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霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

小谷・江のふるさと館

2011-04-26 13:16:44 | 交流/講演
 小谷・江のふるさと館の中は小谷城攻防線がわかるパネルや、当時使われた火縄銃、武具などが陳列されています。いずれも複製品です。商魂たくましく甲冑の前で記念写真を取って販売したり地場産の土産品売り場があります。小谷・江のふるさと館は伊部親水公園内にあります。

これは小谷城の縮尺の模型です。ここで観光ボランテイアの人が説明をしてくれます。


当時攻防戦に用いられたと思われる。国友の鉄砲に模型です。手にとって見ると軽くてこれはロケのときの小道具として使われたものかもしれません。

これはロケのときに使われた甲冑かもしれません。

長浜の味

2011-04-25 12:59:41 | 交流/講演
 小谷戦国歴史資料館から出て歩きながら5分ぐらいで小谷・江のふるさと館に着きました。すでに11時を回っていましたので11時30分に小谷城に登るバスを待つため、先ず腹ごしらいをしました。

 言わずと知れた長浜名物、長浜の味、焼鯖そうめんです。すでにテレビでは見ていましたがやはりそうめん露は全くありません。これならば旅先でも食べれる携帯可能麺といえましょう。戦国時代にはあったかどうか定かではないですがあったとしてもすぐ食べれるインスタント麺でしょうか。

 焼き鯖もおいしく、そうめんにも焼き鯖の出しが染み込んでいて露がなくても何か鯖の味がしていておいしく食べることが出来ます。一度は食してみるものです。庶民お味が口の中で一杯になります。




これは、うどんとこの地方の山菜入りのお結びです。この地方の味を楽しむことが出来ました。


長浜城天主からの眺め

2011-04-23 10:28:08 | 交流/講演
 長浜城は今は歴史博物館となっています。元和元年(1615)廃城となった長浜城の石垣、櫓材などは彦根城などに運ばれ、長浜城は完全になくなったのですが、その痕跡は長浜大通寺の台所門や知善院表門・彦根城の天秤櫓などに残っているそうである。
 
 館内は「竹生島と浅井三代・蓮華会」の展示があります。浅井家は初代から竹生島との信仰にかかわりがあり有徳者が行う蓮華会の頭役を勤めています。いわゆる興行の資金の出し手であったのです。長政は若くて頭役はやっていませんが、長政の母は弁財天を寄進し今もあります。浅井亮政書状、浅井長政書状や蓮華会頭役文録などが陳列されていました。
 「小牧・長久手合戦と浅井三姉妹」では江戸時代後期に作られた。小牧・長久手合戦図がありました。人物が数多く描かれたました。武具も細かく描かれていて旗指物でどこの軍かも良くわかります。秀吉軍の武将池田恒興・元助父子や森長可の戦死場面もかかれてありました。

 江の大河ドラマでは江が初めて嫁いだいとこの佐治一成が小牧の役で勝利するも、信勝の和睦で家康が三河へ退くとき大野川を渡る船がなく弱っていたところを。大野城を守っていた。大野の渡しの権益を守っている佐治一成が船を貸し与えたすけたことで秀吉の怒りを買い、秀吉から茶々が大病であるという文で大阪城に江は連れ戻され一成とは離縁となったのです。
 ほかに秀吉の朱印状や羽柴秀吉の判物などの陳列がありました。

 写真は浅井家とかかわりのあった竹生島が見える方向を天守閣からとったものです。果たして竹生島がみえますかねー?

太閤の像

2011-04-22 09:57:04 | 交流/講演
 天正元年(1573)浅井長政が滅亡してから小谷城を守っていた秀吉は天正2年に今浜に築城を開始し天正3年秋に移っている。当時の城の絵図や古文書も残っていないので様子は分からないが竹生島の材木や湖北の石仏や五輪の塔など墓石まで使用して城を築いている。築城後は長浜と名を変えている。

 天正10年にはこの城は柴田勝家に譲っているが天正11年には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼし、天正13年~天正18年までは山之内一豊を城主にしている。慶長11年には内藤信成が城主に、元和元年(1615)には内藤信正が攝津高槻城へ移封となり、この城は役目を終えた。約39年間の輝きであった。


