あらゆる人は自己中心的になりがちで、気ままな自由を求めます。
- 何から逃れたいのか〔国家や地域の弾圧からか〕
- どこを目指しているのか〔どうありたいのかという哲学〕
- 失望と後悔の念はどうなるのか〔必ず訪れる事態に備えられるか〕
- この心の葛藤がその人にとってどのような成長につながるのか
など普遍的な主題と考えられます。これだけでは分りにくいので具体的な例で考えてみましょうか。
北朝鮮からの脱出〔脱北〕
国家経営に失敗した典型例で、あまりにもむごい人権無視。
その母国北朝鮮から自由を求め、同民族である南の韓国へ亡命するのですが、その方法に2つあるようです。
- 何らかの方法で直接国境を越えて韓国へ亡命する方法。いったん入ってしまえばもう見破られることはないほどの北朝鮮ネットワークが形成されているらしい。それほど韓国内にも北朝鮮派(親北派)がたくさんいる。ある種の韓国人にとっては、どんなに無謀なことをしても北朝鮮は同族であり真の敵にはなり得ず、あくまでも真の敵はアメリカであり、どんなに紳士的に対応しても日本を敵としたい。これは避けることができない朝鮮半島の歴史なのでしょう。
- 中国の国境を越えて中国内の朝鮮族にかくまってもらい、チャンスをみて韓国へ亡命する方法。北朝鮮では、金正日亡き後、国家の崩壊を恐れて、国民の締め付けをいっそう強化したためか、中国と良好な関係を築けていないようです。中国にも、金正日ならともかく、若い後継者に何の遠慮も必要ないという雰囲気が出てきている。その証拠として北朝鮮は、アメリカ系の観光(を装った?)韓国人を人質として拘束しアメリカと直接交渉をしたがっているようですし、拉致問題で日本に接近して有利な交渉に持ち込もうとし試みるなど、北朝鮮は中国に対しても「つれなくするならアメリカや日本へ接近するぞ」と威嚇の外交戦略を練っているようです。
それに比べるなら、朝鮮半島には長い間の歴史、つまり
①中国従属
②日本差別
があるため、南北間の敵対関係より単純化でき、安心して反日・侮日に勤(いそ)しむことができます(笑)。したがって差別された脱北者が韓国内で名誉ある地位を確保するために強烈な反日姿勢を示すのは自然なことなのす。
脱北者はこれによって、韓国人と一体感をもてるというレベルに到達できないとしても、最悪の事態を避けることができそうです。外部に敵を強引に作ることによって、内部での結束を強める、というのは、どこの誰にとっても普遍的な手法であると同時に、その行き過ぎが常に問題とされてきました。
対中国「劣等感」とその裏返しとして生まれた対日本「優越感」は、中国~日本の中間地帯に位置し、カプサイシン過剰摂取とあいまって、朝鮮半島特有の国民性へと立派に成長してきたことになります。
韓国人へは次のような言葉を贈呈したいと思います。
他人への気配りをしないでいるとそのベクトルが内向して、一方では仲間うちでおなじであることへの脅迫となり、他方では同じはずの仲間のなかでの攻撃欲求となる。かつては、農村共同体の閉鎖性にたいして、さまざまの人間のまじりあう都市の自由がたたえられた。しかし今ではたとえばニュータウンで、ある程度ゆたかな標準性に支えられながら、そこにもっとも典型的に「ガマの油シンドローム」が見られるようになった。・・・・
「みんな仲間」であることへの脅迫で無理をしている。その無理ゆえに、「仲間はずれ」をいじめている。・・・・
けっして「仲間」ではない異人が存在し、そして異人に心を使いながら暮らす方が、本当のところは健全であるのに。日本が「単一民族」でうまくいっているというのは嘘で、民族的異質性の不足のために「ガマの油シンドローム」におかされている、というほうが本当だろう。学校の問題でも、いまなにより必要なのは、問題児や問題教師も含めて、異質なものをかかえこむことであって、それを排除しながら「国際化」を唱えると言うのは矛盾している。「みんな仲間」であることではなく、「仲間はずれ」の許容されることが重要なのである。 : 森毅「毎日新聞夕刊」1986/12/06
