霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

松永周甫とその跡地

2009-11-25 10:06:53 | 歴史/古文書
 昨日はハイキングというか勉強会を兼ねて登山をしました。その途中にこの写真に見られるところを通りました。

 この写真は江戸時代の末に医者として全国各地を遊学して薬草を集め薬草園をこの地で作った人物です。

 ここは山口市鋳銭司という場所で大村益次郎の生家とも近いところにあります。いわゆる当時の本草学の第一人者でシーボルトとも交友があったとのことです。そういった成果を認められ慶応2年(1866)一代藩医にもなっています。この人物が松永周甫という人です。

 案内板では文化13年(1816)に萩で生まれ、天保11年(1840)に山口市名田島で医業を開いています。24歳という若きときです。それから諸国遊学して薬草を集め嘉永5年(1852)にこの地に薬草園を開いています。

 今はその薬草園はありませんが、樹木はまだありまして、中国原産の広葉杉(コウヨウザン)、楊貴妃が探し求めた天台う薬の木など珍しい樹木が数多残っているのです。

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2 コメント

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興味あります (趣味宝庫)
2016-09-30 15:25:32
私は散策と古式医業(漢方・蘭方・西洋医)、旧藩時代の藩医と村医の身分、薬草及び薬草効果について、興味があり貴blogに辿り着きました。しかし、霜恋路さん、良くこの薬草園を見付けられましたね。樹木、草花な御興味がお持ちのようですね。私も今から気候も良いので行って見たいと思います。
良く調べられておられますね (各地散策と歴史)
2021-01-19 17:05:20
松永政道の子として生まれた松永周甫氏は幾多の勉学に励み医業を立ち上げますが、功績は各種薬草を育て挙げた事象ですね。ある文献に藩医の家に生まれたと言う記事を見たことが分限帳から見る事は出来ません。医者が全て士籍(武士)では無く、多くは村・町医者(庶民明治の平民)です。ただ、周甫は一代限りの士籍を得ています。広島県では藩士(医師)の後藤家が有名です≪広島大薬学部管理≫。良く調べられておられますね。松永周甫氏は人間的にも素晴らしい方ですね。シ
ボルトとも関わっておられます。

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