これは禅昌寺の山門の階段左にある石碑です。漢文でかかれた寺の来歴や大内義弘が300石の土地の寄進を申し出たが断ったはなしなどが、書かれていました。
「山口ところどころ」の冊子のよれば当寺の独住24世松村応隆の撰文書写しを、明治33年に風外虎山が建立したものといわれています。字体は立派です。
今はこの案内板を読まずに現代文で書かれたほうをみんな読んだり見たりしています。
「山口ところどころ」の冊子のよれば当寺の独住24世松村応隆の撰文書写しを、明治33年に風外虎山が建立したものといわれています。字体は立派です。
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