今回の十方山登山での最終地は雨中の瀬戸滝で比較的水量が多く豪快に流れ落ちていた。かつて瀬戸滝を迂回して瀬戸谷を遡りウシロヤマ谷からコノタのギシと言われる十方山登山道の7~8合目くらいに出る(下画像の谷)ルートを探訪したことがあるがもう溯行出来る歳ではなくなった。
十方山登山口からしばらく登っていくと石積みの木馬道跡(上画像)がある。かつて瀬戸谷の奥地から木馬で木材を搬出していた跡でありこの道を進んで行くと瀬戸滝が見える上部に至る。登山道のカラ谷分岐から瀬戸滝に向かい下って行くと前述の瀬戸滝が見える木馬道跡(中・下画像)に合流する。
伊藤四郎氏遭難碑
永吉師通氏遭難碑
遭難碑?
十方山には2基の遭難碑が建立されておりもう1基遭難碑とみられる積み石がみられる。登山道の5合目表示があるところから左手に進むと三つ倉と言われる標高1030mの小ピーク山頂に昭和10年(1935)2月3日に雪のため遭難した伊藤四郎氏の遭難石碑が建立されている。
もう1基は山頂に近づき森林域を抜けると低木や熊笹域となって緩やかな登山道となり、ほどなく進むと岩の上に昭和59年(1984)12月22日に遭難した永吉師通氏の遭難石碑が建立されている。この遭難碑から少し進んだ奥まったところには石を積み上げたと思われる所があり、そこに至る熊笹が刈り取ってあるので古い時代の遭難碑なのであろうか。県北の山は熊と共に雪は恐ろしいものだ。
カラ谷の滝
落ち葉のジュウタン
笹を喰ったサルノコシカケ
不明樹の紅葉
山頂
市域の高山である十方山(標高1318.9m)を久しぶりに挑戦したが、生憎の冬型で5合目頃から時雨となり山頂では風雨と霧で十方どころか全く展望が出来ずトンボ帰りとなった。登山途中の紅葉は綺麗であり何の樹であろうか落ち葉のジュウタンを歩き、下山道はカラ谷から難山道の瀬戸滝経由で下山した。今日の山は天気がよさそうだ ‼
剣神社
大剣神社
剣山本宮宝蔵石神社
平家の馬場平原
次郎笈峰
見ノ越駐車場からまず剣神社に参詣し登山の安全を祈願して登山リフトを横目に西島駅まで登り、ここから大剣道コースを登って大剣神社に参詣した。大剣神社の裏手には御神体であろうか御塔石が聳立している。大剣神社からしばらく登ると尾根道コースと出会いほどなく山頂の剣山本宮宝蔵石神社があり裏手には御神体であろうか宝蔵石がみられる。宝蔵石神社に参詣して平家の馬場と呼ばれる平原の木道を通って山頂三角点標高1955m(先日画像)に到達した。
山頂からの次郎笈峰はすばらしい景色であり稜線に延々と続いている登山道を縦走したいと思ったが次の予定があったので画像に収めて尾根道コースを下山した。
悪谷川の第三取水口
流水路への合流ケ所
林道を塞ぐ伐採木
悪谷林道を下っていると中電の栗栖川発電所の第三取水口が悪谷川にあり、少し下った所にある上流第一取水口、第二取水口からの流水路に流れ込んでいる。
ここまで探訪は順調であったが国道186号線はもうすぐの所で最悪のアクシデント・・・悪谷林道の拡幅工事が行われるのであろうか樹木が伐採中で林道が塞がれており片側は急峻な山林、他側は悪谷川で通行不能、熊に注意とある来た旧街道を帰るのも・・・どうしようかと思案し究極の選択、滑り落ちそうな急峻な山林を藪こぎして何とか通り過ぎることが出来た。
比丘尼渕上の滝
比丘尼渕
比丘尼渕下の滝
旧津和野街道を横山の山裾から旧村境のみだ川(現在は悪谷川)を渡って悪谷林道を下っていくと比丘尼渕といわれている大きな渕(滝つぼ)のある滝がある。
悪谷と呼称されているように急峻な谷間を流れる悪谷川は花崗岩の露出した急傾斜地であり大小10数ヶ所位の滝が形成されているが、悪谷のため撮影ポイントになかなか近づくことが出来ない。
石畳道
石畳道
一里塚跡
茶屋とこ
一里塚跡と表示された手前ぐらいまで石畳道が断続してみられるがその多くは落ち葉に隠されている。画像の箇所は比較的きれいに石畳が表れている所である。
江戸期の地誌に「観音原木橋ヨリ茶屋とこ迄廿七町五十間登り急坂、此間ニ壱里松有」とあり、一里塚跡の表示してある場所があった。しばらく登って行くと茶屋床と表示され平地に休憩所があるがこの場所付近に茶屋があったようである。旧津和野街道はかつて中国自然歩道の整備の際に所々改変整備されているところもあるようである。
観音原の観音堂
石畳道
炭窯跡
吉和通り石州往還跡を探査しようと思っていたが積雪のために急遽、栗栖から旧津和野街道を探訪し悪谷林道、国道186号線を周回した。栗栖から旧街道に入ってすぐに観音堂があり江戸期の地誌にみられ石の御本尊であるが由緒など不明である。
石畳道は各所でみられ延べ長さは相当の距離になるものとみられる。30数年前に探訪していたがこのように長い延べ距離に石畳があったとはあまり記憶になかった。
江戸期の栗栖村地誌に炭窯や炭役所などの記述があり古くから炭を産出していたようである。いつの時代のものか不明であるが途中2ケ所の炭窯の跡である石積みがみられた。
平良地区と宮内地区境の尾根筋に残る旧石州道の名残りの山道で、かつて丹戸山越(沢の尾峠)から長尾、折敷畑山中腹の横道を経て黒折地区に通じていた江戸期津和野街道が整備される以前の古道である。
折敷畑合戦で「毛利元就、隆元は本道筋より攀じ登り・・」とあり、毛利元就、隆元は本道筋と目されるこの石州古道から折敷畑山に攻め寄せたのであろうか。戦記物に記されているものであり真偽のほどは定かではないが・・・
長い間山の手入れがされていないものとみられ大きな杉の木に太い藤カズラが巻き付いており、大蛇に巻き付かれているようである。
カズラに巻き付かれると木の生長が阻害されるのでやっかいであるが、この杉の木は螺旋状の凹みがあるおもしろい木になっているのではなかろうか。
現在の山境はコンクリート杭やプラスチック杭で表示するが昔は腐らない貝殻をまとめて埋めており、また腐らない陶磁器片やガラス瓶を埋めているところをみたこともある。知らないと一瞬貝塚ではないかと間違いそうである。
山歩きでよくみられる山境は下画像のように樹木の芯を切って沢山の幹にしているもので尾根筋などでみられる。
原地区後背山地の通称汐見山にあった枯れた切り株に沢山のキノコが生えており定かではないが黒いキノコはカワラタケのようにみられるが・・・
2本の切り株でなぜか同じように上部は白色のキノコで下部は黒色のキノコとなっているが上下のキノコの種類が違っているのであろうか。