根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

真昼の決闘!

2006-09-24 16:32:36 | エッセイ、コラム
散歩中にケンカに出くわす。
小4か小5くらいの男の子同士のケンカで殴り合いであ
った。
ボコボコというよりはポコポコという感じの殴り合いで、
数秒間お互いにパンチを繰り出しやり合ったと思ったら、
その後は180度反対の方向に向かって走り出して行っ
た。
私から少し離れた、道の遠くでほんの一瞬繰り広げられ
た真昼の決闘だった。
歩いて行くうちそのケンカの当事者の一人、少年サッカ
ー団でトップ下でも任されていそうな短髪で日に良く焼
けた運動神経の良さそうな少年とすれ違う。
少年は人目もはばからず、大粒の涙を流し声をあげて
泣いていた。
悔しくて悲しくて、泣けて泣けて仕方がないという様子
であった。
何かでもそれがとても良かった。
羨ましいとすら思った。
大人になると、それが男であるなら尚更、感情を吐露し
ぶつけ合うことはなるべく回避しようとするし、暴力なん
てもっての外、人前で涙を流すことなんて決して出来な
いのである。
それがあんな風にお互いの感情をぶつけ合い、拳さえ
交え、そして泣くことが出来る。
彼らはなんと健康な少年期を送っていることだろうか。
ケンカをしていた少年たちには大問題なんだろうが、休
日の昼間にとても良いものを見せてもらった気がする。
明日は学校、たぶん教室や廊下で顔を合わせる筈の
少年たちはお互いどんな顔をしどんな態度で接するの
だろうか。
非常に気になる所で、出来れば彼らの通う小学校に押
しかけ、成り行きを取材したいと思うのだった。
絶対に無理な話しなのだが…。

FPMの朝

2006-09-23 19:27:19 | ダイアリー
11:00am、隣人の行動しだす音で目が覚める。
仕方がないので、自分も起き出し行動を開始する。
とりあえず部屋でお香を焚き、朦朧とした頭で庭に出て
植物へ水をやる。
天気は晴れ、金木犀が今日も香っていてなんだか嬉し
くなった。
植物への水遣りを済ませ、インド風ミルクティを淹れる。
ミルキーでスパイシー、ホットでジェントリーなチャイは
秋の乾いた空気に良く似合う。
音が欲しくなったのでFPM(ファンタスティック・プラスチ
ック・マシーン)の『contact』を聴く。
5年前にFMでシングル曲の「City Lights」がヘビー・ロ
ーテーションされていたのに影響されて購入したアル
バムだ。
「City Lights」だけを散々聴き、その後は飽きてCDラッ
ク行きになっていたものだが、数年前に散歩を再開した
時にこの手の音楽が散歩と意外に親和性があることを
発見し、また最近聴くようになった中の一枚だ。
リリースから5年経ち、私の耳が慣れてきたのか「City
Lights」以外の曲もだんだん良くなってきた。
今、クレジットをみると参加しているミュージシャンも豪
華。
安藤裕子の「ドラマチックレコード」や「さみしがり屋の言
葉達」の作曲者である宮川弾もかなり深い感じで関わっ
ている。
良く出来た本は再読に耐えられ、読む場所や年代によっ
ても新たな発見があるというが、緻密に作られた音楽に
もまたそういうことが言えるようである。

金木犀礼賛 ~Travel Without Moving~

2006-09-21 12:46:38 | エッセイ、コラム
金木犀が突然開花し、芳香を放ち始めた。
金木犀ほど異世界に人を誘う香りを私は知らない。
想像力が異常に刺激されるのだ。
多分、金木犀の木の下には目に見えないの魔法の扉があり、
それはこの限られた初秋の時期にだけ開く仕組みになってい
て、 人は我知らずその中に入り込み、そしてそこでひとり秘
密のひと時を過ごしてしまうのだろう。

忙しい人も暇な人も、満たされている人もコンプレックスに悩
む人も、幸福の絶頂にいる人も不幸に打ちひしがれる人も、
ひとたびこの香りを嗅げば、いろいろな所へ「旅」に出掛けら
れる。
想像力が指し示すまま、内へも外へも、過去へも未来さえに
も…。
まさに「Travel Without Moving」。

