根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

ユーロ スペイン優勝!

2008-06-30 06:43:29 | エッセイ、コラム
取り敢えず、決勝戦だけは観ておかないとな、という事と、中途覚醒で目が覚めたので観始めたユーロの決勝戦だった。
何かドイツが勝ってしまうと面白くないし、どちらかを応援しないと、こういう試合は楽しめないので、深い意味はなくスペイン贔屓(びいき)で、テレビ観戦を始める。

クラブ・チームは超一流ではあるが、ナショナル・チームは決して弱くはないものの、どこかイマイチというのがサッカースペイン代表で、スペイン国民も自国のチャンピオンズ・リーグの常連のビッグ・クラブのチームには期待するが、代表にはそんなに期待していない、というのを聞いた事がある。
そのスペインが決勝まで駒を進めてきていている。
それなら取り敢えずスペインだな、そんな軽い安易な理由。

サッカーは好きなスポーツではあるが、経験者ではない私には、戦術とかプレイの素晴らしさとか細かい所までは分からない。
しかし、今回の決勝戦は終始スペイン・ペースで進んでいくのはよく分かった!
ひとつひとつのプレイの素晴らしさが分からない自分が悔しい。


スペインには特に思い入れも関係性もない、と思っていのだが、ひとつだけ関係があるのを思い出した。

13年前に行った欧州旅行で、ロンドンに数日滞在した際、そのホテルの従業員の1人の女性がスペインから出稼ぎに来ていた人物だったのだ。
主に朝食時に彼女とは顔を合わせていたのだが、ロンドンって面白くていいねっと話しをしたら、彼女が、だったら日本からこっち(イギリス)に来たらいいじゃないっと軽く言ったのを思い出す。
そりゃアンタはEUに属している国の出身だから就労ビザも簡単に出るだろうけどさっと思ったのを思い出す。
しかし、彼女の軽やかさや楽天的な考え方は、ラテン系の国の人間の特徴のような気がした。

今回その彼女の母国の、軽やかで華麗なスペイン・サッカーがヨーロッパを制した。

現在はたぶんスペインに戻っていると思うが、ロンドンで出逢ったホテル従業員の彼女もきっと今頃は狂喜乱舞している事だろう。


しかし、TBS、何故に表彰式まで放送しない。
私は“みのもんた”の日焼けした顔よりも、チーム・カラーの紙吹雪が舞う中、勝利に喜びはしゃぐスペイン・イレブンの様子を観たかったぞ。
というか、その瞬間だけが一番楽しみで観戦していたのに。

人生色々

2008-06-29 06:30:44 | エッセイ、コラム
シトシト雨の梅雨らしい朝である。

夏至を過ぎて間もないので既に外は日中と変わらないくらいに明るい。
といっても雨なので、晴れの日に比べれば暗いのであるが…。

休日といっても土曜はまだ人が動いているので、平日に比べると静かではあるが街のざわめきがゴゥーっという音に集約されて聞こえてくる。
しかし、日曜の雨の朝となると雨が降る音しか聞こえてこない。

出掛ける用事がなければ、こんな日曜も悪くはない。


1年前に何年か振りに携帯電話を持った事と、劇場に頻繁に映画を観に行く事が原因だと思うのだが、ホントにテレビを観なくなってしまった。
といっても全然観ない訳ではなく、ニュースとドラマとスポーツ中継は観るのではあるが…。
ニュースも大抵の事は携帯でアップされているので、既に知っている事をテレビの映像で確認する程度。
便利な世の中である。

本もめっきり読まなくなった。
前は山のように図書館で本を借りてきて、読んでいたものだが…。
これはエンターテイメントが映画にシフトしたからであろう。

部屋で過ごす時は専(もっぱ)らFMラジオである。
ラジオを点けて、ほぼ聞き流しながら、ただボンヤリしているか、携帯から情報を得ているか、あるいはうたた寝をしているか、のどれか。

