障子が嶽 2005-09-04 08:17:53 | 歴史/古文書 この小さい山は1557年・弘治3年11月、大内義長の残党が大内氏の再興を目的に叛乱を起こした砦として有名である。この写真で樹木が切り込まれた頂上の部分が稜線が水平になっているところが壇であってそこは平らな壇となっているのがよくわかる。写真右下にも壇の後がくっきり見え平坦地が確認される。今から448年前の出来事の遺物である。標高120.4mの低い山である « もりさま祭り | トップ | セキュリテーはどこまでか »
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