金木犀の香りに乗り、さぁ今年は何処に出掛けるとしようか…。

不定期連載 「雨のち愛蘭土(アイルランド)」 第一回

2006-09-17 17:22:12 | 紀行エッセイ
▼2006→1993

なぜ1993年のアイルランド旅行を2006年の今頃語ろうと
いうのか? 
それは少し前に私のアパートの給湯器が故障して水シャ
ワーを浴びなければならなかったからであり、ドラマ撮影
中の堤幸彦らしき人物をみたからであり、季節が進み朝
淹れるコーヒーの温かさが心に沁みる感じがするように
なったからであり、HMVのフリーペーパー(168号)の表紙
を飾っているカサビアンなるバンドの写真がクランベリー
ズの1stから3rdまでのCDジャケットを彷彿させる感じが
したからであり、秋雨の季節になり細かい雨が降る日が
続いたからであり、雨上がりの井の頭公園が一瞬ダブリ
ンにあるセント・スチーブンス・グリーンという公園にみえ
たからである。
そこには一般的にいって1993年と2006年が結びつく要
素は少ない。
それは上記のものに刺激を受けて、私の頭が勝手に化
学反応を起こし、過去のアイルランド旅行に思いを馳せ
ているだけだからだ。

記憶というものは不思議なもので、物事を記憶する際に
たまたま感じていた匂いや音楽を同時に仕舞い込み、
後年ふいにその匂いや音楽を嗅いだり聴いたりというよ
うな刺激を受けると、その時の思い出が凄まじい勢いで
噴出してくるという現象を起こす。
後に記憶を呼び戻す際それらのことがある種のスイッチ
のような働きを果たすからなのだろうか。

私の場合、現在がまさにそういう状態である。
偶然の事象が重なり結びつき心が、1993年、特にアイル
ランドを中心としたヨーロッパ旅行に飛ぶのだ。

1993年、それは私にとってどういう年であったか?
ひとつの学校を卒業し別の学校に改めて通い始めた年で
あり、新しい恋にときめきを覚え泥沼にはまっていく年であ
り、アルバイト先でコーヒーメーカーを使わないコーヒーの
淹れ方を覚えた年であり、ニルヴァーナとティーンエイジ・
ファンクラブとU2がニュー・アルバムを、ポール・ウェスター
バーグとレディオヘッドとジャミロクワイがデビュー・アルバ
ムをリリースした年であり、そして自身が初の海外旅行を
敢行した年であった。
そしてこれらのことが、いま私がこうして三鷹のカフェで一
円にもならない文章を綴っていることと何か結びついてい
るように思えるのだ。


▼パッセージ・トゥ・アイルランド

1993年6月、私はバックパックを背中に背負いひとりアイル
ランドにいた。
半年ほどアルバイトとして働き、切り詰められるものは切り
詰め、そうやって何とか捻出したお金で実現させた少し遅
い卒業旅行だった。
せっかく海外旅行に行くのに誰もが行くようなメジャー所で
は行った意味がなくなると思い、また前年に『遥かなる大地
へ』という映画が公開され、ブルータスがアイルランド特集
を組んだことも大きく作用し、私は卒業旅行の場所としてア
イルランドを選んだのであった。。
93年当時の『地球の歩き方 アイルランド編』は一般的に私
たちが想像する『地球の歩き方』のような情報満載で厚い
ページ数を誇る形のものではなく、“フロンティア”というカテ
ゴリーに区分された薄い作りのものだった。
旅行地としてのアイルランドは当時はまだマイナーだったよ
うに思える。

日本からアイルランドまでの直行便はまだ飛んでいない。
日本からはヨーロッパのハブ空港を経由し辿り着くのが一
般的なアプローチの仕方だ。
経由地にロンドンを選んだのは一応「何とかなる」外国語が
英語だったためだ。
それに海外旅行自体が初めてだった事もあり、空港内の単
純な飛行機の乗り換えでいきなりアイルランドに入るよりロ
ンドンで海外旅行の練習をした方が良いのではないかとの
判断だった。
さらに言えば日本⇔欧州間の往復チケットを「ロンドンIN・パ
リOUT」に設定していたためロンドンにいったん飛んだあと現
地でダブリンまでの航空券を手配する必要もあったのだ。
ロンドン→ダブリン間の航空券を日本の代理店で手配すると
思いの外高額になったか、あるいは他の何かの問題があり、
私は日本でその作業を行わなかったのだと思う。

