根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

ホントに世界一?

2006-03-23 19:20:55 | スポーツ
WBCの日本優勝で選手や日本のファンの間に「世界一」「世
界一」という言葉が飛び交っていたのに何か違和感を憶えて
しまう。
確かにワールド・ベースボール・クラシックという名前の野球の
国際大会で日本が優勝したのは事実で、それは同じ日本人と
してとても誇らしい事なのだが、それによって日本が「世界一」
というのは違うと思う。
なぜなら野球が世界的なスポーツではないからだ。
野球というスポーツはアメリカと日本が影響力を及ぼす国での
み盛んに行われている競技で、世界的にみれば、いちマイナ
ー・スポーツに過ぎない。
今回の日本の優勝は多分ヨーロッパやアフリカあるいは中東
では多分報道されていないだろう。
これらの国々ではひょっとしたら野球というスポーツの存在すら
分からない人が殆どかも知れない。
そういうスポーツで優勝したからといって気軽に「世界一」
と言ってしまうのは何ともおこがましく、また早計だ。

こんな考えは自分達が生きている所だけが「世界」と信じて疑
わないアメリカ人と変わらずなんとも恥ずかしい。

我々日本人の様に子供の頃から野球というモノに慣れ親しん
できた国民には、野球のルールにしても動きにしても当たり前
で何て事ない競技であるが、客観的にみてこんなに複雑なル
ールで高度な動作を要求されるスポーツも珍しいのではないだ
ろうか。
本格的に野球をする場合には用具の高価さや他の競技に転用
出来ないスタジアムの特殊性という問題もあるし、これを圧倒的
に貧しい国々が多くを占める世界に広げていくというのは、かな
りの困難な作業のように思える。

また日本の場合でも競技者の最終地点であるプロ野球が未だ
に企業スポーツであったり、アマチュアとプロに垣根があり組織
が一本化されていなかったりで、近代的なプロスポーツとはお世
辞にも言えない状況だ。
そういう悪条件下にある日本の選手達が国際大会で優勝してき
て、さらには野球の近代化を阻んでいる企業グループの系列下
にあるテレビ局が今回の歴史的瞬間の中継を担当してしまうの
は何とも皮肉としか言いようがない。
プロ野球の人気がなくなってしまったのは単純にサッカー人気が
高まってしまった事にあるのではない。
みんなJリーグの発足で気付いてしまったのだ、「現在の既得権
益の上に胡坐をかいて何の努力もせず、そのくせ新しき考えを持
った新参者には平気で門戸を閉ざしてしまう者達が運営している
競技には何の魅力も感じない」という事を。
「今回の優勝で野球離れが進んだ日本人に野球の面白さが分か
ってまた野球の人気が高まるといいのですが…」なんて楽観的
なコメントをしている人がいたがこのままじゃ別段何も変わりはし
ないだろう。
ひょっとしたら、ナショナリズムを刺激され、また負けたら後がない
真剣勝負の面白さを分かってしまった後だけに、企業色が著しく
強く地域性が今一つ希薄で、ダラダラとシーズンと試合を運んで
しまう日本のプロ野球はいっそう色褪せて感じてしまうかもしれな
い。
今回、日本選手達が死に物狂いでもぎ取ってきた国際大会の優
勝でもあるし、これを機会に近代プロスポーツとして野球が新たな
道を進んでいく良いきっかけにして欲しい。

今日、近くの路地で野球をしている少年達を見かけた。
リトル・リーグの野球少年は見かけるがこんな風に遊びで野球を
している少年達は近頃非常に珍しい。
間違いなくWBCの影響だろう。
彼らの心に宿った芽をむざむざと摘んではいけない。
アメリカ主導でアメリカの為に開催されたWBCであるが、結果的に
優勝したのは日本だった。
これは内も外も改革しなさい、という神からの啓示のように思えて
ならない。
その役割を日本という国が神から託されたのだ。
日本の野球関係者には褌を締め直してもらい、日本プロ野球の近
代化とWBCの真の世界大会化への努力に邁進し、野球という競
技の魅力を国内外に喧伝していって欲しいものだ。

忍びよる悪魔

2006-03-16 18:31:18 | ダイアリー
水道局から督促状が来る。
いついつまでに以下の料金を払わなければ水道を止める、
という内容のもの。
冬の間は電気代がかさんでしまい、とても水道代まで手
がまわらず、数ヶ月分滞納していたのだ。
電話料金や電気代と違い水道料金は利用停止になるま
でに暫く時間があり、その点はだいぶ助かっている。
まぁ、根源的なライフ・ラインという事で役所も大目にみて
いるのだろう。

