根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

キレる猫

2006-04-24 17:07:26 | エッセイ、コラム
帰宅途中に一匹のノラ猫に出会う。
所在なく佇んでいるので、口を鳴らして呼んでみると小
走りで近寄ってきた。
警戒心の強いノラ猫には珍しい行動だ。
私との距離が近くなると、好意を持っている時独特の甘
い声を出し、そして駐車してある車のタイヤや塀の角に
身体を擦り寄せる行動に出た。
一気に近寄ってこないのが猫らしい。

猫と相対する時はまず手を出し、彼らに臭いを嗅がせな
ければならない。
それが彼らとの挨拶だ。
そして、猫が納得するまで臭いを嗅ぎ、その上で相手に
対して友好的に接したいと思ったなら、頬を擦り寄せて
くるなどの行動をする。
人間はそういう行動がみられた段階で優しく頭や身体を
撫でてあげると良い。
この臭い嗅ぎの段階までに猫側からの威嚇行為もみら
れず、さらにはこちら側も性急に接触しようとしなければ、
基本的には攻撃を受ける事もない。
威嚇された場合は大人しく引き下がるのが得策だ。

そのノラ猫も臭い嗅ぎの前段階までは威嚇もせず、友好
的に私に近付いて来ていた。
従って私も手を出し彼に臭いを嗅がせようとしたのだった。
そんな風にして私と友好的なひと時を過ごすかと思いき
や、近付いて来たノラ猫は手の臭いも嗅ぐ事もなく、「ニ
ャッ!」とひと鳴き、さらにはいきなり猫パンチを繰り出し
てきた。
血が出ない程度に加減はしているが、それでも爪をしっ
かり出した、本気度の高いパンチだ。
やや痛い。

何でだ?
何で、猫パンチを喰らわなきゃならない?
一体さっきの甘えた声は何だったのだ?
身体を擦り々々する仕草は?
第一、気に入らないなら何で近付いてくる?

何かの間違いかと思い、再び接近してきたノラ猫にもう
一度手を出してみるが、結果はやはり「ニャッ!」→猫
パンチ、だ。

う~ん、長い不況に今後さらに広がりを見せるであろう
格差、さらには相手国に好いようにあしらわれてしまう
外交などなど、日本社会を覆う様々な閉塞感は、人ば
かりか猫の精神面にも確実に影響を及ぼし、一瞬の負
の感情に忠実で、その場の衝動に身を任せてしまうよ
うな、突然キレるノラ猫まで生み出しているようで…。

これでは気軽に猫とも遊べやしないのだった。

樹上の白き鼻

2006-04-22 10:15:28 | ダイアリー
明け方トイレに起きた時の事。
トイレの小窓から外をみると、アパートに隣接する屋敷
林の一本の枝が大きく揺れている。
そしてその揺れている枝には大きな生物が!
樹上の大きな動物というとカラスという連想しかなかっ
たため、習慣で追い払いにかかるが何か変だ。
動きがカラスのそれとは違う。
脅かすのを止め、暫くみているとキツネザルのようなも
のが姿を現した。
東京の住宅街とキツネザルが全く頭の中で結びつかず、
沢山のクエスチョンマークを付けた状態でさらに観察を
続けていると、ヤツは木から降り始めた。
枝先に移りそのたわみを利用して他の小さな木に移動
している。
その時ヤツの顔がこちらを向いた。
フワフワの尻尾、額から鼻にかけての白い線、細長い
身体。
何か見覚えがある動物だ、テレビで昔…あれはSARS
騒ぎの時話題になったハクビシンではないか!

その後ハクビシンはゆっくりとしたテンポで木から降り、
そして地面に到達すると何処かに行ってしまった。
やや呆然とし、そのままハクビシンが消えた方向をみ
つめ続ける。
何でハクビシン…。

その後、市役所に問い合わせてみると、武蔵野市でも
結構目撃例があり、たまに『ハクビシンが穴に落ちてい
る』などの通報がある、との事。
ハクビシンは東京でもそんなに珍しい動物という訳でも
ないらしい。
武蔵野市役所ではハクビシンに関して捕獲や駆除など
の積極的対策は行っておらず、そういう通報があった場
合は東京都の専門機関に頼んで対処してもらっている
そうだ。
市役所職員による捕獲劇に発展するかとも思っていた
ので少し拍子抜けする。

さらに調べてみると、ハクビシンは雑食性で果実などの
他、小鳥などの小動物も捕食するとの事。
私が遭遇したハクビシンは木に登ってスズメでも食べよ
うとしていたのであろうか。
ハクビシンの性格は比較的凶暴らしい。
暫く前に私のアパートの敷地内で猫が死んでいるのを
発見したが、ひょっとしたらあの猫はハクビシンとの喧嘩
に負け、殺されてしまったのかもしれない。
大陸原産の帰化生物で都市生活にも順応し、特に天敵
もいない、との事なので今後個体数が増加すると、カラ
スみたいに人間の生活に害を及ぼす存在になるかもしれ
ない。
現在は深刻な被害もないようだが。
呑気に構えていても良いものだろうか…。

