根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

金木犀(きんもくせい)の花!

2008-09-29 18:37:56 | エッセイ、コラム
まだ全体のごく一部ですが、知らない間に庭の金木犀(きんもくせい)が花を付けていました。
まだ、独特の芳香(ほうこう)はしてはこないのですが、本日の寒さも手伝い、秋だなぁっという感慨を覚えます。

金木犀はこの花を付ける時期を楽しみに育てているだけなので、今年も無事花を付けてくれた事に感謝!

インセンス

2008-09-28 14:09:39 | エッセイ、コラム
エアコンを稼働(かどう)させる必要もなく、軽くサッシを開けても、涼しさは感じても暑さは感じないので、久し振りに「お香」を焚(た)いている。
エアコン稼働の中、お香を焚いてしまうと、エアコンが煙(けむ)り臭くなるので、換気が出来る状態ではないと、お香は焚けないのだ。

今住んでいる場所を住居として選んだのは、池を中心にした公園が近くある事と、こういうアジアン・グッズやアジアン・フードに困らない、という事が大きかったなぁ、なんて事を思い出す。

本日のお香の煙りはあまり上方へと漂う事なく、どちらかと言えば下方へと漂っている。
現在東京の天気が曇りで明日が雨になっているので、それを反映しての事だろう。

こういう匂いというものは、記憶を刺激するもので、なんとなく昔旅したデリーやバラナシといったインドの街の風景が目の前に広がってしまう。

そんな2008年9月、最後の日曜日の午後である。

ロキソニン

2008-09-27 13:42:51 | エッセイ、コラム
昨夜は予報通りこの時期にしてはだいぶ冷え込んだようで、毛布からはみ出して寝ていた私は、頭痛と倦怠感(けんたいかん)、それから猛烈な尿意で目が覚める。
まるで冷房を利かせ過ぎて寝てしまった時の目覚めのような不快感である。

取り敢(あ)えず、遅い朝ご飯を食べ、喉(のど)関連の薬を飲み、また寝て、様子をみてみる事にする。
安易(あんい)に頭痛薬を飲んでしまうと癖(くせ)になってしまうので、一応は我慢(がまん)という訳だ。

さてそうして、さっき二度寝から目が覚めた。
相変わらず頭痛と倦怠感が身体にまとわりついている。

土日は基本的に派手に動くつもりはないのだが、いつまでも不快感の中にもいたくはない。
仕方がない、鎮痛・解熱・消炎に効くマルチ・スーパー薬「ロキソニン」の投入だ。

これを飲んでしばらくすると嘘(うそ)のように頭痛などが消失するから不思議である。

食品を買いに軽く駅前まで出掛けたいし、これで動けるようになる事だろう。

この薬を開発した人たちとメーカーに感謝!

Webの主

2008-09-26 19:59:25 | エッセイ、コラム
最近、庭に巣を構えているジョロウグモ(たぶん…)です。

さすがに接触するには嫌悪感がありますが、私は田舎育ちなもので別にクモの類いも怖いとか気持ち悪いとかは思わないですし、特に悪さをする訳でもなく、むしろ植物に寄ってくる害虫などを捕食してくれる益虫でもあり、邪魔な所にいる訳でもなかったので、好きなように巣を張らせています。

日がな一日、いつ網(あみ)にかかるとも知れない羽虫をジッと待っているのはどんな気分なのだろうっと想像してしまいますが、彼らはDNAの命ずるまま、本能に従い無事天寿を全(まっと)うし、子孫を後世に残す事のみに執心(しゅうしん)しているだけですし、暇だ! とか、忙しい! とか考えるほどの高度な脳も持ってもいないので、端(はた)から観察して人間が考えてしまうようには退屈を感じている訳でもないと思われます。

写真を撮る際に携帯を近付けると、最初は警戒して、巣の隅(すみ)に避難していましたが、やがて私が害を及ぼす危険な存在ではないと分かると、定位置の「クモの巣(=web)」の中心に戻っていました。

アケビ

2008-09-25 19:29:36 | エッセイ、コラム
今日、八百屋の前を通り掛かるとなんと「アケビ」が売られていました!

アケビと言えば田舎の山に勝手に生えているものという意識が私には強く、それが農作物として栽培され流通している事に驚きです。

私の実家は、長崎の西彼杵半島の山中に、亡くなった父が農業用に購入した土地を持っていて、父が健在だった頃はそこで作物を作っており、子供の頃は何度となく農作業をする両親に連れられ、そこに赴(おもむ)いたものです。
父は地方公務員だったのですが、何故か農業にも入れ込んでいたのです。
農業高校出身だった事もその行動原理には大きく作用していたのでしょうけど…。
平日の事務作業から解放されて、農作業をする事はたぶん父のストレス解消法だったと思われます。
本人がどこまで自分のそういう行動を客観視していたかは甚(はなは)だ疑問ですが…(苦笑)。
そういう理由から、日曜日にはその山の土地に私も行っていたりしていた訳です。
そこで戦中戦後の貧しい時代に育った母が野生のアケビが実っているのを見つけてきて、勧めてくれて口にしましたが、飽食の時代に育った私には別に甘いものに飢えている訳でもなく、アケビの素朴過ぎる味は特に美味しいとも思いませんでした。
そんな思い出があるアケビの実です。
なので私には「アケビ=山にあるもの」という既成概念がしっかり刻まれており、これが八百屋の店先に並んでいる事自体が妙な光景な訳です。