太閤井戸

2011-04-21 09:45:46 | 交流/講演
 長浜城公園を散策していると琵琶湖のほとりというか琵琶湖の中に太閤井戸が見えるのです。当時は水はかぶっていなかったのでしょうが今は温暖化かどうかわかりませんが水量が増えたのでしょう琵琶湖の中に水没していました。
 梅雨の降雨期はもっと水かさが増すことと思います。このとき東北の人と出合いましたその人は原発から60キロメートル離れている人で避難している人ではなかったのですが昨日は小谷城に登ったと明日は何十年ぶりに関が原に行くといっておられました定年で仕事を若い人に譲り、自由になり旅をしているとのことでした一人旅をしていました.歴史好きの人でした。

江・浅井三姉妹の旅

2011-04-20 09:22:25 | 交流/講演
 今日はいよいよあのテレビの大河ドラマの旅を始めました。とは言ってもほんの一部分ですけど、安城を6時12分の電車に乗り名古屋に約30分で着き7時30分のこだまで米原に行き乗り換えて、長浜に8時30分か40分に着きました。

 長浜北口には観光案内所が出来ていて、そこで係員の人に相談すると。一日乗り放題で江・浅井三姉妹博覧会3会場を見て歩くチケットが1000円というのです。それを買ったのですが始発は10時なのです。観光案内所の人の話でそれまで長浜城へ行って浅井三姉妹の展示を鑑賞されて置かれると良いでしょうと勧めがありそこへ早速行きました。
 
 9時からですので暫く公園を散策しました。琵琶湖のほとりに聳え立つ城跡で、今浜といわれていたのですが木下藤吉郎が始めて信長から城持ちを許されてこの今浜というところに城を築いたのです。信長の長を貰ってそのとき長浜と改め地名が今日まで続いているのです。

 木下藤吉郎は最初は浅井氏が滅亡した小谷城にいたのですが2年後にそこを廃城して城の石や木材を船で運びここに城を築いたのです。いまのような城ではなかったと思われますがその城の古図が残っておらず。どのような城であったか解明できていないそうです。従って今の城は天正時代のほかの城を参考にして復元したものです。
  

太平洋

2010-12-03 11:06:06 | 交流/講演
黒潮踊る太平洋の広大な眺望がよく見えます。ここは四万十川河口の最先端にある癒しの里の展望台からの眺めです。3万トンクラスの船首から見る高さと同じとの観光ボランテアの方の説明です。少しガスっているのはこの地方は亜熱帯の気候も混じっているので湿度も高くよくガスが発生するとのことでした。私のこの地方を23年前から28年前まで、歩き回っていたのですがそういうことだったのですね。!!!

とまろっとにある彫刻

2010-12-02 10:55:25 | 交流/講演
四万十川の東の河口の小高い丘は今はオートキャンプ場「とまろっと」と四万十癒しの里の公園になっていた。この彫刻が地元出身の作家の作であるとのボランテイアの方の説明であった、方向は北を向いている北極星の方向で傾きは北緯33度の地にあることに由来し33度の傾きで作ってあるとの説明である。日時計の役割を持ってる。ここの公園のシンボルタワーであった。ミサイル発射の装置と見間違えられると怖いですねー

台風一過の四万十川

2010-12-01 10:46:28 | 交流/講演
 四万十探訪の一貫として観光ボランテアの人がわざわざ台風の怖さを見てもらいたいと黒潮が打ち寄せる四万十川河口まで連れて行って下さったのです。この風景はまだやわらかいものです。台風時はもっとすごいしぶきと波が打ち寄せるとのことであった。

ここは下田といい、室町時代は対明貿易などの寄港地となっていた。今は漁港である。砂州もみられ、対岸との渡り船も残っている。

住居の新築

2010-10-24 13:42:36 | 交流/講演
 今年の7月31日に新築完成し、引渡しを受けた。新築の全く新しい家です。8月2日から入居が可能でしたので2日に行ってそこで十日間寝泊りしました。お隣は三軒新築工事中と業者が出入りし、騒々しい中でしたが。念願の家が出来たということでしょう。やはり新しい家はいいですね。しかし使えば少しずつ傷んでくるのもわかります。カビの発生や、塗料の劣化など今後の維持管理にお金が懸かると思います。不動産を持つということは大変ですね、維持に金が掛かります。これからガレージを作ったり、庭を造ったりといろいろやることは多いです。
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