しかし、朝一番のハクビシンは覚醒しきっていない頭に
は衝撃的だった。

春の訪れ

2006-04-19 18:40:54 | エッセイ、コラム
数年来、花を付けなかったチューリップがどうした機嫌の変
化なのか花芽を伸ばし花を咲かせる。
もう5年程前に庭に植えていたもので、葉は繁らせるものの
花を付ける事はなかった株だ。
チューリップは花が終わった後、キチンとした操作をしないと
その後はちゃんとした花を咲かせない植物だ。
花屋で目についた植物を買って来て庭に移植するものの、そ
の後は基本点にほったらかしの私が、いちいち夏頃にチュー
リップの球根を掘り上げてまた晩秋の頃にまた植えつけるな
んて面倒臭い事をする訳もなく、しかし花を付けないからとい
って抜いて捨てるなんて事もまた忍びなくて、結果的にそのま
まにしていたものが、今回花を付けたチューリップなのである。
彼女たちは、主人である私の伸び悩みなどどこ吹く風とばか
りに、光合成をし、また土壌からも養分を吸収しせっせと球根
にエネルギー源を蓄えていたのだろう。
そうして何年もかかって機が熟したのか今年は花を咲かせて
くれた。
春の陽を受け、どこか誇らし気に紫の花を咲かせる2本のチュ
ーリップは何とも凛々しいのだ。

同じような事はワイルド・ストロベリーにも言える。
これは元々数代前のアパートの隣りの住人が自分の庭に植え
ていたもので、それが私の庭までツルを伸ばしてきてそのまま
定宿してしまったものである。
それがさらに私の庭でも増殖を繰り返し幾つかの株に分かれ
て今日に至っている。
初めの株は翌年から毎年花を咲かせ果実を実らせているのだ
が、そこから増殖した奴らはツルを伸ばし増殖はするものの花
など付けはしなかったのだ。
肥料をやってみたり、周りの草を払ったりするが全く効果はなく、
春になり秋まで葉を繁らせ、自分のクローンを製造するのみだ
った。
例年ならば冬の間にも多少の葉は残して越冬しているワイル
ド・ストロベリーたちなのだが、ご存知の通り今年の冬は寒さ
が厳しく、霜や雪にやられて葉は枯れてしまっていた。
寒さに負けて根絶してしまったかと思っていたのだが、それで
も根っこは無事だったらしく何時しか「春」を感知、芽を出し葉を
繁らせ、花芽までも伸ばし、今まで花を付けなかった株も含め
白く愛らしい花を春の風に揺らしている。
一ヶ月くらいすると小粒でちょっと酸っぱいイチゴが食べられる
事だろう。
ワイルド・ストロベリーの葉はハーブティーに出来るそうだが、
これは試した事がない。

去年買ってきて庭に植えていたスカシユリも、先月には芽を出
し菜種梅雨を味方につけ大きな茎に成長している。
スカシユリたちはまだまだ成長途中で、花芽などはまだ先の
事になると思うが、梅雨頃にはこちらも綺麗な花を咲かせる勢
いだ。

私自身はもう何年も芽を出す事もなければ、花を咲かせる事
もなく、従って実を付ける事もないのであるが、庭の植物たち
は私のそういった動向とは無関係にそれぞれに春の日を謳歌
しているようだ。

私の庭から今度は社会に目を向けてみると、何だか事件や事
故が多発しているように思える。
それも他の季節にはないような常軌を逸したような犯罪や、ケ
アレスミスによるものとみられる事故が多い。
多分、冬から春になり体内のホルモン分泌が活発化するせい
だろう。
そういった何者かに突き動かされるような衝動を理性だけで抑
制するのは難しい。
花見に代表される春の宴会もそういった意味なく妙に高まる心
を鎮める為の先人の知恵なのだろうか。
人間も「春」だ。


まぁ、何はともあれ春なのだ。
そうだ、春なのである。
「再生」と「出発」、そして「狂気」の春なのだ。

夢…

2006-04-09 17:37:56 | エッセイ、コラム
近所のコンビ二がハイテク装備をして新装開店したというの
で出掛ける。
コンビニ内のこれまで雑誌が並んでいたコーナーには雑誌
の類いは一切なく、代わりに本型の見開きディスプレイが並
んでいた。
それを開くとディスプレイのスイッチが入って性別・年齢な
どを入力のあと、好みの雑誌のハイライトが閲覧出来るよう
になっていた。
暫くそんな風にして立ち読みをしたあと雑誌のラックの後ろ
の大型ディスプレイに見入る。
今までのコンビニなら窓があって通りが見渡せた部分が半
透明の大きなディスプレイになっていて、センサーで感知し
た来店者の性別や年齢の最大公約数によってある種ピンポ
イントの広告が流せるようになっているようだ。
そんな感じで流れる広告をみていると突然ディスプレイの映
像が幼児向けのものに切り替わってしまう。
みると子供を連れた女が店に入ってきておりマニュアルで幼
児向けの画面に切り替えてしまったようだ。
前の映像をみていた所だったので
「何の断りもなしになんだよ!」
とその女に文句を言うと、
「はいはい、恐いオジサンが怒っているから行きましょうね」
と子供をほどこし去って行こうとする。
「オイ、ちょっと待て、何だその言い草は!」
と言った所で目が覚める。
何か平日の午前中にフジテレビで放送されている『こたえて
ちょうだい!』に出てくる様な我儘で嫌な親子だった。

まぁ、どんなに世の中がハイテク化され便利になった所で、
人間の性質や行動様式は太古の昔からそう違わないんだろ
うな、と改めて思った。