根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

『天然コケッコー』観てきました

2007-07-29 23:15:12 | エッセイ、コラム
友人とシネスイッチ銀座にて、映画『天然コケッコー』を観てきました。

牧歌的な雰囲気が漂う、「夏休みの光」が巧みにフィルムに焼き付けられた、秀作でした。
しかし、諸事情から睡眠不足であった私は、睡魔と戦いながらの視聴。
そしてついには「眠りの悪魔」の手に落ちてしまいました。
結局、オチ的な部分がよく分からないまま、次に記憶が戻ったときにはラスト数分という所で、映画はほどなく“くるり”のテーマソングに突入し、クレジットロールと共に終わってしまいました。

全編ちゃんと観れませんでしたが、なんか良い雰囲気の映画だったことは一応特筆しておきます。

過去に置き忘れてきた「夏休み」に今一度出逢いたいと思っている人には是非オススメの映画です!


パリス・マッチの偶然!

2007-07-28 01:40:03 | エッセイ、コラム
中古CD屋でパリス・マッチのベスト盤を廉価で手に入れた。
なんだか気分が良く、暑さで涼を取りたかったせいもあって、三鷹にある、前から一度入りたかったカフェの門を叩く。

と、パリス・マッチが店内で流れているではないか!
まぁ、夏っぽい天気の日だし、4thアルバムの『クアトロ』あたりだろう、と思っていると、記憶にある曲順と違うばかりか、違うアルバムに収録されている曲もかかったりして、おやっという気持ちになる。
もしや、と思い今さっき買ったばかりのベスト盤を広げて曲順を追ってみると、店内に流れるパリス・マッチの曲順と寸分の狂いもなく進行していく。
たまらず、ウェイターを呼んで確かめると、今店内で流しているのは、パリス・マッチのベスト盤、つまり私がさっき買ったばかりのCDと同じだ、と答えるではないか。
しかも彼もパリス・マッチのファンだとか。

実は私は店に入り席に座った所でパリス・マッチのCDを袋から出しおり、ウェイターくんもそれを確認していたのだとか。
それでこのちょっとした偶然を云うか否か彼も迷っていたそうだ。
ひとしきりパリス・マッチの話題で盛り上がる私とウェイターくん。

こんな偶然もときにはあるのである。
カフェを出るとき私がゴキゲンだったことは言うまでもない。


7つのK

2007-07-18 17:47:03 | エッセイ、コラム
場所はどこかの空港のチェックインカウンター、飛行機
に乗り遅れたらしい乗客がいて、とある航空会社の女
性係員に、大声でくってかかっていた。

笑みを絶やさず対応しているその係員と客のやり取り
を、聞くとはなしに、見るとはなしに、見守っていると、
悪いのはどうも飛行機に乗り遅れたらしいその乗客の
方であることがみえてきた。
その係員にくってかかっている乗客もそのことは分かっ
ているのだが、パニックに陥っていることと、自分のちっ
ぽけなプライドを守るため、そして無意識に誰かに責任
転嫁したい気持ちから、係員に理不尽な要求と叱責を
浴びせているようだった。
さてどうやってこの事態を切り抜けるのだろう、と関心を
持って観察していると、その女性係員は冷静に事実関
係を確認し、しかもお客のプライドを傷つけることなく対
応していて、その客を上手に納得させることに成功して
いた。
さすがに接客のプロは違うなぁ、と感心することしきり。

後日、その航空会社で長年接客を担当している人物と
会食をする機会があって、その時のことを話題にすると、

「我が社の接客マニュアルには“7つのK”と言うものが
ございまして…」

とその秘訣を話してくれた。

しかし、ここで不自然な寝方をしていた体の痛みで目が
覚めてしまう。
全ては夢だったようだ。
確かに私には航空会社に勤める知り合いも、そういう人
を知り合いに持つ友人もいない。
夢は“7つのK”を話す直前で終わり、その接客の秘訣
も謎のままだ。
いったい“7つのK”とは何だったのだろうか?

