毛利弘元 2012-04-25 11:22:38 | 歴史/古文書 毛利弘元について詳しくは知りませんが、この場所の案内では応仁2年生まれ、(1468)9歳で家督を継いでいる。いわゆる郡山城主となっている。当時中国地方の雄、大内氏と尼子氏の間に挟まれ300貫地の領地しかない小さな国人領主であった。明応9年(1500)32歳の男盛りのときに家督を長男興元に譲って、二男元就を連れてこの城で隠居したのだそうだ。6年後の永正3年(1506)には死んでいる。酒害が原因とのこと。家督を譲ったのも酒害が理由かもしれませんね?毛利弘元と同夫人の墓所である。 #ささやき « 元就の幼少時代 | トップ | 多冶比の猿掛城跡 »
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