昨日はハイキングというか勉強会を兼ねて登山をしました。その途中にこの写真に見られるところを通りました。
この写真は江戸時代の末に医者として全国各地を遊学して薬草を集め薬草園をこの地で作った人物です。
ここは山口市鋳銭司という場所で大村益次郎の生家とも近いところにあります。いわゆる当時の本草学の第一人者でシーボルトとも交友があったとのことです。そういった成果を認められ慶応2年(1866)一代藩医にもなっています。この人物が松永周甫という人です。
案内板では文化13年(1816)に萩で生まれ、天保11年(1840)に山口市名田島で医業を開いています。24歳という若きときです。それから諸国遊学して薬草を集め嘉永5年(1852)にこの地に薬草園を開いています。
今はその薬草園はありませんが、樹木はまだありまして、中国原産の広葉杉(コウヨウザン)、楊貴妃が探し求めた天台う薬の木など珍しい樹木が数多残っているのです。
211124
この写真は江戸時代の末に医者として全国各地を遊学して薬草を集め薬草園をこの地で作った人物です。
ここは山口市鋳銭司という場所で大村益次郎の生家とも近いところにあります。いわゆる当時の本草学の第一人者でシーボルトとも交友があったとのことです。そういった成果を認められ慶応2年(1866)一代藩医にもなっています。この人物が松永周甫という人です。
案内板では文化13年(1816)に萩で生まれ、天保11年(1840)に山口市名田島で医業を開いています。24歳という若きときです。それから諸国遊学して薬草を集め嘉永5年(1852)にこの地に薬草園を開いています。
今はその薬草園はありませんが、樹木はまだありまして、中国原産の広葉杉(コウヨウザン)、楊貴妃が探し求めた天台う薬の木など珍しい樹木が数多残っているのです。
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ボルトとも関わっておられます。