人の生活もたかが1年足らずで変わってしまうのだなっと自分のライフスタイルの変化に少し驚いてしまう。

殆(ほとん)ど生産性のない、無為徒食(むいとしょく)の日々であるが、今はこんな時期なんだろうと、この無為徒食の日々をありがたく享受(きょうじゅ)しようと思っている。
分刻みで動く忙しい人もいれば、暇な人間もいる。
金持ちもいれば、貧乏人もいる。

大事なのはそれがその人に合っているか否か、そこに充実感を感じているか、だろう。


「人は人、それぞれ、

ぼくは僕、僕なり、

きみは君、君らしく」


と唄ったのは昔エコーズというバンドで活躍し、現在は作家活動がメインの辻仁成だったか。



写真は日々草(ビンカ)の花。
夏の陽差しを受けて輝く花も美しいが、雨に濡れ水滴をたたえる花もまた美しい。

フレンド・リクエスト・フロム・アメリカ!

2008-06-28 23:40:20 | エッセイ、コラム
私はマイ・スペースという音楽系に強い世界的なSNSにも登録していて、そこにもお門違いを承知で、文章発表をしているのだが、どこをどう間違ったのか、そこにアメリカはケンタッキー州のインディーズ・バンドからフレンド・リクエスト(mixiでいう所のマイミク申請)が届いてしまった。

マイ・スペースの場合、殆ど無条件に申請を受理するようにしているので、日本のインディーズ・バンドからは時々フレンド・リクエストが来るのだが、海外のバンドからは初めてである。

昨日、同じくアメリカの女性からフレンド・リクエストが来て、それも深い考えもなく受理したので、その関係かもしれないのだが、何故言葉も通じない、しかもミュージシャンでもないアマチュアの文章書きにフレンド・リクエストがくるのかが謎である。
ソウ・ファニーだ!
プロフも理解出来ないだろうに…。

こういうのは数珠繋(じゅず・つな)ぎにやってくる傾向があるので、これから海外からのフレンド・リクエストにも対応しないとならないかもしれない。

携帯で英文を打つのに慣れていないので、短文を打つのにかなり時間がかかってしまった。

しかし、有須悟史も国際デビューなんだろうか(笑)。

早朝の庭にて

2008-06-28 05:07:38 | エッセイ、コラム
こんな時間にブログを更新しているのは眠れなかったから。
夕方から少し寝てしまったのが敗因。

洗濯をしたいのだが、洗濯機を回すには早い時間で近所迷惑なので暫(しば)し我慢。

休日の早朝は静かで、気温もちょうど良いくらいの涼しさ。

庭には毎年咲くユリ、メドー・セージ、チェリー・セージ、をはじめ、日々草(ビンカ)、ニューギニア・インパチェンス、ナデシコ、などが花を咲かせ楽しませてくれている。

ブルー・デージーはもう少し晴れの日が続く気候にならないと、花は付けないだろう。

ラベンダーもレース・ラベンダーともう1種類よく分からない種類の苗を買ってきて植えてみたが、湿気が多い私の庭でちゃんと根付き育つかどうか。

アサガオの類いも買ってきてみた。
順調に弦(つる)を伸ばしているので晩夏には毎朝愛らしい花をみせてくれる事だろう。


写真は最近お馴染みのユリ。
黄色のユリは今年はスゴく背を伸ばして軽く私の身長を抜き、180センチ近くあるのではないだろうか。
左下に小さく写っているオレンジ色のが、ニューギニア・インパチェンスの花。
黄色のユリの横にぼんやり写っているの赤色の花がチェリー・セージ。

梅雨寒

2008-06-26 18:32:31 | エッセイ、コラム
今日の東京はいわゆる「梅雨寒」だった。
これが本来の東京の梅雨なのである。
九州育ちの私は上京当時、はく息が白かったりする東京の梅雨に随分閉口したもので、今でもあまり好きではないのだが、こんな風に梅雨の雨の日に肌寒くないと、ちょっと心配になってくる。
やはり着るものに困るくらいじゃないと東京の梅雨じゃない。
梅雨明けまで、長袖シャツが必要なのが、本当の東京の梅雨なのだ。


