霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

紀州大野城

2011-11-03 11:06:23 | 歴史/古文書
写真の竹藪の上にかすかに見える山が大野山でそこに大野城があります。建武元年ごろ、浅間覚心(南朝)により東の城が築かれる。畠山国清、細川氏(いずれも北朝)山名義理(北朝)が紀伊の守護を務める。山名氏の時代、曲輪が西方に拡張され支城ができる。明徳2年(1391)12月の明徳の乱で山名義理が大内義弘の1千騎の軍で攻められ、戦わず清水から和歌山の湊につき、髪を落として四国のほうに山名義理は落ち延びた。守護代として義弘の家臣、陶弘宣が居城する。応永6年(1399)12月応永の乱で大内義弘堺で自刃しこの城は畠山基国の城となった。さらに大野城は拡張され近世の縄張図に近いものとなったが豊臣秀吉の紀州攻めで廃城となっており今はその城跡が残るだけとなっているとの禅林寺の和尚さんのお話である。海南市にある中世の古城である。


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