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『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

野貝原山登山 ②

2018年02月20日 | 登山







 


険道を泉水峠に登っていると両側に石積みのある掘割りがみられ、これは険しい泉水峠にトンネルを掘りかけた跡である。
玖島の豪農八田家は廿日市の住吉新開など旧廿日市市域にも多くの土地を有し、また、後背地の山間部に広大な山林を所有していた。本拠地の玖島と廿日市を結んでいる1等里道の泉水峠は険しく、経済活動を高めるにはトンネルが必要とのことで工事を始めていたものと思われるのである。ところが大正3年(1914)廿日市町に本店を置いていた八田貯蓄銀行の取付け騒ぎで、八田家所有の山林1378町歩と田畑6町歩を抵当にするなどし、大正7年(1918)には八頭銀行に統廃合されたために、トンネルを造る必要性も薄れて中止となったものとみられる。
泉水峠のすぐ手前に石積みのある小さな平坦地がみられ、ここには昭和初期頃まで休憩所が設けられていた跡のようである。

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野貝原山登山 ①

2018年02月19日 | 登山










昨日、原地区川末から県道294号虫道廿日市線を登って泉水峠から野貝原山の旧三角点と現三角点を経由して旧のうが高原周回路を一周し中電の管理道を通って川末に下った。石がゴロゴロした山道でまさに険道であるが、途中大きな音がしたので低空でヘリコブターが飛んでいるのかと思ったら5台のモトクロスバイクが登ってきたのでビックリ・・・
バイク主は若者達と思っていたが野貝原山三角点でくつろいでいた人達は年配の人もいたのでまたビックリした。

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極楽寺山登山-変形木

2018年01月24日 | 登山





 


昨日紹介した佐方川支流の流の滝手前にある杉の倒木から本来は枝であろうが何と5本も大きな幹に育っている。倒木からは別に幼幹が5本伸びているが画像向う側斜面の通常ではない根元から養分がよくも供給できるものだ。下画像は側道沿いにあるH型枝の変形木がみられた。

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極楽寺山登山-流の滝、清水滝

2018年01月23日 | 登山





 

佐方地区奥部、山陽自動車道の下を通る側道を進むとすぐに佐方川支流があり川沿いに進むと通称流の滝がある。昔は憩いの場所として整備されていたようであるが今は荒れており訪れる人もいない。さらに側道を西行すると荒蒔川の上流で側道はなくなり川沿いの山道を下って行くと清水滝があり滝の上流は滑滝になっている。昭和初期の山関連文献の極楽寺登山路図によると清水滝と記されているが、滝名が忘れられ現在では地名により荒蒔の滝と称されているようである。

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極楽寺山登山-タマミズキ

2018年01月22日 | 登山







極楽寺山から佐方参道を下山中遠くに見える鮮やかな色は紅葉?花?新芽?と思われるような周りに比べ際立ったもので、今時期何だろうかと望遠で撮影すると赤い果実の鈴なりであった。帰宅してネットで調べるとタマミズキの実のようであり当ブログ主は初めてみるものであった。

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極楽寺山登山

2018年01月20日 | 登山








昨日、宮島SA横から廿日市参道を登り極楽寺に参詣をして、帰路は仁王門前から屋代・佐方参道を下って佐方地区奥部に下山した。ここから山陽道の側道を通り中電の鉄塔管理道を経て廿日市参道の極楽寺橋から宮島SA横に帰る少しハードなコースであった。下山途中の屋代・佐方参道脇に極楽寺山無給電中継所があり、これは2号線や山陽自動車道などから山頂近くにみられるものである。旧屋代参道と佐方参道の分岐点に昭和10年(1935)に建立された石碑があるが、現在の屋代参道は離れたところを通っている。

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極楽寺山登山-幕末砲台跡

2018年01月04日 | 登山



 

廿日市参道の30丁碑手前に石積みがみられる平壇がありこの場所は幕末期の砲台跡であると先人から聞いたことがあり、以前紹介した通称茶臼岩山の幕末期砲台跡と同時期のものとみられる。大正期の地誌などに極楽寺山の南方頂に近き所に広島藩が砲台を設けたことが記されており、陣小屋場、篝焚小屋などがあったようで何と木炮が配備されていたようである。

