備中松山城に行く途中、吉備中央町湯原地区の道路脇に広島地方では見かけることがない茅葺の辻堂があった。
看板表示によると寛政7年(1795)の棟札が残されているようで古くから地域の人々の信仰の場であり道の辻に建てられているもので、旅をする人達も休息や宿泊などに利用していたようである。
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