に変えた記念の一枚です。

half moon

2009-07-29 20:24:26 | エッセイ、コラム
♪いつまでも白でいてほしい
あの日と同じ色で

時が経ったら忘れちゃうかな
昼間に出てる間抜けなあの月を


「真っ白な月」 作詞:KAORI(川村かおり)


今夜25時からのニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」では急遽、川村かおりの追悼番組が放送されるそうですよ!!

川村かおり死去…

2009-07-28 19:44:09 | エッセイ、コラム
♪僕達はこの街じゃ 夜更かしの好きなフクロウ
本当の気持ち隠してる そうカメレオン
朝寝坊のニワトリ 徹夜明けの赤目のウサギ
誰とでもうまくやれる コウモリばかりさ

見てごらん よく似てるだろう 誰かさんと
ほらごらん 素直な君を…


川村かおり「ZOO」

詞・曲:辻仁成

ミュージシャンの川村かおり(現カオリ)が亡くなったそうです。
川村かおりは日本人の父とロシア人の母を持つハーフでした。
原宿のホコ天で踊っている所をECHOESの中心人物でミュージシャンだった辻仁成に見い出され、1988年11月、彼女はこの「ZOO」という曲でデビューしました。
1stアルバム『ZOO~365日の戦争~』は辻仁成のプロデュースによる作品でした。
スザンヌ・ヴェガを意識して作成されたというこの作品は地味ながら凛とした雰囲気に満ちた秀作だったのを覚えています。

ニッポン放送の深夜番組の「オールナイト・ニッポン」のDJも担当していました。

「若干18歳…」

そんなフレーズを連呼していた記憶があります。
発表する楽曲とは違いラジオでは弾けたキャラクターでした。
当時、スゴい勢いだった宮沢りえを軽く意識してみたり…(笑)。

ラジオで中継されたライヴでは先輩ミュージシャンに混じりながら合同ライヴでは、お決まりのラスト・ナンバー「ジョニー・ビー・グッド」を彼女らしい歌詞に変えて唄ってましたっけ。

ふいにラジオから流れてきた高橋研による彼女の曲「(gonna be a)HARD RAIN -激しい雨が振る-」を聴きながら、枕を濡らした夜もありました。
まだ私もギリギリ10代でした。

自らが癌である事をカミング・アウトした2008年の10月には、彼女ももう長くないんだなぁっと切なくなったものでした。


そして今日の昼前に38歳の短い人生に終止符を打ったそうです。

彼女の曲には「キースの胸で眠りたい」なんて曲もありました。
ストーンズのキースはまだ健在ですが彼女はきっと今頃大好きなキースの胸に抱かれる夢をみながら安らかに眠っている事でしょう。


合掌…。

お粥(かゆ)

2009-07-27 21:41:36 | エッセイ、コラム
米の残量がとうとう半合になったので、お粥(かゆ)にして、長保ちさせる事にしました。

無洗米なので、そのまま鍋に張った適当な量の水に米を入れ、強火で煮ていきます。

水と米が沸騰して、ふきこぼれそうになった所で、弱火に切り替え、米粒の芯がなくなるまで、ジックリと加熱します。

そこに「鶏がらスープの素」に「カツオ出汁(だし)の素」を入れ、更に調理酒を一寸だけ加えてみました。

米に充分火が通った所で、冷蔵庫にあった余り物のキャベツを手で千切り水洗いをして投入。
普通は捨ててしまうキャベツの芯も勿体ないので薄くスライスして投入。

キャベツからも水分が出るので味をみながら塩を加えて、キャベツに火が通り柔らかくなったら完成。

冬だと、鍋に直接溶き卵を加えてもよいのですが、残念ながら現在の季節は夏。
卵料理の足は速いので止めておきました。
卵のストックにはそこそこ余裕があるので、贅沢に卵を1個使い、丼で溶いて、お粥の熱さで半熟状態にして食しました。
美味。



私はお粥の作り方は小学生でマスターしました。
たぶん母に教えて貰ったのだと思います。

別に両親が共働きであるとか、親が片親だけで仕方なく家事をやらなくてはならなかった訳ではなく、たぶん「家庭科」の授業の延長線上で料理や洗濯、裁縫(これは出来ますが非常に雑!!)に興味を持ち、母もそういう事を「男だからやっては駄目」とは言わず、私の好きなようにさせていたので、気紛れに趣味のように、自分のために家事をやり、気が付けばそれなりの事は10代前半にして出来るようになっていました。
それが基礎になり長い一人暮らしで磨かれ、家事は今でも大して苦にならなくなっているようです。

ただ母が掃除が嫌いでリビングを中心に家の中はよく散らかっていたもので、私もまた掃除は苦手です。
故郷にいた時はそこそこ自分の部屋はキレイにしていたのですが、東京で一人暮らしを始めた途端、部屋が片付いていなくても、まるで気にらなくなってしまいました。
まぁ、男の家事はこんな風にいびつなものです、たぶん…。

未来

2009-07-26 21:46:05 | エッセイ、コラム
三鷹駅北口のタワー・マンションの建築が着々と進んでいます。
私が現在のアパートに越してきた頃は、梅林を有するお屋敷があった場所です。
早春の頃には梅の樹が花を咲かせ、甘酸っぱい匂いをさせていた所です。


まぁそれはさて置き、最近「未来」というものに対して考えます。
「未来」というものは全て予定調和で、どうあがいた所で仕方がない、という考え方もありますが、例えそうであったとしても、私は個々人のその時の心持ち次第で修正は出来るのではないかと近頃思い始めました。

何故なら今この瞬間や今日の蓄積が「未来」なのですから。

そして、瞬間・瞬間のその人の行動一つで「未来」は常に計算し直されて、変わって行くのではないか、と。

過去を悔いても仕方がありません。
それは変えようがない事ですし、単なる反省材料とすべき事実です。

世の中は残念ながら矛盾や不条理に満ちたものですが、変わろうとする者の所には1回くらいは必ずチャンスが訪れ、その機会を見逃さなけば、人は変われるんです。
肉体やそれを司る遺伝子は確実に劣化し老いますが、精神は老いる事はないと私は思っています。
脳も臓器なので、その機能は劣化しますが、死ぬまでそこに宿る精神は老いません。
衰えたと思っているなら、それは自分の感覚が日常に毒され磨耗してしまっただけです。

現実がどんなに苦しくても、口笛を吹いたり、鼻歌を唄ったりして、楽しそうな振りをして、実際にその逆境さえも楽しんでいれば、人や運は向こうの方からやって来るものではないのでしょうか…。


今日、テストが終わったあとの太陽と青空が眩しい夏の帰り道。
小さなキリスト教教会の前を通ると、結婚式を挙げる模様の、真っ白なウェディング・ドレスを身に纏った新婦に出くわしました。
こりゃめでたい、と思わずお祝いの言葉を述べたら、花嫁は屈託のない満面の笑みで愛想よく返礼をしてくれました。
彼女の「幸せ」を一寸だけ分けて貰い私も、とても幸せな気持ちになりました。
そして、三鷹駅に近付くと建設中のタワー・マンションが目に入りました。
冬にはまだ土台くらいだった筈なのに、現在は天に届きそうな勢いで伸びて行く建設途中のマンションです。
そのマンションを見上げながら、ふとそんな事を考えました。