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今日は山口史「史料編」編纂講演会に参加しました。
地名は文字のなかったころから、語られてきていると。縄文時代の始まりのころから矢は使われており、この矢という言葉は水の流れをさすのであって「矢切りの渡し」など水の流れを切って渡ることを意味しているのである。
日本の苗字も地形や土壌や川や清水や植物から出ている苗字が多いとのことである。柿木は昔から境に植えてあるもので境に垣があるとも書くようになった。
いわゆる文字を持たない言葉である口コトバ、民俗コトバに地名の解釈をする上でのヒントが隠されている。従ってそういった口コトバ、民俗コトバを多く収集するとともに現地に行って古老の話を聞きながらフィールドワークをしていくことが地名の研究に欠かせないことである。
山口・・・防府から萩を結ぶ山越えの道の入口をいう。
椿・・・坂の登り口の地名を言う。
船越・・・丸木船の船形のように緩やかな谷のことを言う。
桜畠・・・桜の花のようにぱっと開けたところ。
梅ノ木峠・・・山あいの浅い谷のこと。UMEからUBEへとかわる
松江・・・花崗岩の土壌真砂(マサ→マツに変化)のあるところ。
油川・・・川底が段々状の地形がある。
湯田・・・地下水があふれ出て水溜りのある低い地形
芋が迫・・・暗い山越えの入口、芋=忌み
十楽・・・楽市楽座の楽市のあったところ。山口市吉田(山口大学の東北)と問田(山口市大内御堀の南部)の峠の吉田側の坂、坂は中世、既存の支配があまり及ばなかった処といえよう。
など山口での地名の形成の仕方がわかり昔の地名に対する文化とか民俗学的見地からもそのいわれが面白く、できれば市町村合併の時においても旧来の意味のある地名は温存していくほうが日本文化を継承していくうえでもよいのではなかろうか。
ただ文化は時代によりいろいろ新しく進化するのであっていつまでも昔にこだわることもなく、どうしても残したほうがよいものとの峻別は必要であろう。
地名は文字のなかったころから、語られてきていると。縄文時代の始まりのころから矢は使われており、この矢という言葉は水の流れをさすのであって「矢切りの渡し」など水の流れを切って渡ることを意味しているのである。
日本の苗字も地形や土壌や川や清水や植物から出ている苗字が多いとのことである。柿木は昔から境に植えてあるもので境に垣があるとも書くようになった。
いわゆる文字を持たない言葉である口コトバ、民俗コトバに地名の解釈をする上でのヒントが隠されている。従ってそういった口コトバ、民俗コトバを多く収集するとともに現地に行って古老の話を聞きながらフィールドワークをしていくことが地名の研究に欠かせないことである。
山口・・・防府から萩を結ぶ山越えの道の入口をいう。
椿・・・坂の登り口の地名を言う。
船越・・・丸木船の船形のように緩やかな谷のことを言う。
桜畠・・・桜の花のようにぱっと開けたところ。
梅ノ木峠・・・山あいの浅い谷のこと。UMEからUBEへとかわる
松江・・・花崗岩の土壌真砂(マサ→マツに変化)のあるところ。
油川・・・川底が段々状の地形がある。
湯田・・・地下水があふれ出て水溜りのある低い地形
芋が迫・・・暗い山越えの入口、芋=忌み
十楽・・・楽市楽座の楽市のあったところ。山口市吉田(山口大学の東北)と問田(山口市大内御堀の南部)の峠の吉田側の坂、坂は中世、既存の支配があまり及ばなかった処といえよう。
など山口での地名の形成の仕方がわかり昔の地名に対する文化とか民俗学的見地からもそのいわれが面白く、できれば市町村合併の時においても旧来の意味のある地名は温存していくほうが日本文化を継承していくうえでもよいのではなかろうか。
ただ文化は時代によりいろいろ新しく進化するのであっていつまでも昔にこだわることもなく、どうしても残したほうがよいものとの峻別は必要であろう。