根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

真冬に初夏の風を!

2009-01-30 06:31:45 | エッセイ、コラム
撮影条件が悪くてそれぞれのジャケットが分かりにくいのであるが、初夏の風を感じる事が出来るアルバム5枚。

下からパリス・マッチの『クアトロ』、スワン・ダイヴの『サークル』、インディゴの『ソング・イズ・ラヴ』、サンデイズの『スタティック・アンド・サイレンス』、オレンジ・ペコーの『オーガニック・プラスティック・ミュージック』。
この真冬の最中(さなか)寒さを忘れて少しでも爽やかな風を頬に感じたくなったら、この5枚はその欲求を見事に満たしてくれると思う。
耳障りな音は皆無なのでドライビング・ミュージックとしても最適。
興味がある方はご試聴あれ!!

車列

2009-01-28 01:50:12 | エッセイ、コラム
最寄り駅のロータリー内のタクシー乗り場まで続くタクシーの車列。
だいたい500メートルくらいはあるだろうか。
以前は電車が事故で止まった時のみに出来ていたものだが、最近は毎晩のようにタクシーがこうやって客待ちをしている。
不況の影響なんだろうか…。

チョコ!

2009-01-24 22:57:07 | エッセイ、コラム
基本的に私は辛党で酒の肴みたいな物が好きなのであるが、たまにチョコレートを食べると妙に旨く止まらなくなってしまう。
レトリバーの友犬であった故マックは飼い主さんが言うには食い意地が張っていたとの事であったが、そういう面でも彼とは気が合ったのかもしれない(笑)。

久し振りにレンタルショップへ

2009-01-18 22:12:58 | エッセイ、コラム
風邪も完治しなく、色々と予定外の出費もあった為になかなか劇場に行けず、仕方がないので、レンタルショップでかなり久し振りにDVDを借りてみる事にする。
店内の棚のラインナップをみてみると、えっこんなのもDVD化されてしかもレンタルショップにあるの! っというような非常に公開規模や公開期間が短かった作品も置いてあったりして驚いてしまう。
こういう作品もそれなりに需要があるのだなぁ、などと感心してみたり。

こういった知識は昨年足繁く劇場に通ったから自然に頭に入っている事。
こういう事が分かるようになったのはちょっと嬉しかったりもする。

しかし映画は劇場公開時の興行収入だけでは赤字で、このようにDVD化され、そのレンタルや販売でなんとか元を取る、というのが一般的なんだろうなぁっと考えてみたり…。
まぁ、それでもまだ赤字だったりもするんだろうけど…。

客入りがイマイチだったとけなされていたが私には非常に良かった『ガチ☆ボーイ』や、渋谷での単館上映しかもレイトのみでの興行だった『観察』(劇場で2回鑑賞)や、さして話題にもならず多分スケジュールか金銭的な都合で劇場鑑賞をしなかった『青空のルーレット』や『逃亡くそたわけ』などを借りてきてみる。

『観察』のしみじみとした良作加減を再確認したり、これも劇場で2回観た『ガチ☆ボーイ』では笑ったり号泣したり。
『逃亡くそたわけ』はまだ視聴してなく、『青空のルーレット』はそこそこ佳作といった感じ。


まぁ、でも映画はやっぱり劇場で観るに限るなぁ、なんて事を思うDVD鑑賞。

ライターの部屋

2009-01-14 02:19:05 | エッセイ、コラム
12日の祝日、所用があり昔勤めていた会社の一駅手前の駅まで出向く。
余裕を持ち過ぎて部屋を出たため、予定していた電車よりも早い電車に乗ってしまい、30分早く目的地に着いてしまう。

さて、この半端な時間をどう潰したらよいものか、と目的もなく歩き出し、編集者時代に担当していたライターの部屋まで行ってみる事にする。
幸い目印にしていた幾つかの建物は残っており、難なくライターの部屋まで辿り着く。

と、ライターの部屋自体は現存してはいたのだが、人が住んでいる形跡は無くなっていた。
曇りガラス越しには立て掛けられた大きな机が透けてみえ、ドアの前には廃棄されたらしい掃除機か何かの電化製品が放置されていた。

出版社にもよると思うのだが、小説を書くような作家先生ならともかく、一般的にはライターの部屋まで編集者が赴く事はまずない。
基本的には、電話でのやり取りと、通信による原稿の受け取りぐらいである。
私がそのライターのもとに足繁く通っていたのは、彼が筆が非常に遅く、また仕事を沢山引き受けているがために催促しないと原稿が貰えなかったからだ。
また彼の中で私の会社の仕事の優先順位が低かったのも、原稿がなかなか届かない要因でもあった。
それでも彼に仕事を頼まざるを得なかったのは彼を含めて少数の人間しか知り得ない特別な知識を彼が有していたから。