1993年6月8日、日本から韓国経由でロンドンに飛んだ私は、
三日間の現地滞在中にロンドン→ダブリン間の航空券の手
配と街の観光を終え、12日にブリティッシュ・ミッドランドとい
う日本では馴染みのない航空会社の飛行機に乗ってダブリ
ン空港に降り立ったのだった。
初めてみるアイルランド、そしてダブリン空港は細かい雨に
煙っていた。
首都にある空港というとヒースローや成田のような大空港の
イメージが強かったので、見た感じ日本の地方空港のような
規模のダブリン空港はやけに小さく思えたのを憶えている。
一度、ロンドンでEU内への入国を果たしていたため、アイル
ランドへの入国審査はスムーズそのもの、パスポートには入
国のスタンプすら押してもらえなかった。
アイルランド入国の証拠にスタンプを押してくれるよう管理官
にせがんでみたが、これは却下された。
入国のメモリアルだ何だ、と少し粘ってみたがその答えは見
事なまでの「NO!」だった。


▼ダブリンの洗礼 1

空港内のインフォメーション・カウンターでその日の宿の手配
をしてもらう。
空港と市内を結ぶ電車はないので中心地まではバスでの移
動となる。
ホテル手配が終了した後、そのまま外に出て行動を開始する
のではなく、一度空港内のカフェに行くことにした。
コーヒーを飲みいったん心を落ち着けてから「ダブリン市内潜
入計画」を実行に移そうと思ったのだ。

コーヒーを飲みながらカウンターでのやり取りを反芻してみる。
しかし、アイルランド訛りの英語には参った。
「think」を「ティンク」はまだよいとしても「Bus」を「ブス」と発音
するのである。
一事が万事この調子の聞き取り辛い英語のオンパレード。
私の英会話能力自体も乏しいものだし、果たしてこんな訛りの
英語についてゆけるだろうか…。
そういう意思疎通がし辛い中でのホテル手配であった。
何でも私が滞在する予定のホテルに行くには、バスを途中下
車する必要があるそうで

「だから、あなたがバスに乗り込む時、ドライバーにホテル最
寄りの停留所で降ろしてくれるように頼んでおくといいわよ」

とカウンターの女性は私にアドバイスするのだった。
これからホテルまでどう行動するのかを頭に叩き込み行動を
開始する。

空港を出てバスターミナルに向かいバスが来るのを待つ。
バスターミナルには私の他には誰も見当たらなかった。
見知らぬ国で雨が降る暗い空の下、バスをひとりっきりで待つ
行為はひどく心細いものであった。
10分か20分、待った所でやっと目的のバスがターミナル内に
やって来る。

カウンターの女性のアドバイスに従い、これこれこういう事情
だからこの停留所が近くになった時には知らせてくれ、と身振
り手振りでドライバーに頼み私はバスに乗り込んだのだった。
私が乗り込んでそう間を置かず、バスは出発した。
途中の停留所でお客を拾いながらバスはダブリン中心地に向
って進んで行く。
私はバス前方の、ドライバー席に近い場所に陣取り、車窓の
外に流れていく雨の国の景色を眺めるでもなく追い、短いバス
旅行を楽しんでいた。

そんな風にしてドライバーの声に注意を傾けながらの乗車時間
が過ぎる。
しかし、なかなかドライバーから私への呼び掛けがない。
何か嫌な予感がしたので近くに座っている年配の女性に

「私が降りる停留所(名前は忘れた)はまだか?」

と問うと

「その停留所ならもう通り過ぎたわよ」

と言うじゃないか!
バスのドライバーが私の頼みを失念してしまったのか、それとも
私のヒアリング能力の乏しさのせいでドライバーのアナウンスを
聞き逃したのか、それはいまとなっては神のみぞ知ることだ。
そして、そこで私は深い考えもなく次の停留所で慌ててバスを降
りてしまった。
他にも選択肢はあったように思えるが、既にパニックを起こしてい
た私はついそんな行動をとってしまったのだった。
バスを降りた先には、工場と倉庫と空き地が点在し、飾り気のな
いフラットが立ち並び、どこか不穏な空気に満ちた、殺風景な街
並みが広がっていた。
泥水で白く汚れたアスファルトや工場の薄汚れた塀が荒涼感を
助長させ私の不安感を煽る。
吐く息も白い。
唯一の救いは、一時的に雨が上がっていたこと。
さて、これからホテルまでどうやって行ったものか…異国の街で
ひとり途方に暮れ立ち竦む私がそこにはいた。