買う気がなかったので、店員に取材する事は気がひけて、これがどこからやって来たものなのかは残念ながら不明です。
商品として出荷するのですから、東京近郊の農家さんがキチンと栽培し大事に育てて一定量の収穫があるようにシステム化されているのでしょう。
まぁ、さすがにこれだけを専門に栽培している訳ではないでしょうけど…。


しかし、こんなものまでが商品になるなんて!、というのが正直な所です。

映画『ベティの小さな秘密』

2008-09-24 23:46:03 | エッセイ、コラム
原作:アンヌ・ヴィアゼムスキー、監督:ジャン=ピエール・アメリス、出演:アルバ=ガイア・クラゲード・ベルージ、ステファン・フレイス、ヨーランド・モロー、マリア・ド・メデイルシュ、バンジャマン・ラモン、他、の映画『ベティの小さな秘密』を観てきました。


ストーリーは、フランスの田舎町を舞台に、主人公の10歳の少女・ベティと彼女の父が院長を務める精神病院から逃げ出してきた青年・イヴォン(バンジャマン・ラモン)との数日間の交流を核にし、その様子をベティの視点から描いたものです。

主人公のベティは、二人姉妹のお姉ちゃんが大好きな女の子です。
しかし、そのお姉ちゃんが寄宿制の学校に通う事になり家を離れ、彼女は一人になってしまいます。
さらに、お姉ちゃんの不在により、それまでベティにはみえてなかった両親の不和が表面化してしまいます。
彼女の家で家政婦として働くローズ(ヨハンド・モロー)も基本的には精神を病んだ女性なので、正常なコミュニケーションを取る事は難しく、また前から可愛がっていて両親に飼いたいとねだっている犬のナッツは施設に収容されていて、あと数日間の命となっていますが、両親はそれぞれが抱える問題で頭が一杯でまともにベティの言う事に耳を傾けてくれません。
そんな風にしてベティが一人孤独感を深めていく中、彼女が住む屋敷と隣接する精神病院から逃げ出してきた入院患者の青年・イヴォンと出逢い、彼をかくまう事で彼女の中に少し変化が現れるという、そんな話しです。


もうすっかり忘れてしまっていた子供の頃の感情を思い起こさせてくれるような作品でした。

劇中ではハッキリ明示されていませんが時代設定は1960年代との事。
なので、作品の中にテレビは登場しません。
ヨーロッパは日本やアメリカと違い演劇などの文化を守る為に現在でもテレビ・チャンネルの数の規制があったりするという話しを聞いた事があるので、当時のテレビの普及率は非常に低かったのでしょう。
テレビがあればベティの孤独感も少しは癒(い)やされたようにも思えましたが…。

ベティが住む家も、父が院長を務める精神病院と隣接しているという事で、街から少し離れた場所に立地しており、自然豊かな土地ではありますが、10歳の女の子が様々な事情により孤独感を深めてゆくのには充分だったと思われます。
また彼女のキャラクターは感受性豊かで、内気な性格に設定されている為に友人を作るのも下手なのです。
学校での場面も作品中には何回か登場しますが、ベティがクラスメイトの女の子と楽しく遊ぶというエピソードはありませんでした。

孤独で感受性豊かな子供は空想に走ったりしますが、ベティのもこの法則に違(たが)わず、作品中には彼女の心象風景を反映したと思われる「闇(やみ)の恐ろしさ」が幾度か登場します。
そういった所は上手く表現されていたでしょうか。
ベティが孤独に陥(おちい)り、イヴォンをかくまうに至る過程も同様に良く描かれていました。


私が同年代の子供であったり、女性であったらまた違った感想が出てくると思いますが、作品の出来としては、可もなく不可もなく、といったのが私の抱く感想という事になります

ヒドく泣きを入れたり、押し付けがましい感動というのが無いのは好みではあるのですが、何か足りないなぁっという感じも抱いてしまう作品でした。

子供目線で描写される古き良きフランスの田舎の風景や生活は観ておいても損はないとは思いますが…。
そして、この映画は悲劇でもありません。

猫、巡回中!

