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『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

似島-地獄の鼻

2021年02月09日 | 登山

 

 

 

 

先日訪れることが出来なかった地獄の鼻を訪れた。上画像は原地区から遠望した似島の南部にある地獄の鼻(赤矢印)で標高76.9mの四等三角点があり点名は地獄山とある。三角点に隣接して石積みの遺構がみられ似島の遺構地図によると監視所跡(高射砲陣地)とあった。三角点カ所から廿日市方面を遠望すると市街地と西広島バイパスの廿日市高架橋が見えその左上側には山陽自動車道の速谷高架橋がみえる。その上側にはふれあいライフ原から原集落がみられ、以前にも紹介した泉水峠の法面がみえその上部遠くに標高1050mの大峰山がみられる。

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似島探訪

2021年02月06日 | 登山

原地区からの遠望

宇品港からの遠望

外方の鼻

 

箕浦の鼻

 

安芸の小富士がある似島の南半分を周回探訪した。上画像は原地区からの遠望で似島の主峰である安芸の小富士が遠望できる。江戸期の地誌に「形富士に似たり、俗に小富士とよぶ」とあり、江戸期から安芸の小富士と呼ばれていたようである。似島学園前桟橋から南端まで歩き外方の鼻、箕浦の鼻での探査でくたぶれ、似島港まで歩かないといけないので地獄の鼻の探査はあきらめた。島ではかつて農業用水の確保が難しかったものとみられ各所で下画像のようなコンクリート製タンクがみられた。

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砲台山からの遠望

2021年01月30日 | 登山

 

 

呉市音戸町の中央に伸びる通称砲台山の尾根の一部を歩き展望岩場から南側の遠望で、手前には先奥の集落、奥の内港がみられる。その先には情島とずっと先には四国の山々が遠望できる。標高330.83mの三角点の点名は毘沙門とあり、近くに早瀬砲台があったため通称砲台山と呼ばれているようである。

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金尾松山登山

2021年01月22日 | 登山

 

 

 

旧石州往還道を泉水峠方面に登っていると金尾松山の隣接山林が広く伐採されて開けていた。伐採地を登って久しぶりに標高656.06mの金尾松山山頂に向かった。山頂には4等三角点があり点名は大谷山となっていた。山林字名は金尾松山であるが・・・  下画像は伐採地上部からの撮影で下方の谷部分に旧石州往還道があり、正面の山の向こうが野貝原高原である。

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襄ケ嶽登山

2021年01月15日 | 登山

 

 

 

 

久しぶりに大野鉱山跡に行ってみようと現地に到着したら、正面に巨大な岩塊がそそり立つ襄ケ嶽の岩塊が招きかけてきたので予定を変更して頂部に向かった。頂部の559m峰は現在高見山と称されており廿日市20名山とされているようである。巨岩の先は絶壁であり足がすくむ、岩塊の割れ目からは樹木が生えており、成長が抑制された樹木と岩塊は素晴しい景観をかもし出している。

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極楽寺山幕末砲台跡

2021年01月05日 | 登山

 

 


廿日市参道の30丁碑手前に石積みがみられ上部は平坦地となっており、この場所は幕末期の砲台跡であると先人から聞いたことがある。
大正期の地誌などに第二次長州戦争時、極楽寺山の南方頂に近き所に広島藩が砲台を設けたことが記されており、陣小屋場、篝焚小屋などがあったようで何と木炮が配備されていたようである。
平坦部の北端には石塚があり境界杭もみられるので旧平良村・原村・佐方村の山境塚とみられる。

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登山始め-極楽寺初参り

2021年01月04日 | 登山

 

 

 

昨日は宮島SA脇から廿日市参道を登り極楽寺山にある極楽寺に初参りした。しばらくウォーキングを怠っていたので足が進まず多くの参詣登山者に追い抜かれた。途中中学校の同級生に会い昨年二百数十回登山したとのことでびっくり ⁉

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轆轤木谷の手無し観音

2020年12月30日 | 登山

 

 

 

昨日、極楽寺への廿日市参道の26丁碑脇にある手無し観音まで登山をした。手無し観音のあるところは轆轤木谷の最奥部であり、旧平良村共有林の薪炭山で当ブログ主の親が分山使用していたところである。登山道途中にあるど根性松(画像の左側弓状の幹が折れ曲がって右側に伸び上がっている)の葉が少し枯れかかっているので松くい虫被害を受けているのかも知れない。