写真はそんな梅雨寒の中に咲いてくれたユリの花。
写真で水滴が確認出来るかなぁ。

映画『奇跡のシンフォニー』

2008-06-25 22:39:08 | エッセイ、コラム
監督:カーステン・シェリダン、出演:フレディ・ハイモア、ケリー・ラッセル、ジョナサン・リース=マイヤーズ、テレンス・ハワード、ロビン・ウィリアムス、の映画『奇跡のシンフォニー』を観てきました。


ストーリーは、男子養護施設で親を知らずに育った11歳の少年・エヴァン・テイラー(フレディ・ハイモア)を主人公に、彼が養護施設を抜け出し、ニュー・ヨークに出て、生まれ持った鋭い音楽的な感性を武器に、生き別れになっていた両親を探そうとする過程を描いたものです。

途中でエヴァンは「オーガスト・ラッシュ」という芸名を与えられるのですが、それは、そのままこの作品の原題となっています。
「オーガスト・ラッシュ」は劇中で「八月の興奮」と訳されていましたが、ネイティヴにはこっちの方がしっくりくるのでしょう。



映画の出来どうこうというより、単純に私が少し眠気を感じていたせいで、序盤、物語に集中出来ず、そのせいで、なかなか作品の中に入っていけなく、それが最後まで尾をひいてしまい、私にはあまり心動かされる作品にはなりませんでした。
ちゃんとした体調であれば、涙流れたであろう作品であっただけに残念な事です。

作品冒頭でエヴァンが風にたなびく麦畑の真っ只中で、風が麦の穂一本一本を撫でて奏でる音に夢中になっているシーンは、自然の音や街の生活音を全てメロディーとして感じてしまうエヴァンの音楽的感性の豊さを観客に伝えると共に、近い将来の彼の状態を示唆したもののようで、また非常に美しい光景でもありました。

中途に出てくる、触った事もない楽器を天才的に弾きこなす所も、本来は楽器や音楽というものはこういう風に心で感じ、無邪気に楽しむものだ、と伝えているように思いました。
「音を楽しむ」と書いて「音楽」なのですから。

ラストの肉親同士の音楽のDNAが呼応するような場面も、理屈や科学だけでは割り切れない肉親の結び付きを表現しているようで、とても感動的でした。
この映画は、全てに於いて「音楽」ありきの作品と言えるでしょう。

少々、物語が都合良くトントン拍子に進み過ぎるような感じもしないではなかったですが、まぁ現代のファンタジーと考えれば許容範囲。
もとより、映画という2時間のフィクションにリアリティや過度の物語の整合性を求める方が野暮ってものです。


深い事は考えず、物語の流れに乗ってしまえば素直に感動出来る作品だと思います。
特にプロ・アマ問わず何らかの形で楽器を本格的に触った事があり、自分で楽器を弾き音楽を楽しむ方であれば、物語の要所々々で出てくる、主人公が楽器を奏でるシーンはかなり心に響くものではないかな、とどちらでもない私はかなり悔しさを感じる作品でもありました。

間近

2008-06-25 06:59:27 | エッセイ、コラム
写真は開花が近いユリです。
数日後には大きくて美しい花を咲かせてくれる事でしょう。


洗濯をしようかなぁ、と思って天気を確認しがてら、庭に出てきたんですが、現在の所、雨粒がいつ落ちてきてもおかしくないような曇り空。
本日は非常に微妙ですね。
午後には晴れ間がのぞくというのは本当か?
昨日を逃したのが痛かった…。

雀(スズメ)や四十雀(シジュウカラ)などの小鳥が鳴き、鳴かなくてもいい烏(カラス)が鳴いて、中央線の電車の減速と加速の音が聞こえ、ゴゥっという車の音が響く、いつもの平日の朝です。

ウメです。メスです。2歳です。

2008-06-24 00:46:53 | エッセイ、コラム
昨日、今年の梅雨は蒸し暑いと書いたそばから、今日は涼しく、何とも気紛れな天候である。
明日は曇り時々晴れで、気温もそこそこ上がるらしいが。