2008-09-24 22:22:05 | エッセイ、コラム
昼間、自分のテリトリーに異常がないか巡回していると思われる黒猫に出逢いました。
個体の大きさから雄猫ではないかと思われます。
街中(まちなか)の人通りの多い場所は彼らには危険が一杯なのでしょう。
私や他の人が呼び掛けるのも完全無視で、足早に去って行ってしまいました。
一見、呑気(のんき)に暮らしいて羨(うらや)ましくみえる彼らの生活も、それなりに大変なんだろうなぁっと考える事しきり。

映画『蛇にピアス』

2008-09-23 10:37:00 | エッセイ、コラム
原作:金原ひとみ、監督:蜷川幸雄、出演:吉高由里子、高良健吾、ARATA、あびる優、ソニン、市川亀治郎、井出らっきょ、小栗旬、唐沢寿明、藤原竜也、他、の映画『蛇にピアス』を観てきました。


ストーリーは、ひょんな事から19歳の「ギャル」・ルイ(吉高由里子)がアマ(高良健吾)と知り合いスプリット・タンと呼ばれる舌先を2つに分ける事やタトゥーに興味を持ち、さらにタトゥーの彫り師シバ(ARATA)に出逢う内、見事にその世界に身を沈めていく様を描いたものです。


私が観たシネコンではこの作品には100人入らない劇場が、当てられていましたが、満員の観客が2時間、誰も音を立てず、静かにスクリーンに映し出される映像に観入っているという状況でした。
こういう作品は久し振りです。
それくらい刺激的で扇情的な映像が盛り沢山の映画です。

私はこの原作を著者が芥川賞を穫ったあとに出版された『文藝春秋』の中で読んだのですが、もうそれは結構前の話しで筋も忘れてしまっていましたし、文字表現を通して頭の中で映像化される世界と、キッチリとした取材の元に一流の演出家が映像化する世界では全く違ったもので、一般の世界の中で一般の価値観で生きている私には「マジなの!?」というような描写の連続でした。


食うには取り敢えず困らないものの、格差の固定化が始まり出していて、長い不況の元、明るい未来を描く事が困難で、また現実世界では様々な信じられない事件や、ゲームやネットの中などのバーチャルな世界でも刺激に満ちた世界が構築されている為、閉塞感や感覚の磨耗が進み、虚無的にならざるを得ない若者が増え、こういう刹那(せつな)的で刺激的な形でしか「愛」や「生」を実感し表現出来ない人々が出現するのも当たり前って言えば当たり前なのかなぁっという感想でした。


難を言えば今回体当たり演技で頑張っている主演の吉高由里子にまだ演技の幅が足りない事!
舌足らずな話し方の彼女はそこに注目が集まってしまう為に、ドラマ『太陽と海の教室』でも映画『蛇にピアス』でも基本的には同じにみえてしまいます。
まぁ、まだまだこれからの女優さんなので、今回思い切りのよい大胆な演技を披露した度胸もある事ですし、今後に期待と言った所でしょうか。


この映画、楽しい作品では決してありません!
しかし、これもまた現代社会なんだという事を念頭に置いて、彼らの現状を観てみるのも良いのではないかと…。

水晶玉

2008-09-23 08:22:50 | エッセイ、コラム
昨日の雨の置き土産。
昼には消えてなくなる水晶玉です。
夏の頃に比べると、この時間でもすっかり低い角度から差すようになってしまった朝の陽光を受けて、日々草(ビンカ)の花を演出していました。

rainy days & mondays !

2008-09-22 08:17:54 | エッセイ、コラム
まさに文字通り、「雨の日と月曜日」の今朝です。
「雨の日と月曜日はいつも私を落ち込ませる」という訳です(苦笑)。


カーペンターズが活躍していた時代は私はまだ幼少期に当たるので、カーペンターズの名曲『雨の日と月曜日』を知ったのは、94年に主にオルタナティブと呼ばれたジャンルのアーティストを中心に当時の若手アーティストが参加したカーペンターズのトリビュート・アルバム『if I were Carpenter』の中でCrackerというアーティストがカバーしたバージョンでしたが、他のアーティストがカバーしたナンバーも含め、改めて、あぁカーペンターズの曲はいいなぁっと思わされるのには充分でした。
他にもシェリル・クロウやソニック・ユース、クランベリーズなど当時勢いのあったアーティストが顔を並べ、自分らの色でカーペンターズの楽曲を染め、カーペンターズの再評価そしてトリビュート・アルバムの先駆けになったアルバムです。
日本からは少年ナイフが参加をしています。
お持ちでない方は是非とも探してみて下さい。

日本ではその後カーペンターズの曲がドラマの劇中歌に使用されて、カーペンターズの再評価に繋がった所もあるのですが、こちらのアルバムの方が先です!


という訳で「雨」と「月曜日」という2大憂鬱(ゆううつ)要因が見事に重なっている今朝の東京ですが、弾けた曲を聴いたり、敢えて明るい色の服を着てみたりして、自分を鼓舞(こぶ)しながら頑張っていきましょう!