霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

法住寺(義経・清盛ゆかりの地)

2005-03-23 22:34:48 | 随想
 1181年清盛死亡。1182年法住寺合戦でこの寺が焼失、法皇の御殿(六条御殿)も焼失。後白河法皇は66歳でなくなった。当寺の法華堂に埋葬さてて居る。法住寺本堂から見れば東の方向に見える。
 この寺は後白河法皇が院政を敷いた場所で院の御所と呼ばれ、これから33年間院政が始まったその元となるのである。
この場所は後白河法皇の御陵を守護とする寺。新法住寺として建立されたものである。いまも旧法住寺御陵正門が残っている。これはその当時をしのぶ貴重な遺産である。
 ここの本尊は不動明王で法住寺合戦のとき木曽義仲が院の御所に攻め入った時、後白河法皇が難を逃れた事から身代わり不動とも呼ばれ、サザエさんの漫画の作家である長谷川マチ子さんもこの不動尊を信仰していてサザエさんの漫画の原画が3点飾られていた。
 ここには、そばくい親鸞像があった。これは親鸞が延暦寺で修行をしている時、親鸞が食事担当であったがそばが一つ残るはずであったが、残っておらず、詰問された時、仏像の唇にそばを着けてこの仏像が食されたと説明し難を逃れたという逸話を元に親鸞自身が30代の若い時に自分の自画像を彫った貴重な彫刻である。
 またここの住職がその当時はやった「今様」詠ってくれてわれわれも一緒に歌った。リズムは福岡民謡の黒田節と全く同じであると聞きまさにその通りであった。1000年前の今様が現在生きていることに感動を受けた。
 後白河法皇は今様20巻を歌集として残している。
 今様とは神仏にささげる歌

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