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高尾山遺跡探訪

2020年12月29日 | 登山

 

 

 

 

極楽寺山から南に延びる舌状尾根上(標高260~267m))にある高尾山遺跡を久しぶりに探訪した。遺跡といっても何もない通常の山の尾根を藪漕ぎしただけである。樹木が無かったら平良地区及び広島湾一帯が俯瞰できる高所に位置している。二度の山崩れで南北200mの範囲の斜面から大量の弥生土器が流出し採集した。その後に試掘調査が行なわれ、広島湾周辺の典型的な弥生時代後期の高地性集落遺跡であることが確認された。高尾山遺跡については「廿日市町史」通史編(上)に詳述されています。

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極楽寺参道で見たクソナバ

2020年05月15日 | 登山

 

 



極楽寺参道を登っていると枯れ木に色々な種類のキノコが生えているが樹木の名前もキノコの名前も分からない。このキノコにも名前があるのだろうが、当ブログ主は名前の分からないキノコはクソナバと呼んでいる。上画像の松の切り株に生えているキノコはサルノコシカケではないだろうか。

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野貝原山登山-泉水峠林道

2020年03月24日 | 登山

 

 

 

 



元のうが高原の周遊路から泉水峠に向かう山道は掘削道となっており、その先は広い平地とされているので高圧線鉄塔の建て替えなのであろうか。泉水峠付近の林道工事は祭日で作業をされていないので通行止め区間を通らせてもらった。
虫道廿日市線の険道区間の各所で測量杭が打たれているので測量がされたものとみられ、県道294号虫道廿日市線として整備又は林道として整備されるのであろうか。

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野貝原山登山-太陽光発電所用地の現状

2020年03月23日 | 登山

 

 

 

 

 

かつての「のうが高原」用地が掘削されて太陽光発電所の用地として整備をされていることを以前紹介した。とにかく広大な用地であり見る限り各所で太陽光発電パネルの支柱や架台の工事が行われているようであり、西側698m峰側の斜面には太陽光発電パネルが一部設置されていた。泉水峠に向かう周遊道を通っていると通りがかりの現場監督風の人がどちら方向に行くのか尋ねられ気を付けて通行してくださいと声を掛けられ通行禁止とは言われなかった。道路には英語表示板もあったが?

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野貝原山登山-のうが高原跡

2020年03月22日 | 登山

 

 

 

 

 



「ふれあいライフ原」(元国立病院機構原病院)脇から名号岩、604m峰を経て野貝原山に登る山道は登る人もなく荒れており、昔の山道の跡を辿りながら登っていく険しいルートである。山道を登りきるとかつてのうが高原の事業用用地とされていた場所には太陽光発電パネルが設置されていた。

道路を頂上方面に登っていく途中にはハイゼットバンの廃車がみられ、枝道を進んで行くとかつての夢の跡である別荘廃墟があちらこちらにみられた。夜の道路を照らしていた街灯は朽ちており、のうが高原ホテル跡の道路面部分まで取り壊されているが山斜面の下部分はまだ残されているようである。

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野貝原山登山-名号岩

2020年03月21日 | 登山

 

 



昨日、野貝原山一帯がどのようになっているのかと原地区にある「ふれあいライフ原」(元国立病院機構原病院)脇から名号岩、604m峰を経て野貝原山に向かった。名号岩は1956年(昭和31年)に地元の玉川三一氏が立善寺鳥鼠義郷住職の書「南無阿弥陀仏」を巨岩に刻されたものである。岩上から原地区一帯と遠くには五日市の町並みなどが遠望でき、点灯していたのであろうか工事保安灯の束がありバッテリーが放置されていた。

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極楽寺山登山-⑦

2020年03月20日 | 登山

 

 



樹木の茂った参詣道を登山するとつれづれに変わった形の木などがみられる。以前フェンスを喰った木を紹介したが他の木の根を喰い込み中のものがみられ、年数が経つと完全に喰い込まれるものとみられる。
下画像の木は一見するとサルスベリのようであるがよく見ると木の肌がちがうようである。クネクネとした枝ぶりであるが何んという木であろうか。

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