<次回に続く>


恵みの雨に…

2006-09-12 18:58:27 | エッセイ、コラム

洗濯物は乾かないのだけど、真夏のぬるい雨と違って肌寒い雨が
何か良い。
温かい緑茶に紅茶、コーヒーなんかがとてもおいしい。
カップを持ったときに掌に伝わってくる熱が心に沁みる感じで意味無
く泣けてくる。
エアコンに頼らなくてすむのも嬉しい。
基本的に雨は嫌いなのだけど、厳しい季節が去って、活力がわいて
くる感じは悪くない。
冬の寒さは全ての行動力を奪い、夏の暑さは全てのやる気を失わ
せるものだ。

秋万歳!

今日、近所で栗の実をひとつ拾う。


祝、梅崎司 A代表デビュー!~サッカー日本代表 アジア杯最終予選 VSイエメン ~

2006-09-07 14:35:58 | スポーツ
後半ロスタイム、大分トリニータの梅崎司がたった一分
間だけイエメンのピッチに立った。
一分間では当然仕事なんかできる筈もない。
しかし、

『19歳の長崎人がA代表の一員として試合に出場した』

とりあえずはこれで充分だ。
梅崎の“A代表選出・ベンチ入り・試合出場”に県内外の
長崎人がどれだけ刺激を受け、力をもらい、そして、

「オイも頑張らんば!」
(※長崎弁で『オレも頑張らないと!』の意味)

と思ったことだろう。
それを考えると、たった一分間ではあったが、梅崎の功
績は非常に大きいと言える。


試合後の梅崎のコメント

「A代表でもやれると思った」

これも頼もしい限りじゃないか!
次回はピッチ上で躍動する彼の姿に期待したい。

松橋も徳永も中村北斗も平山も大久保(大久保は代表
復帰となるが…)も梅崎に続け!

好日0609~角田光代、オレンジペコー、残暑~

2006-09-03 18:04:41 | エッセイ、コラム

中古専門のCDショップで前から欲しかったCDを廉価で手に
入れ、図書館でmax10冊の本を借りる。
部屋に戻り、遅い昼食を摂ったあと庭のベンチでタバコをくゆ
らせながらしばらくぼんやりする。
乾いた、まるで着ざらしのコットンシャツのような風が何とも心
地良い。
まだ、夏の雲が残っているものの空は高い。
調布飛行場へ向かうセスナが上空を舞い、ツクツクホウシが
遠くで鳴いている。
アブラゼミが近くの樹に留まりけたたましく鳴き出したので、
霧吹きのバルブを調整し水鉄砲状にして水砲を撃ち追っ払う。
アブラゼミの暑苦しい鳴き声は9月を満喫するには似つかわ
しくないのだ。
やぶ蚊は相変わらず多く、庭でボウ~っとするのに蚊取り線
香は必需品だ。
しかし、気分は秋なのでやぶ蚊と蚊取り線香は無い物とする。

10冊借りた本の中から角田光代の『この本が、世界に存在す
ることに』を読み始める。
本にまつわる物語を収めた短編集である。
物語のどれもが切なくて滋味深く、醒めているようでほの暖か
いものだった。
私見ではあるが彼女の本の中では、『恋愛旅人』、『対岸の彼
女』と並んで「アタリ」の本だ。
以下はその中の「彼と私の本棚」という作品からの引用である。

「だれかを好きになって、好きになって別れるって、こういうこ
となんだとはじめて知る。本棚を共有するようなこと。たがい
の本を交換し、隅々まで読んでおんなじ光景を記憶すること。
記憶も本もごちゃまぜになって一体化しているのに、それを
無理矢理引き離すようなこと。自信を失うとか立ちなおるとか、
そういうことじゃない、すでに自分の一部になったものをひっ
ぺがし、永遠に失うようなこと。」