コメント (2)
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初登山・寺社初参り

2018年01月03日 | 登山







昨日の午前中は速谷神社の延命祭に参詣し、おせち料理で腹ごしらえをして極楽寺山へ初登山をした。上平良参道口にある河野原大歳神社に初参りをして上平良参道から廿日市参道を登って極楽寺に初参りをした。下山は廿日市参道から原参道を下り原地区にある伊勢神社へ初参りして帰宅した。

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極楽寺登山-松枯れの木に

2017年12月28日 | 登山






極楽寺境内にある松ですでに枯れて上部は折れている木に見たことがないようなコブがみられた。サイトによると木にコブ病が発生することがあるとあったがコブ病によるものであろうか。廿日市参道脇の松の切り株に飴色の硬いサルノコシカケが生えていた。

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極楽寺山登山-廿日市参道の堂宇

2017年12月27日 | 登山




 

極楽寺への廿日市参道26丁碑の脇にある手無し観音堂であるが観音像は無くなり石仏が安置されている。江戸期の地誌絵図に手ナシ神と記されているものがこれに相当するものであろうか。星ケ城跡の脇を過ぎると屏風を立てたような巨石、通称「屏風岩」の上に大日如来像が安置されているがかつて堂宇があったが朽ちてしまった。明治35年(1902)に大日如来堂再建の棟札が残されているようである。

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極楽寺山登山-極楽寺の力石

2017年12月26日 | 登山


極楽寺の力石



伊弉諾神宮の力石


田村神社の力石


極楽寺境内にある砲弾型の力石でかつて娯楽の少なかった時代の極楽寺縁日の日には若い衆が力自慢をしていたものであろう。戦前には鉄製の打出の小槌型の力石(?)があったようである。昨年5月に参詣した淡路市の伊弉諾神宮境内には丸型の力石が3個あり、高松市の田村神社境内には長方形で重さが刻された力石が6個みられた。

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極楽寺山登山-里程碑

2017年12月25日 | 登山

 
18丁・19丁碑


20丁・22丁碑


24丁・26丁碑


27丁・29丁碑


30丁・34丁碑


35丁・36丁碑


37丁・13丁碑

極楽寺廿日市参道には江戸期の里程碑が建立されているが失われているものも多くある。今回は宮島SA脇から登っているので18丁碑から37丁碑までの里程碑があり、37丁碑向い側には観音参道の13丁碑が建立されている。廿日市参道の里程碑は天明元年(1781)に廿日市の町人衆によって建立されているのである。

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極楽寺山登山

2017年12月24日 | 登山








一昨日今年納めの登山をと宮島SA脇から廿日市参道を登り極楽寺に参詣しもう少し足を延ばそうかと夫婦樫がある駐車場付近まで行くと残雪があった。帰路23丁付近から放浪癖が疼き出し廿日市参道を外れ、天狗岩と思われる大岩を見て臼ケ谷を下り上平良参道を経て帰った。極楽寺山は登りやすい山であろうか中高年の登山者が多く30人位出会ったであろうか。

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古代山城-基肄城跡探訪

2017年11月30日 | 登山


南水門跡

米倉跡


東北門跡


北帝門跡


丸尾礎石群

イモノガンギ

賀県基山町にある古代山城の基肄城跡を雨にもかかわらず強行探訪した。基肄城は天智4年(665)に築城された古代山城であり、今回の探訪目的の一つとしていたので雨具も準備していた。南水門跡から米倉跡、鐘楼跡、土塁跡、東北門跡、北帝門跡、丸尾礎石群などの遺構とイモノガンギといわれる中世のもの思われる遺構など史跡めぐりコースを探訪した。山中には40棟以上の礎石建物が確認されているようであるが旅の身ではその一部しか見ることが出来なかった。

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三段峡探訪

2017年11月09日 | 登山









 紅葉が見たいと連れ添いの所望で芸北方面に向かっていると安芸太田町筒賀大歳神社の大イチョウ(目通り幹周9.85m)が黄色く色づいていた。当日は当神社の祭り日だったようで幟が沢山立てられており干しタコのような幟もあった。
三段峡口に着いてみると日曜日であり遊歩道は大勢の探訪者の列、十方山登山翌日なので黒淵までと思っていたが、もう少し行ってみようとなり三段峡まで足を延ばしたらいささかくたぶれた。紅葉が進んでいるところもあったが探訪日が少し早かったようであった。

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