東墓地にある桜尾城主であった桂元澄夫妻の墓碑で桂元澄は毛利氏の親類衆と呼ばれる重臣で芸防引き分け後に西の押えとして中継基地となった桜尾城の城主となった。永禄12年(1569)に没するまで約15年間在城してこの地を治めた。
元澄の墓は大理石製の宝篋印塔(写真左側)であるが風化が激しく特異な形状になっており、基礎中央には大江元澄と刻されている。夫人の墓(下画像)は後妻の志道広良娘のもので地方色の濃い宝篋印塔である。
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