水道を止められてはトイレの水も流せず、用足しにも事欠
くので『仕方ない、払うか』と思い料金を確認すると11~12
月分が4800円となっているじゃないか!
有り得ない金額だ。
8年程今のアパートに住んでいるが普段は2500円前後で
こんなに使用料金が跳ね上がった事は今までにない。
普段の2倍量の水道を使った憶えもない。
だいたいが生活スタイルに大きな違いもないのに、2倍の
量の水を使う事の方が困難だ。

腑に落ちないので水道局に問い合わせると、漏水ではな
いか、との事。
漏水の中でも一番多いのが水洗トイレのタンク内のフロー
ト異常との事だった。
確かにウチのトイレはフロート異常で普通にしていると水が
自動で止まらず、ある程度タンクに水が溜まった時点でもう
一度レバーを軽く引きフロートを上げ、水を止めるようにして
いたのだ。
確かにトイレの水洗システムに異常はある。
水道局の係の人によると、一見水が止まっているようでも
水洗トイレのタンク内の異常でひっそりと水が流れている場
合があり、それがメーターに反映し、ひいてはバカみたいな
水道料金になってしまう、との事だった。

ひっそりと水が流れているかどうかは分からないが、フロー
トに異常はある事だし、水道局の人の言う通りの事が多分
ウチのトイレでも発生していたのだろう…。
あぁ、なんて事だ。
まったくクソ役にも立たないウチのボロトイレなんぞは粉々に
破壊してしまいたい。
やっと、厳冬が終わって暖房代がかからなくなり少し生活に
余裕が出てくると思ったらこれだ。
まったくツイてない。

雨の季節

2006-03-02 18:46:10 | エッセイ、コラム
「三月の始まりは雨だった」というのは歌や小説の一節ではな
く、今、私が思いついた事を気まぐれに書いただけである。
季節が動き始める時には雨が降る。
種類の違う空気が互いの覇権を争い合い、そこに軋轢が生ま
れ、そして前線が発生するためだろう。

この時期の雨にはあまり良い思い出がない。
正確には良い思い出よりも、悪い思い出の方が際立っていて、
そしてこの時期の雨と関連付けられて記憶されているせいなの
だが。

大学の合格発表の時にはよく雨が降った。
午前中に家を出る時には薄日が差していたり曇り空だったりし
ても、発表を見終えて家路に着く頃にはよく雨に降られたものだ
った。
ざわついた合格発表の掲示板の前で、受験票を片手に番号を
見比べる。
掲示板に自分の番号は記されてなく、もう一度見比べてみるが
やはりなく、小さくため息をつき、志望校をあとにする。
学校から駅までの間に電話ボックスを探し、「悪い知らせ」を家
族に連絡する。
私からの連絡をきき、明らかに声のトーンが変わる家族の様子
が嫌だった。
そんなうらぶれた気持ちを胸に電車に乗り家に向かう。
そんな時に雨が降り出すのだった。
電話する時まではよく憶えているのだがその先は記憶が飛んで
いる。
そのあとの記憶は外で食事をしているものだ。
私は地方から上京して兄の元で居候させてもらいながら受験を
していたのだが、悪い結果の夜は兄に誘われ、映画を観たり食
事をしたりしたものだった。
沈黙まじりの食事。
午後から降り始めた雨は止むこともなく降り続け、ただでさえ憂
鬱な心をその寒さで助長させるのだった。
食事を終えてレストランから出ると、通りのアスファルトに車のラ
イトが無数に反射して綺麗だった。
夜でも途切れる事なく走る自動車の群れ。
遠くにみえる雨で薄く煙った高層ビル群の灯かり。
どこかから聞こえる若者の叫声。
キラキラ輝く都会の風景だったが、春になってもこのきらびやかな
街で自分は大学生活を送る事は出来ないのだと思うと自らの不
甲斐なさに何とも言えないものを感じるのだった。

早春の雨にはこんな風なほろ苦い思い出がある。
自らの努力不足で招いた、菜の花の味の様にほろ苦い思い出が。

今日も早春の雨で少し寒い。
それでも、今はまだ寒くても、今月末には桜が咲くそうだ。
この春、昔の私の様に不甲斐ない気持ちで満開の桜をみる人は
どれくらいいるのだろうか。