スケッチ、5am

2007-07-17 17:35:14 | エッセイ、コラム
明け方に目が覚めた。
早い朝食を済ませ、軒先のベンチで一服。
曇り空ながらさっきまで朝陽すら差し、マーマレード色
に染まっていたほどなのに、気紛れな梅雨空が大粒
の雨で大地を濡らし始める。
先ほどまで、かまびすしい声をあげていたシジュウカ
ラたちも近くの木に隠れて雨宿りを始めた。
と、彼らの翼から放たれであろう、ごく小さな羽毛がひ
とひら、私の前を舞う。
思わず手を出して、その羽毛をすくいとろうとするが、
風のイタズラでするりと掌をすり抜けていった。
幸運のカケラは、風にのり、遠く遠くへ…。
雨は本降りになり、ひととき色づいた街はまた灰色に。


生と死

2007-07-02 20:42:17 | エッセイ、コラム
友達犬のマックの姿がここ数日みられない。
ひょっとしたら…という思いが頭から離れない。

庭に咲いたスカシユリをじっくり観る日々が続いている。
最初に咲いた花は役目を終え、地面に落ち茶色に変色し
大地に還ろうとしている。
一方、いま咲いて青春を謳歌しているものもあれば、これ
から咲く蕾、そして散る寸前のものと様々な形態を数本の
ユリが幾輪もの花を使ってみせてくれている。
生と死は隣り合わせ、そして村上春樹が昔『ノルウェイの
森』の中で語ったように

「死は生の対極にあるのではなく、生の延長線上にある」

ということを実際に目の当たりにする思いだ。

ここでまた、レトリバーの友犬・マック、彼がまだこの世に
存在しているのか、ということがとても気になってくるので
ある。

梅崎司もシュートを決めたじゃないか、マックも頑張るのだ!

ヴィヴァ・ラ・オカラ

2007-07-01 19:04:26 | エッセイ、コラム
最近、如何に金をかけずに、かつ豊かな気持ちで生活で
きるか、ということに執心している。
まぁ、仕方なくでもある。

昨日は豆腐屋の前を通りかかった所、豆腐ドーナッツ70
円という表示が出ていて、それにつられ店に入ったら、
ドーナッツは売り切れで、他に買うべきものはないか、い
や100円内で買えるものはないかと、店内を見回した所、
一袋50円のオカラを発見した。
オカラを調理したことはなかったが、家に戻った所で昔お
袋が実家で出していたオカラ料理の味の記憶を頼りに、
オカラをやっつけにかかる。
ネットが常に繋がる環境であるならば、それを頼りに料理
できるのだが、そうでない私が頼れるのは調理方法の薄
い記憶と自分の舌だ。

フライパンにサラダ油とラー油をひき、そこに生のオカラを
投入し、弱火でとりあえずで炒ってみる。
そこに薄口醤油、砂糖、カツオ出汁の素、昆布出汁の素、
鶏がらスープの素を加える。
しかし、何だかパサパサした感じで、記憶にあるしっとりと
したオカラ料理ではない。
そうだ、水が足りないのだ、そう思い用心深く少しづつ水を
加えてみる。
時々味見も欠かさない。
そうすると段々昔食べたオカラ料理に近づいていった。
具なんて面倒臭く、高価なものは加えられないので、オカラ
に調味料だけで作り上げたが、これが結構イケルものにな
った。
ご飯がススム、ススム。

二次大戦の中で生き、戦後の貧しい時代をも生き残って、
さらに家族まで作ったお袋の料理、そしてその彼女の料理
を刷り込まれた私の舌はだてではないのだ。
知恵とちょっとした手間を惜しまなければ、安価な材料でも
美味しい料理に変貌する。
そして、美味しい料理は心を豊かにもしてくれる。
そんなことをふと思った。