森林域を抜けると低木や熊笹域となって緩やかな登山道となり、ほどなく進むと岩の上に遭難碑が建立されているのがみられる。
昭和59年(1984)12月22日に遭難した永吉師通氏の遭難石碑で、もう少し進んだ奥まったところには石を積み上げたと思われる所があり、そこに至る熊笹が刈り取ってあるので古い時代の遭難碑なのであろうか。
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