庭で読書しながら夕刻を見送り、暗くなって外では文字が追え
なくなったので読書の続きは部屋の中でする事にした。
何時の間にかセミの鳴き声は秋の虫のそれにとって変わって
いた。

そういえば、と思い出して昼間買ったCDを聴いてみる。
オレンジペコーの3rdアルバム『Poetic Ore』。
2年前にリリースされたアルバムだ。
2ndの『Modern Lights』はジャズのビッグバンドを意識した音で
あってCDショップで試聴してみた所あまり好きではない音群だ
ったので結局購入は控えたのだが、3rdアルバムでは1stアル
バム『Organic Plastic Music』の音に戻り、私がイメージするオ
レンジペコーの音、つまりジャズ、サンバ、ボサノバを基調とし
た夏が似合うメロウでパンプ、ダンサブルでソウルフルなポッ
プスといった感じの音作りとなっていた。
「ハズレ」の曲もなく、繰り返し聴くのに耐えられるアルバムだ。

♪夕顔はただ細く咲いた
   届くはずもない声を
  そっと偲(しの)び
   微笑みかける
   君のいない世界
  戻ることのない世界


  玉の簾(すだれ)は遠く霞(かす)み
  まだ見えぬ明日へうつろう
  肩越しの静ひつな絵を
  今はまだ見ていよう
   いつかの君おもって

オレンジペコー 「煙のセレナード」 詞:ナカジマトモコ

 
湿度が低くクーラーをつけなくても良いほどだったので久し振り
に窓を開け放った。
ときおりカーテンが揺れ、夏の残り香が部屋を通り抜けてゆく。

『この本が、世界に存在することに』の中には舞台を東南アジ
アにとったものもあり、暑さが似合うアルバムと昼間の暑さを
残した自然の風が相まって、心はいつか旅したマレー半島に
飛ぶ。
ペナン島の宿のバルコニーでジョージタウンの夕景を見ながら
友人への絵葉書をしたためた事。
ソンクラーの街で夕方散歩をしていたら小さなスタジアムに迷
いこんでしまい、かまわずズンズンと入っていくと、そこでは日
本のバレー感覚でセパタクローの練習が行われていて、もの
珍しさにしばらく見入ってしまった事。
ハジャイから乗った夜行バスの中、車窓越しに見たキレイな
満月。
苦い恋、うまくいかなかった恋、白茶けた午後と赤いブーゲン
ビリアの花。
そういったとりとめのない南国の思い出が突如蘇ってくる。

良い本と、良い音楽と、心地良い宵で思いがけず至極の時を
過ごした。
たまにはこういう好日もある。


季節の始まりは雨で

2006-09-01 17:23:16 | エッセイ、コラム
九月の始まりは雨だった。
冷たい雨で白い息が立つ。
この所の雨は蒸し暑いものだったので、冷た
い雨はありがたい。
冷たい雨で始まる初秋は、らしくて良い。
庭のコスモスは葉に付いた雨粒の重さでお辞
儀をしていた。
もしかしたら、彼女らの季節ともいえる秋の到
来をようこそと歓待しているのかもしれない…。


そろそろ、八百屋の店先に梨の豊水が並び始
める。
酒香すら漂う豊水は秋の果実の王様といって
よいだろう。
皮を剥くと滴り落ちる果汁、高い香り、梨とは
思えない甘さ、どれもが素晴らしい。

豊水が果実の王様とするならば女王には葡萄
の甲州を挙げたい。
味自体は大した事はないのだが、その見た目
の美しさが何とも良い。
透明感のある乳白色の薄紫に白い粉が吹いた
感じは至極上品である。
DNAを調べた所その起源は中央アジアにある
という甲州葡萄。
どこかミステリアスな雰囲気を漂わせているの
はそのせいかもしれない。
遠い昔にシルクロードを通って日本に辿り着い
た高貴な娘という感じだろうか。

実際は紙で保護されていてそんなものは見れ
ないと思うが、九月の雨が甲州葡萄の実をつ
たい先端から水滴が滴り落ちる様を勝沼あた
りで見てみたい、と思う二百十日の午後であ
る。