天正元年(1573)浅井長政が滅亡してから小谷城を守っていた秀吉は天正2年に今浜に築城を開始し天正3年秋に移っている。当時の城の絵図や古文書も残っていないので様子は分からないが竹生島の材木や湖北の石仏や五輪の塔など墓石まで使用して城を築いている。築城後は長浜と名を変えている。
天正10年にはこの城は柴田勝家に譲っているが天正11年には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼし、天正13年~天正18年までは山之内一豊を城主にしている。慶長11年には内藤信成が城主に、元和元年(1615)には内藤信正が攝津高槻城へ移封となり、この城は役目を終えた。約39年間の輝きであった。
天正10年にはこの城は柴田勝家に譲っているが天正11年には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼし、天正13年~天正18年までは山之内一豊を城主にしている。慶長11年には内藤信成が城主に、元和元年(1615)には内藤信正が攝津高槻城へ移封となり、この城は役目を終えた。約39年間の輝きであった。
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