ここでは「日本」を「韓国」に置き換えると、より純粋な単一民族を標榜する韓国特有の問題が見えてきます。
これは日本に関しても言えることですが、脱北者を排除しつつある韓国社会にも同様の警告を発している、と思います。
中国人にとっての自由とは
そもそも「中国人」というものが存在するかさえ、あやしいですね。漢族が中国共産党として55民族を弾圧支配する国、といえば近いでしょうか(笑)。
武力で占領し続けた結果、広大な国土になっているだけのことであって、「年間10万~20万件」とも言われる暴動に、この国の治安の悪さが顕著にみられます。
多くの人たちが指摘するまでもなく、この国家運営に失敗した国は、小さい民族ごとに分割されるはず。「民族ごと」が無理としてもせめて6~7地域ごとの共和国のようなものに分割したほうがよく、私の予言では、中国共産党が崩壊したあと必然的に興る内戦のあと、そのあたりが落ち着く相場だと思います。
共産党一党支配の武力面での基盤が人民解放軍
お笑いのような名前の軍隊があります。「一体誰が人民解放軍によって解放されたいのか」とは、多くの人がもつ疑問。
たとえば人民解放軍がチベットを武力制圧したことを「チベットを解放した」と、中国人はまるで落語のように一方的にとらえます。チベットにとっては「弾圧」が始まっただけのことなのに・・・・・・。
これは、ロシアが隣国ウクライナの南部クリミアを武力併合した時に、「クリミアをウクライナから解放した」と考えている独善性に似ていて、まるで古典落語のよう(笑)。
つまり軍事的占領の裏には、必ず大義名分があるもので、それが
中露は、隣国を解放してあげた
なのでした。この「解放し自由を与えた」武力占領が、抑圧のはじまりであることに、何ら疑義はありません(笑)。
スプラトリー諸島、パラセル諸島、尖閣諸島などでみられる中国船の野蛮な行動は世界中の人々に恐怖を与えましたね。
中国共産党としては、ベトナムもフィリピンも日本も、まだ中国共産党の恩恵に浴していないかわいそうな未開民族なので、これら地域を武力占領することで「解放し自由を与える」必要があるらしい。こんなことは、「むかしばなし」でしか聞けない古色蒼然とした独善的論調ですね(笑)。
この前提として必要なのが、「これら地域は議論の余地がない神聖な中国固有の領土」というわけです。何の根拠もなく、どことも話し合う姿勢をもたずにこう言える政府は、現代社会では中国共産党やロシアのほかに、そう多くはないでしょう。
そのうちに間違いなく次のような成長を見せることでしょうね(笑)。
- 沖縄は神聖な中国固有の領土
- 日本は神聖な中国固有の領土
- ハワイは神聖な中国固有の領土
- 太平洋は神聖な中国固有の領土
- この地球は神聖な中国固有の領土
- 太陽系の星々は神聖な中国固有の領土
- この銀河宇宙は神聖な中国固有の領土
「自らの視点」をもてない中国人を率いていくためには、為政者としては「うそでもいいから断言が必要」なのですね。国民の目標となるような、何らかのお墨付きが欠かせません。中国共産党が根拠なく「そこは中国の領土だ」と明言したがるのには、そういう裏があるのでした。
まるでバチカンが言う「宇宙は神が創りたもうた」発言に近く、自分たちが創り上げた神という立場を忘れているのに似ていて、ほんの100年ほど前に創ったに過ぎない中国共産党がいつの間にか宇宙創造者になるのもそう先のことではなさそう(大笑)。
そんな話、だ~れも信じないし、馬鹿にしていますが、中国為政者たちだけが真剣そのものなので、もう落語のようでおもしろい、のです。
こう見てくると、中国には2つの自由がありそうです。
