根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

宵闇にまぎれて

2006-07-12 18:13:14 | エッセイ、コラム
昨夜、コンビ二に行った帰りに猫の啼く声に足を止めて
しまう。
基本的に猫の姿を確認するとダメもとで声を掛ける事に
しているので、暗いなか声のする方を捜す。
塀の上に座っていた声の主は見覚えのある野良猫だっ
た。
その路地によくいる猫で、前に一度引っ掻かれた事のあ
る猫。
以前、買い物帰りにたまたま購入していたチーズを分け
てあげた事もある猫だ。
その後もその猫の姿をみると呼んでみたりしていたのだ
が、今度は彼女の方から私を呼んでみたらしい。
その一回だけあげたチーズの件を覚えていたのだろうか。
地方出身者で一人暮らし、そして近所に知り合いのいな
い私がアパートの近くを歩いていて、人から声を掛けられ
る事はまずないのだが、まさか猫から呼び止められる事
になるとは思わなかった。
それが餌目的だったとしても結構嬉しいものだ。

今日は彼女の為にまたチーズでも買って帰る事にしよう
か…。

W杯・ドイツ大会 フランスvsイタリア ~プライドの代償~

2006-07-10 15:24:09 | スポーツ
延長戦の後半、暴力行為でレッドカードを受けたジダン
が、W杯のトロフィを尻目に、ピッチからロッカールーム
へ続く階段を肩を落としながら下りてゆくシーンが、今
回の決勝戦の行方を如実に表していたように思う。
もし、これが漫画やドラマならば、「ジダンのために!」
と奮起したフランス選手たちが怒涛の攻撃をみせてゴ
ール! という事になるのだろうけど、現実にはそんな
事もなく、1-1のドローのままイタリアにPK戦にまで持
ち込まれた末、逆にそこでPKを外したフランスが負け
てしまう、という結果になってしまった。

今回で引退してしまうジダンがいる事で漠然とフランス
を応援してはいたが、結局の所どちらが勝っても構わな
いとも思っていた。
しかし、このジダンの退場でいっきにフランスに気持ち
が傾いてしまい、残り少ない試合時間は盲目的にフラ
ンスを応援してしまう。
そして、PK戦を制し、イタリア優勝! 
フランスに感情移入してしまっていた事もあり、ブラウン
管の中で歓喜に沸くイタリア選手たちを苦々しくみつめ、
涙まで流してしまう始末。

こんな形で選手生活にピリオドを打たなければならない
ジダンはひたすら気の毒で、サッカー史に残るであろう
人物のラストダンスに泥を塗ったイタリア(実際に悪いの
はマテラッツィだけなのだけど)は、もはや嫌悪の対象で
しかない。
特殊な事情がない限り、この先私がイタリアを応援する
事は決してないだろう、と思った。
日本代表の敗戦共々、W杯・ドイツ大会の決勝戦の結
果もまた釈然としないものになってしまった。

ジダンがフランス優勝の可能性を遠ざけ、また自身の輝
かしい選手生活に傷を付けてまで守りたかったものとは
一体何だったのだろうか…。

ハサミの手

2006-07-08 16:46:50 | エッセイ、コラム
テレビ東京の午後の番組でティム・バートン監督の『シ
ザーハンズ』をやっていた。
テレビ番組表には90年の映画となっていたが、日本で
の公開は91年の夏の事だったと記憶している。
既に公開から15年の年月が流れている。
15年といったらその年に生まれた子供が高校生になっ
てしまう年月ではないか!
基本的に25歳くらいで精神年齢が止まっている私の感
覚としては7年くらい前の映画という印象でしかないのだ
が、そんなに前の事だったとは…。

この映画は今回で何度目の視聴になるのだろうか。
初めはビデオ屋でレンタルして視聴、その後テレビのゴ
ールデンタイムの映画の枠で放送されたのを観て、さら
には時を経て深夜の映画枠でひっそりと放送されてい
たりして、それをだらだら朝まで観てしまった憶えもある。
何となくだがこの映画は深夜枠が似合う気がする。
実際の映画公開時も、幾つかのメジャーな作品がある
中のややマニア受けがする秀作といった位置づけだっ
たように記憶しているが、それは私の単なる思い込み
か…。

久し振りに『シザーハンズ』を観た感想はよく出来た現
代のお伽話しといった印象だった。

発明家が「人」を作っていく過程で何故ハサミの手にし
なければならなかったのか?・何ゆえアメリカの小さな
町にお城然とした建物があってそれが手付かずで残っ
ていたのか?・いくらセールスの為とはいえその不気味
な建物にずんずん入っていく女性が存在するのか?・そ
こで出会った人造人間・エドワードをいくら人が良いアメ
リカ人とはいえ家まで連れ帰るなんて事があるのか?、
よくよく考えると矛盾点は沢山存在するのだが観ている
過程ではそういった矛盾点は特に感じない。
ストーリー展開に加え、コミカルさ・音楽の美しさ・コミカ
ルさの中に漂うある種の哀しさなどがちりばめられてい
て、結果として極上のファンタジーとして成立させている
からだろう。

劇中、ちょっとした事件から人々のバッシングに遭って
いくエドワードがある。
社会な動物である人間にとって「風向き」というのは生
活をしていく上で重要なファクターであり、その「風向き」
によっては今まで賛美し持ち上げていた存在を次の瞬
間から「叩き」出すのは仕方ない事なのかもしれない。
ライブドア事件前後での堀江貴文氏に対する評価の変
容、先のサッカーW杯に於ける日本代表の評価の変わ
り様など、最近の日本でも『シザーハンズ』のエピソード
と似た現象があったように思う。

また異形の目障りな存在を本能的に排除しようとする行
為も同じく。
これは人種問題を身近な問題として常に感じているアメ
リカだからこそ出てきた発想だろうか…。

しかし、ティム・バートンはファンタジーの形にしてそうい
った行為は非常に愚かで醜い事なのだと、私たちに訴
えかけているように思われる。

また人造人間であるエドワードはハサミの手を持ちなが
らも基本的に人を傷付ける事はない。
使い手によってハサミは人を喜ばせる道具にもなり、凶
器にも変わる。
我々の手の先にも見えないシザーハンズつまり「ハサミ
の手」があって、時に人を喜ばし、時に人を傷付けてい
るのかもしれない。
使い手の都合次第で如何様にも変わる「ハサミの手」が
…。


そんな事を考えた数度目の『シザーハンズ』だった。





映画『シザーハンズ』あらすじ・解説
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4055/comment.html