電話も普通は留守電で彼が直接電話に出る事は殆どなかった。
という訳で、締め切りが近付いてくると仕方無く彼のもとに赴き、原稿の進捗状況の確認や、上がっている原稿だけでも受け取るために部屋まで行っていたのだ。

情が通じないライターとの事だったが、それでも原稿を書いて貰わなきゃいけなかったもので、無駄だとは分かっていても、よく栄養ドリンクや缶コーヒーを差し入れていたものである。
ぺーぺーの編集者の私にはそれくらいしか彼の心を動かす術が思い付かなかった。

初めて彼を担当した時は、締め切りギリギリになっても待てど暮らせど届かない原稿を待ち土曜日の夜に一人会社に残り、ファックスが稼働し始めるのを待ったけか。
深夜3時を過ぎた頃からファックスが届き出し、切りのよい所で止まったので、すかさず彼に電話を掛け、もう少しです頑張って下さい、とやっとやる気になってくれた彼の心が折れないように逐一連絡を入れて励ましたものだった。
そうして、全ての原稿を受け取り、ご苦労様でした、と連絡をし、原稿に指定の赤を入れ、休日の遅い始発電車が動き出すのを待って自室に戻ったけか…。
それは早春の嵐の晩で、朝になってもその激しい雨は止まず、自宅の最寄り駅からびしょ濡れになりながら部屋に帰り着いたのを覚えている。

まぁ、そんな思い出のあるライターである。
出版業界を離れてから、彼に連絡をする事もなく彼が執筆していた雑誌を手にする事もなかったので、その後の消息は不明。
しかし、相変わらず編集者の胃に穴を開けるような事をまだやっているのだと思う。

その会社を辞めたあと、元同僚と会う機会があり、彼が私のその後の事を話題にしていた、と耳にした時は嬉しかったものだ。
あの時は○○君(私の事)に迷惑を掛けてねぇ…、とも言っていたとの事。
およそそういう発言をするようなキャラクターではないので、よほど彼の脳裏ににも私の事が焼き付いていたのだろう。
おそらくもう忘れているとは思うが…。

まぁ、そんな昔の自分が歩いていた場所を訪ねてみた祝日だった。
不思議な事に、駅から結構な距離があるように感じていたその遅筆のライターの仕事場まで、改めて歩いてみると意外にもそう遠い場所ではなかった事が分かった。

菊池寛

2009-01-08 02:59:19 | エッセイ、コラム
たぶん再放送だと思うのだが、NHKの深夜帯の番組で「菊池寛」の特集番組をやっていた。

2008年の初夏頃に彼をテーマにした映画『丘を越えて』も観た事だし、非常に興味深く拝見する。
芥川賞や直木賞の創設者である事は知られていても、作家や編集者の枠を越え、時代の先を見通し、大衆文化に影響を与えた当時のオピニオン・リーダーである事は周知されていない人物であるようなので、こういう丁寧な作りの良質の番組は有り難い。

中高で勉強する際、色々な参考書の同じ事柄を書いてあるページを開き、机の上に並べ一つの事柄を多角的に理解しようとしていた事をちょっと思い出したりしながら、菊池寛という人物を少しだけ理解出来た気がした。

検査キット

2009-01-06 20:56:38 | エッセイ、コラム
相変わらず、原因不特定の風邪のようなものに罹患しており薬も切れ病気も快方に向かわないので、年末に続き本日また内科クリニックに行ってきました。
それで、内科医も10日経っても治らないのはおかしいと判断したらしく、今までの咳を鎮める薬に加え新たに抗生物質を足し、さらに原因特定の為に動き出しました。
それで渡されたのがこの試験管のようなものです。
なんでも、これに朝イチの痰を入れて50回振り、それを3日分溜めて提出して下さい、との事。
バーテンダーにならなくちゃいけないんですね、という私のさして面白くもないジョークは、50代と思われる忙しい看護婦さんに軽く受け流され黙殺されました(苦笑)。

しかし、50回シェイク。
大学時代の研究室にはそういう機器があり造作ない作業でしたが、自分の腕を使ってやるとなると結構大変そうです。
普段使わない筋肉を使うだけに、筋肉痛は必至かと…。

何だか単なる風邪の治療が結構ものものしい事になってきました!

かつて『YOU』という番組があった!

2009-01-05 20:22:44 | エッセイ、コラム
テレビ番組をザッピングをしていたら、NHK教育で25年前の伝説の番組『YOU』の一部分をやっていた。
懐かしいの一言。
若い女の子のファッションと喋り方が如実に80年代。
1983年、まだ私がティーン・ネイジャーになったばっかりの頃。
土曜の夜眠い目をこすりながら必死に観ていたもんだったなぁ…。