- 中国共産党や人民解放軍が考える自由とは、「周辺の未開民族はかわいそうなことにまだ中国共産党の恩恵を受けていない」ので、これを解放して自由を与えてやりたい、という意味。何をどう考えても「自由」ですが、これに「人の話は聞かない」、「自分が一番正しいのであり他人の意見は常に間違っている」という独善が加わると、文字通り落語のようになってきます。現在の中国の不可思議さを理解できないかたは、ぜひとも落語をお聞きになるのがよろしいようで(笑)。
- 多くの中国人たちが考える「自由」とは、中国共産党の一党支配が人間を束縛しているので、これを排除したいということでしょう。絶対に人の話を聞かずに独善を続ける中国共産党にどれだけの存在価値があるかと疑問視する人が多いと思われます。しかしながら、反対の意思表示をすると、中国共産党によってたちまち暴力的に押さえ込まれ金品・財産・地位を失うこととなり、なかなか言い出せず、従ってずるずると中国共産党の独善を許してきました。
もし仮に、中国共産党が崩壊したとしたら、それは吉事(きちじ)には違いありませんが、社会はどうなるか、考えておく必要があります。
中国では、幸か不幸か、エジプトなどのように一致団結することがないため、独裁政権が崩壊すると、権力争いが行き過ぎた残虐性を帯びることとなり、恒例の内戦状態に陥るでしょう。
だから中国には中国共産党のような強権独裁政権が必要だった、とさえ言う人が出てくるのです。
アメリカ人の考える自由
政府というのはとかく国民を規制したがるもの、という考えに基づき、外交などの国全体の専管事項は別として、それ以外では州ごとに好き放題に法律を指定しているようです。もちろん死刑制度もそれぞれ違いますね。
しかしいくら州で銃〔じゅう〕を規制しても隣の州では自由〔じゆう〕に銃を販売しているなら、典型的なザル法ですね。
特に銃被害が少ない地域出身の米兵が海外で命の危険に遭遇してから兵役を終えると、帰国後に深刻なPTSD〔心的外傷後ストレス障害〕を発症するようです。この結果、通常の人生を歩むこと能わず、ひきこもりや薬物中毒や障害事件を起こしがちだとのこと。
肝心なところで不透明さは残るとしても、帰還兵の様々な疾患について詳細に報道される国はアメリカ以外にはなく、この点では立派。中国の人民解放軍でそのような話は、絶対にあり得ませんから(笑)。
アメリカで発生した悲惨な「銃(乱射)事件」の一部を集めてみました。
1949年 ニュージャージー州カムデンで退役軍人が銃乱射
1966年 テキサスタワー乱射事件
1966年 テキサス州テキサス大学で元海兵隊の狙撃主が銃乱射
1984年 カリフォルニア州サン・イシドロのマクドナルド店で銃を乱射
1986年 オクラホマ州エドモンで郵便局の配達員が銃乱射
1991年 テキサス州キリーンのカフェ「ルビー」に突っ込んで銃乱射
1999年 コロンバイン高校銃乱射事件
2007年 バージニア工科大学銃乱射事件
2009年 ニューヨーク州ビンガムトンでベトナム系移民が銃乱射
2009年 テキサス州フォートフッドで陸軍精神科医が陸軍基地で銃乱射
2012年 オイコス大学銃乱射事件
2012年 コネチカット州サンディフック小学校銃乱射事件
2012年 サンディフック小学校銃乱射事件
2012年 コロラド州オーロラで大学院生が銃乱射
2013年 ワシントンDC海軍施設銃乱射事件
2014年 カリフォルニア州サンタバーバラ近郊の学生街で銃乱射事件
そういう意図はなかったのですが、こう見ると教育機関での乱射事件が目立ちますか。
これらは無防備の人たちが被害者となりましたが、こういう銃で襲われる危険から身を守るために銃が必要、というわけで「銃をもつ自由」が叫ばれ、あいかわらず銃規制に反対する声が大きいようです。
このような負の連鎖から抜けることがない階級化社会をかかえるアメリカとはいえ、他の国のさまざまな社会事情を見渡せば、この国が必ずしも最悪の国家であるとまでは、決して言えないようです。
「自由」の哲学
もしも次のような引用が皆様にとって何かを考える材料となるなら、それは幸いなことです。
