霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

大内氏館跡

2005-08-16 14:52:28 | 歴史/古文書
 大内氏はもともと山口での政務より京に出て幕府を補佐する管領代としてその権威を駆使した政治を行っていた。とくに弘世から義興の代まで、京や九州、中国で戦や政治の参政に意を注いでいて、山口にはあまり居なかったのである。

 大内氏館は弘世は大内御堀からこの山口へ館を移したと巷間言われているが発掘した結果では教弘の時代までの遺物しか出ていない、また土塁も無く溝があったと実証されている。土塁は大内輝弘の乱の時に急遽本陣となり築かれたものでそれが残っている為そう伝えられているのだろう。

 この写真は龍福寺資料館に掲げてる、大内氏館跡の図である。室町時代の居館の状況がよくわかってよいと思う。1444年に居館が焼けたと記録にありその当時大内館があったといえる。

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