先日スーパーで買い物を終えて、出口に差し掛かった所で、イヌと一緒にいる少女に出逢う。
イヌを触りたかったので、近付いて行き軽く触った所で、その小学校3年くらいの女の子が、私が何も質問しないうちから

「ウメです。メスです。2歳です」

と言ったのが妙に可笑(おか)しかった。
たぶん彼女にとっては幾度となく同じ事を訊かれているので、無駄を省きたかったのだろう。
イヌはお転婆で人懐っこい感じの雑種っぽかった。
イヌがやんちゃをすると困るので、たぶん母親あたりに自分が買い物をしている間、イヌを監視しておくように言いつけられたように思われる。

何か微笑ましいコンビだったので、写真を撮りたかったのだが、今日日(きょうび)そんな事をしていると、変質者に間違われる危険性があったので、軽くイヌを触って、そのコにお礼を言って、立ち去った。
長居は無用。

しかし、こういう短時間の、見知らぬ人間や動物とのちょっとした交流が楽しく嬉しい今日(こんにち)である。

東京の梅雨・夏

2008-06-22 22:13:30 | エッセイ、コラム
東京の梅雨なのに、蒸し暑い日々が続いている。
雨粒も大きい。

随分前の上京時、蒸し暑い九州の梅雨しか知らなかった私は、初めて体験した東京の梅雨寒に閉口したものだが、最近の東京はそういう日が少ない気がする。
現在はイギリスで葡萄栽培が出来るという事だから、九州よりも緯度が高い東京の気候も少し変化してきているのだろう。

私の東京生活はエアコンのない四畳半の部屋(半畳のキッチン・トイレ共同・風呂無し)からスタートしているので、梅雨明けの暑さにも参ったものだ。
あまりの暑さにコンビニに涼みに行った事も数えきれない程ある。
都市熱で夜も気温が下がらず、暑くてなかなか寝付けず、寝不足になる日々。
現在、夏に冷房をガンガンに入れるのは、その頃の反動だろう。

あの頃は地下鉄も冷房が利かなくて、汗かきの私には辛かった覚えがある。

光化学スモッグの警報を聞いたのも初めてだった。
夏の昼間自室にいると、聞こえてくるアナウンスと嫌な響きのサイレン。
窓を閉めろ、というけれど、窓を閉めたら確実に熱中症になってしまうではないか、と区の放送に毒づいていたものだった。

もう東京生活も長いので、忘れてしまっている事も多いが、こういう1日中雨が降る日には、ふとそういう事を思い出す事がある。

例年だと梅雨明けは来月の今頃か。
あと1ヶ月。
また体調を崩す日が確実にあるんだろうなぁ。
上手くやり過ごすしかない。

映画『西の魔女が死んだ』

2008-06-21 19:52:07 | エッセイ、コラム
原作:梨木香歩、監督:長崎俊一、出演:サチ・パーカー、高橋真悠、りょう、大森南朋、高橋克実、木村祐一、の映画『西の魔女が死んだ』を観てきました。


ストーリーは、祖母(サチ・パーカー)の訃報が入り母親(りょう)と共に車で祖母の家に向かう中で中学生の女の子・まい(高橋真悠)が、2年前の一時期、豊かな自然に囲まれた田舎の祖母の家で過ごした日々を思い出す、というものです。


未読ですが原作がしっかりしていてロングセラーになる程の質の高い作品である分、この映画にもそれは反映されているようで、学校生活で傷ついた、まいを預かり暖かく見守り、心を癒やしていく祖母の優しさが素晴らしい作品でした。

劇中、登場する自然も美しく、また花やハーブも頻繁に登場するので、そういう趣味がある方にはそれだけで楽しめる事でしょう。

そして祖母が時折、まいに言って聞かせる言葉の含蓄深い事。

現在、心のバランスを崩している方にも、これから生きていく上で、何かしらのヒントを貰える作品だと思います。

ラストでは私も隣りに座っていた見知らぬ若い女性も泣いていました。

初夏らしい初夏がなかった今年の東京、そして、この梅雨の蒸し暑い最中(さなか)、初夏の森の爽やかな風を味わいに劇場に足を運ぶのも一興かと。