いろいろな知識を持っていると言うのは、様々な利害関係でがんじがらめになっていることを意味する。そう言う頭脳では自由奔放なことを考えるのは困難であろう。:P.28 外山滋比古「知的創造のヒント」講談社現代新書
知識があるから思考が可能とも言えますが、知識が多すぎると、とかく前例でものごとを判断してしまい、その結果、思考力の発達を妨げるおそれがあるということですね。
自由な思考に必要な知識ですが、多すぎると自由な思考を妨げる。なんとまた悲しい矛盾でしょう。
ジョンソンの娘リンダは、「報道の自由は責任からの自由ということじゃないでしょう」ともいった。: ヘレン・トマス「ホワイトハウス発UPI(素顔の大統領)」新潮社
とかく隠蔽したがるのが公務員・行政府の職員であり、納税者たる庶民の知る権利を補完する重要な役割がマスメディアにあることは、言うまでもありません。
しかし一方で、報道には責任がともなうもので、不正確な報道が、対象となる公務員らを傷つけるとともに、マスメディア自分自身をも大きく傷つけてしまうのです。
「責任からの自由」という汚点は、どこにも見られますが、特に多いのは「庶民を教育しなければならないという宿命を背負っている」と自分自身が自覚している機関であり、庶民の怖さを知らない未熟な組織ですね。
自らが一段と高い立場から「庶民に教えている」という姿勢をもっているのは、あらゆる宗教機関が該当し、もちろんロシアや中国のような共産主義的独裁国家にも大いにみられます。国家の意思に反する意見をもってはいけないのですね。
アメリカの為政者側の代表だった元大統領ジョンソンの娘には、マスメディアの攻撃は耐えられないものだったようで、マスメディアの無責任に立腹しているように思われます。
「バルバロイ(ギリシア語を喋らないもの)をヘレネス(ギリシア人自身)が支配するのは当然・・・・彼らは奴隷たるべきもの、ヘレネスは自由人たるべきものだから」
これはBC5世紀のアテネの進歩的文化人の中にはいる悲劇作家エウリピデスの作品の中の句。奴隷制度の肯定と異民族の蔑視。この考え方は次の世紀のプラトン・アリストテレスにおいても同じ。1世紀後のゼノンは「ポリティア」という本で、民族を超越した世界市民の国家を描いた。:(要約)P.176 大世界史2 古典古代の市民たち 文芸春秋
これは現代の中華人民共和国を彷彿とさせます。漢族の言葉をしゃべらない少数民族は奴隷に等しく、決定的な経済格差がそれを証明しています。自分たちが武力で侵略した広大な地域であるのに、そこに住む異民族を蔑視し、経済格差を肯定しているようでは、奴隷制度を維持していた2500年前のギリシャと何ら変わりません。
いくら美しい言葉を重ねても、しょせんは奴隷制度の上に成立していたギリシャ文明でした。同じように、いくら美しい言葉で所得倍増を表明しようとも、しょせんは経済格差という奴隷制度の上に成立している「砂上の楼閣のような経済繁栄」が、中華人民共和国の実態でした。
昔の人は言いました。「驕る平氏は久しからず」と。そして2014年現在、あはれなことに中国共産党は、まだそれに気づいていません。
勝利を争う二人の野心家にはさまれると、中立的な自由の味方は、勝利者となったいずれかの手で確実に追放される。だから両者のいずれかに味方するのが慎重というものだった。:P.273 モンテスキュー「ローマ盛衰原因論」 世界の名著28 中央公論社
またまた中華人民共和国になぞらえてしまいますが、富を独占しようとする人たちと軍事力で支配しようとする人たち、この2種類の野心家たちは共に中国共産党の支配下にありますが、どちらが勝つにしても、いわば自由の味方で一刻もはやくまともな民主国家を目指そうとする改革派たちは確実に追放されます。少なくともいまのところは、残念ながらそうですね。
昔はなんとも思わなかったこれらの言葉が、いまでは含蓄ある言葉となっているのが不思議です。
皆様はいかがですか。